第22話 夕日と茶番劇
(届く――!!)
ディータは、その一瞬に迷いを生じた。
ナイフの先が黒騎士の心臓に届いてしまえば、自分は大切な何かを失う気がしていた。
(届…届いてしまう…! 命の恩人なのに!)
戦に生じた逡巡。
普通なら人間が反応できないレベルの僅かな時間に過ぎないはずだった。が、あろうことか黒騎士は一瞬の足さばきで振り向き、その際にレイピアの柄でナイフを握るディータの手をかち上げ、払いのけたのである。
「ぐあっ…!!」
きぃーん……
そんな金属音が遠く響き、ナイフが落ち葉の上に柔らかく落ちた。ディータは右手を抑え、黒騎士から距離を取り、メルヒナの脇に立つ。
「ああっ、そんなぁ…」
メルヒナが絶望したように、落ちたナイフへ視線を向けていた。
(くそっ、俺は、俺は何をやってんだ…! こいつが本当に魔王だったら。魔王だったら…世界は…!)
酷い後悔の念に呑まれ、ディータはもはや、次の一手を考えることもままならなかった。
「……どうした?」
黒騎士が静かに口を開き、レイピアの切っ先を上げ、二人へと向ける。
真っ黒な闇の魔力が冷気のように溢れ、地面を伝っていた。
「来ないのか?」
「いっ……、いや! ええと、い、今はね、見切りに徹してるだけだし…^^;」
メルヒナが精いっぱいの強がりを吐きつつ、ふらふらと立ち上がる。
(まずい、メルヒナはもう魔力が残ってない…。俺の失敗のせいだ、もう、勝ち目もない――)
自分の失敗だから、せめてメルヒナだけでも逃がす算段を立てようと、ディータは頭を働かせる。
「そうか」
黒騎士は端的にそう頷き、レイピアを振って――
「ならちょうど良い。貴方たちに話がある」
そして、刃を鞘に収めたのである。
呆気にとられ、メルヒナもディータも一瞬、構えを緩めた。その一瞬の隙を晒した彼らにも、黒騎士は手を出さなかった。
「貴方たちはなぜ私を狙う? アニュラスの壁を破壊したからか?」
「……そ、そうだよ! 分かってるんだったら、大人しく――」
「拘束されろ、か? それとも、死んでくれか?」
「えと」
メルヒナは顎を引き、押し黙る。彼女の存在しない頭部の視線は、ディータを窺っていた。
「罪人だとしても、通常、拘束が先だ。むろん抵抗すればその限りではないのは承知だが、貴方たちは明らかに、最初から殺そうとしているようだったな」
「……」
(……なんだ? 黒騎士のこの言動は…?)
ディータは、不可解な彼女の発言を頭の中でリフレインしていた。
(俺が手紙を渡したんだから、黒騎士は真意を分かってるはずだ。“魔王容疑者だから”、君は狙われてるんだ。知ってるはずなのに。手紙で教えたはずなのに、この会話はまるで茶番のような……)
はっとして、ディータはゆっくりと、ほんの僅かだけ黒騎士から視線を外して首を動かす。
夕日は今、地平線にぴったり接するように浮かんでいた。
まもなく世界は夜になり、そして陽依目の追跡魔法が無効化される。
逆に言えば、今此処で起きている出来事――陽が沈むまでの出来事は、陽依目の魔法によって追跡できる。
第三者に知られる可能性があるということだった。否、“可能性”の話では済まない。もしディータがアニュラスに戻り、作戦について報告すれば、確実に陽依目による検証が行われる。
陽が沈もうとする中で、その双眸に太陽の眩い輪郭を反射させながら、ディータはその事実に気付いた。
(黒騎士の狙い…まさか、見せることなのか? この、劇を)
「――君は魔王容疑者だ」
ディータは、まるで台本のセリフを読むかのように言った。
「予言がある。魔王が復活し、再び厄災として顕現する。復活をいち早く阻止するために、魔王と同じ闇のエンチャントの使い手を俺たちは殺さないといけない――魔王として覚醒しうる“容疑者”とみなして」
「ね、ねえ…それ、言っても良いんだっけ…?」
「さあな。どうせ殺すなら、関係ないんだろ?」
「う、うん。そうだね…?」(でも、殺せるかな…)と、メルヒナが小声で呟く。
「…そうか」
黒騎士は、あっさりと頷いた。
そのことを当然知っているかのようだ。
「“私が闇のエンチャントの使い手だから”、魔王になる可能性がある。だから殺す。そういうことだな?」
「ああ、そうだ」
「だが、それでも私は魔王じゃない。そんなものじゃない…私は闇の魔力を意図して使ってるわけじゃない」
「…なに?」
ディータは目を丸くした。
黒騎士は続ける。
「私は闇病の罹患者、ただの病人だ。使いたいから闇のエンチャントをしているんじゃない。呪いのせいで、エンチャントを止められないだけだ」
