第5章 病と血
第26話 髑髏と隠れ里
デュアラントを発って三日後。
努めて日の光が当たらないように道を進んでいたジークリンデたちは、自然とザハの山間にたどり着いていた。
「ハイナが言っていた
「もちろん! 私、ちゃんと道を選んで進んできたんだからね。アボロは山奥の隠れ里にいるの。一度招待されたことがないと、とてもたどり着けそうにない場所だよ」
「凄いですね、ハイナさん! さすがです」
とシャルルが称えるので、ハイナが大袈裟に胸を張った。
「シャルルもよく山道を付いてこれたね? ジークリンデは兵士だからともかく、シャルルってただの学生だったのに」
「はは、それが…この状態になってから、息切れとか魔力切れみたいな感覚、殆ど無くて」
『おっそろしいな』
シャルルの服の隙間から、リリスの妖精の光が声とともに零れる。『あんたらのその闇病とかいう状態、やることなすこと闇エンチャントが付いて回るとはいえ、純粋に力として見るととんでもないもんだぜ』
リリスの言うことはもっともで、ジークリンデも薄々、同じようなことを感じていた。
闇病に罹る前の状態なら、デミス隊の二人と対峙しても瞬殺されていたはずだった。互角以上に渡り合えたのは、危機に瀕するほどに闇魔力があふれたおかげだった。そもそも闇魔力のせいで追われているので、無いに越したことはなかったが。
『たがが外れたような感じっていうかなー。常に火事場の馬鹿力状態、ってところだぜ。実質アンデッドだから、もう関係ないんだろうな、身体の限界が』
「道理で…。ふだんの私なら、デミス隊の相手が務まるはずもない」
と、ため息のジークリンデ。
「というかリリスさん、さきにアボロさんのところに行くってことでも良いんですか? テレサさん、っていうシスターを探してるんですよね」
『あー、いいよ。今から探したら夜が開けちまうし…。あんたら困るだろ。とりあえず、アボロってやつ優先で良い』
そして歩みを進める一行のまえに進み出て、ハイナが手を挙げた。
「まって。なにか呼吸っぽい音が聞こえた」
それが号令であるかのように、ジークリンデとシャルルは周囲を警戒し始めた。
「
と、シャルルが呟き、検知の魔法で周囲を窺う。
それと同時に、彼は顔を青くして振り返った。
「う、後ろっ!!」
「!」
ジークリンデがレイピアを抜く。
直後、何かがぶつかって金属音が響いた。
(爪? ――いや、これは……)
月の光で照らされて、眼前の刺客が浮かび上がる。
レイピアとつばぜり合いしているのは、爪どころか葉のようだった。
刃を振りぬき、金属のように硬い葉を弾き返す。すると根やら蔦がうねり、異形の影が蠢く。
「うわわっ…!」
シャルルが一歩退く。
それと同時に、彼は肩を打つように転んだ。蔦がまとわりついて、足を取られたのだ。
そしてリリスと諸共、すぐさま彼の身体が、蔦が蠢く影の方へと引きずり込まれていく。
『きゃあっ!!』
「ちょっ…!!
とっさに詠唱が口をつき、落ちる寸前の線香花火のような短い瞬きの発火が、蔦を焼き切った。
『xxxx!!!』
魔物が呻き声を上げた。空間そのものに反響したようで、どこから響いている声か判然としない。
(声がどこから響いているか分からないが、“喉”はあるらしい。ハイナも“呼吸”の音がする、と言っていた…通常の植物と異なる身体の部分があるのか)
ジークリンデは周囲を窺い、本体を探す。
「う、うるさっ…!」
ハイナは魔物の声に耳を塞いだ。その背後から、夜の暗闇に紛れて、蔦が首を目掛けて迫る。
「ハイナ、危ない!」
ジークリンデがとっさにハイナを突き飛ばすと、蔦は代わりに彼女の首を捉え、締め上げた。
「ぐっ!」
絞首刑のような容赦の無い圧迫の中で呼吸が止まったジークリンデは、ふと、あることに気付く。
(馬鹿な……全く息苦しくない……?)
不意に、アンデッドであるということを改めて自覚した気分だった。そんな彼女の首が締まるほど、体は強い闇のエンチャントを示す。
『――xxx!!???』
驚いたような声は甲高く、そして魔物が伸ばした蔦は、闇魔力に
その瞬間、ジークリンデは蔦越しに伝播した魔物の声の出どころを察知した。
(地面!! 下だ!!)