「闇病…呪いだって…?」
ディータは言葉を繰り返す。その語尾に、わずかに安堵のような感情を乗せていた。
「闇病って…な、なんだっけ?」と、メルヒナがディータの背中に小声で尋ねる。
ディータは記憶を掘り返し、言葉を続ける。
「…夜の妖精とかが罹るっていう、呪いだ。ダークエルフ、グレムリンとかな。じいちゃんに聞いたことがある。闇の魔力の制御が一時的にできなくなるらしい――でも、人間も闇病に罹るのか…?」
「詳しくは分からない。だが私は罹ったし、闇の魔力を上手く制御することもできない。だから今、治し方を探してる。魔王のように災いを振りまく気など、私にはない」
「……」
(そうか――この人は悪い人じゃなかった。俺を助けたことに裏はなかったんだ。助けるために使える力が闇魔力しかなかっただけだったんだ。壁が破壊されたのも、魔力が制御できないせいだったんだ……)
ディータは笑みがこぼれそうになった。自分の命の恩人は、決して邪悪な魔王容疑者などではなかったと、分かったから。
だからといって、黒騎士に対して明け透けにそのことを言える状況ではなかったが。
まもなく、陽が沈む。
黒騎士とディータの両名が、陽が沈むことを今か今かと待ち望んでいた。
「ね、ねえ、どうしよぉ…><? 黒騎士、ホントのこと言ってるのかな…? 信用しても良いやつ…?」
「……今確かめる手段は、俺には無い。だが、この騎士は竜を一撃で屠った。幸い、俺たちはまだそんな目には遭ってないが」
ディータは、ありったけの諦めの念を、ため息に込めた。名俳優のような息遣いだった。
「どっちにしろ今の俺たちじゃ、仮に殺そうとしても返り討ちに合うだけだ」
「うう…そうかも…」
すっかり勝ち目を見失ったメルヒナのロッドの先は、うろうろと空を彷徨う。そうこうしている間に、夕日はほぼ静まりかかり、空は黒と、青と、橙のグラデーションを呈していた。
「……私が聞きたいことは、もう聞けた。他に話がなければもう行く。治療法を探さないといけないんだ」
「まってくれ」
と、ディータは黒騎士の動きを制する。
「……『黒騎士』、闇魔力を纏う君を野放しにはできない――だって闇魔力の行使は犯罪だ。アニュラスの壁の破壊も、君のケースは不可抗力とはいえ罪に問われる」
「それは…分かっている。止め方が分からないとはいえ、私が闇魔力を使ったのは事実だ」
「その病を治してくれ」
ディータは、毅然として告げた。「病を治し、もとの普通の身体でアニュラスに自ら戻ると約束してくれ。それなら今すぐ君を拘束しなくても良いし、情状酌量の余地もある――いまは、釈放ということにする」
「……私が戻ると信頼できるか?」
「もちろん、ただでは信頼できない。その良心を信頼するための情報がいる」
「情報?」
「出身、それと、名前は?」
と、短くディータは尋ねた。「君の身分が確認できれば、ある程度君の言うことも信頼できるようになる」
「……」
黒騎士は眉を上げた。
その丸く見開かれた瞳に夕日の最後の光がろうそくの灯のように反射していたが――すぐに夕の陽も沈み、青黒い夜色になる。
彼女は小さく微笑んで、口を開いた。
「ジークリンデ。アースバンの兵、ジークリンデだ」
「アースバンのジークリンデ――分かった、もう行ってくれ。君の病が、治ることを願ってる」
「い、良いの? 行かせても」メルヒナがうろたえた様子で尋ねた。
「いいさ、彼女は治療法を探しているだけだ……それに、早く本当の魔王を探さないと」
「待て」
ジークリンデは、デミス隊たちに声を掛けた。
「貴方の名前は?」
「え……俺か?」
「そうだ。人に名乗らせておいて、自分は名乗らないつもりか?」
ディータは、以前ダンジョンの中で名前を尋ねられたことがあったと、ふと思い出した。
「……ああ失礼。俺はディータ。アニュラス・デミス隊のディータだ」
「あっ、私はメルヒナ! じゃあお姉さん、アニュラスに戻ったら手合わせしてね! 次は闇の魔力無しの合法なやつでね!^^ 負けないよ!」
メルヒナが手を振り、そしてディータに肩を借りて、共に彼女の下を離れていった。
やがて彼らが完全に見えなくなったところで、ジークリンデは力が抜けて、その場にへたり込んでしまった。
「はっ…はあぁ……ああ、疲れた……」
そして今更になってぎりぎりの命の応酬を思い出し、だらだらと冷や汗が吹き出すのだった。
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