すぐさま、彼女はレイピアを地面へと突き刺した。すると刃を介して闇の魔力が噴水のように溢れ、地中に潜む魔物の本体にも届いたのである。
『xxxxx!!……』
枯れた声の絶叫が短く響き、木霊して、しん、と静まり返る。夜風が吹くと、魔物が操っていた蔦や根が灰のように脆く散っていってしまった。
「……た、倒した?」
「多分な。本体が地下にいたらしい」ジークリンデは剣を納めつつ、頷いた。
「いまの、学院の図鑑で見たことあります。シダ魔物ですね。ザハにいるから、ザハシダだと思います」
『まんまだなネーミングが。ともあれ助かったぜジークリンデ。…シャルルもな』
「えっ? いや俺、何もできませんでしたけど」
『さっき転ぶとき、ウチが下敷きにならないようにしたろ。肩を打ったんじゃないか、見せてみろ』
「あ……いえ、たぶん大丈夫です! 今の俺、けっこう硬いので!」
『ちっ、ああ、そうだったな。死後硬直みてえな硬さしてるからな、アンタ』
「例えとはいえ、いやな硬さですね…」
果たして只の例えなのだろうか、とジークリンデは内心疑問だった。ともかく危機は去ったらしく、周囲を見渡すと、静かな夜が戻っている。
「……ん?」
ジークリンデは眉を顰める。
闇病に罹って以来、夜目が利くようになっていたはずが、周囲の状況がとりわけ見えにくい気がした。
ただ「暗い」というより、「黒く塗りつぶされている」。そんな感覚を抱くころには、文字通り、一寸先が闇になっていた。
『な、なんだこれ? 周りが遮光カーテンで囲まれてるみたいだ。ジークリンデの闇魔法か?』
「いや、違う。みんな、警戒を…」
「――大丈夫だよ、ジーク」
と、ハイナが囁く。「これが招待だから。じっとしてて。アボロ、私たちのことを見つけてくれたみたい」
「…招待…?」
すると黒いカーテンが消え、視界が晴れ――山林にいたはずが、気づけば集落のような場所に立っていたのである。
そんな彼女たちの眼前には、巨人の骸骨が項垂れ、そのしゃれこうべの上に坐す人物が見えた。
その者は、胡坐に頬杖で、まるでジークリンデたちの到来を待っていたかのうように、じっとこちらを見つめていた。骨ばった細身にぼろきれのような服で身をやつし、真黒な長髪でろくに表情も見えない怪しい男である。
その異様な光景を見て、皆が言葉を失った――ハイナを除いて。
「あっ、アボロだ! また招待してくれてありがとう! みんな、彼がアボロだよ」
(あの巨大な骸骨のうえにいる男が、か…?)
ジークリンデは息をのむばかりで、まだ言葉を探していた。
一方、アボロと呼ばれた男は、
「…“神隠し”とも恐れられた妖怪の所業を、“招待”呼ばわりとはな。君には敵わん」
と呆れたように笑い、巨人の髑髏の上から滑るように降りると、皆の下へとひたひた歩み寄って来る。
「さて、ハイナ君に会うのは初めてではないが…。そちらにおわすは
「……」
『……』
「……あ、あの、俺はシャルルと言います」
「ジークリンデだ」『…リリス』
「シャルル君、ジークリンデ君、それと、リリス君か。友よ、なにもない里だが、君たちを歓迎しよう」
アボロは大袈裟に両手を広げて、やわらかく微笑んだ。
「君たちの大立ち回りを見ていたよ。最近、あの魔物が暴れていたのだ。駆除しようと思っていたが、なにぶん擬態が上手くてな…妖怪を見るや巧妙に身を隠すくせに、人間には襲い掛かる下賤な魔物よの――いや、こんな些事はどうでも良い。早く君たちを歓迎してあげねば…さて、抹茶はお好きかな?」
「ね、アボロ。お茶も良いけど、ちょっと聞きたいことがあるの」
ハイナがそう尋ねると、アボロは、くっくと嬉しそうに笑った。
「なんだ、そちらは話したいことがあるのか? ならばちょうどいい。お茶を淹れよう」
そう言って、アボロは皆を手招いた。
「改めてようこそ、皆々様――妖怪の隠れ里、幽谷へ」
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