第4章 天道と夜道

第21話 黒騎士とデミス

 黒騎士ジークリンデの刃と、メルヒナのロッドが打ち合い、火花が散って金属音が響く。

 その瞬間、闇の魔力が増幅し、ロッドがガチガチ震え出したので、メルヒナは反射的に距離を取った。

 見れば、黒騎士の剣とロッドが接触した部分は、黒く焦げ、さらには錆びついていたのである。しかも刃の魔法も強制的に解除していた。

(うわあおっ、マジでマジの闇魔力だぁ…! やっばー、いきなり禁じ手使って来た…!)

 焦りつつも、どこかメルヒナは滾っていた。

 闇魔力の使い手が魔王容疑者である、という道理は把握していたが、実際のところ、闇魔力を使う戦士と相対あいたいした経験はなかったのである。

 だからこそ彼女の中で闇魔力というのは、あくまで法で禁じられた手段であり。

 それを初手で当たり前のように使って来た黒騎士に、驚きどころか畏敬にも近い感情があった。

「うふふっ、お、面白っ…!」

「メルヒナ待て! 突っ込むな!」

「分かってるよ、今のは小手調べだから! 召喚κλήσεις召喚κλήσεις、“ジャッカス”!!」

 呪文を二度唱えた瞬間、メルヒナがまたがる馬が一瞬で霧散し、姿を消す。

 ――と同時に、黒騎士の背後に黒い霧があふれて馬が姿を現し、後ろ脚で蹴りをかました。

「ぐっ!?」人命にかかわるとすら言われる馬の足蹴を喰らって、勢いよく吹き飛ばされる黒騎士。

 召喚の魔法を二連続で使うことで、召喚物を戻して再度召喚する。一見して意味のない行為だが、召喚位置を変えることで背後からの奇襲に転用するメルヒナの技だった。

 さらにロッドを突きの態勢で構え、メルヒナが挟撃する。得物の切っ先は、黒騎士の頭頂部を目掛けていた。

(――った!!)

 ところがロッドが突き刺さろうとした瞬間、黒騎士に触れた部分から忽ちその柄は削れ、崩れ、そして最終的に弾かれたのである。

(削れたっ、弾かれた!? あの態勢からぁ!?)

 メルヒナの態勢は崩れてしまい、さらに黒騎士とぶつかって、そのまま地面を転がる。

「あわっ!」

 さらに黒騎士に絡めとられるようにマウントポジションを取られ、メルヒナは身動きを取れなくなる。

(うわっ、闇魔力だけじゃなくて体術もできるの…?! しかもなんか、アニュラスの兵士道場っぽい動きだし…!) 

 その隙に、黒騎士は拳を構えた。

「っ!! じゃ、ジャッカスぅ~> <!! !!」

『――召喚κλήσεις

 メルヒナの助けに応じて黒馬が呪文を呟くと、黒騎士の下敷きになっていたメルヒナの身体があっという間に消え、今度は馬にまたがるように姿を現した。

「おい無暗に突っ込むなって!!」

 ディータが素早い動きでメルヒナの傍へと駆け寄り、2対1の構図を維持して黒騎士と相対する。

「う、うん、ちょっとやめとく…^^; もうね、肝が冷えっ冷えだよ…ロッドも壊れたし」

『xxx!!』

「あう、ジャッカスもごめんね~^^;」

「この騎士は二人がかりでも危険だ。目を離すなよ…!」

と言いつつ、ディータの頭の中では戦い以外の思考回路が忙しく巡っていた。


(黒騎士…こいつは結局、俺たちアニュラスの敵なのか? あのとき竜を追い払ってくれたのは何だったんだ。それにあの手紙も渡したはずなのに――くそ、いったい何を考えてるんだ…!?)


 迷いの中で、ディータは弓を引く。

 矢の先は黒騎士の足を目掛けていた。

「――旋風の魔法κυκλώνας

 さらに呪文を唱えると、エンチャント技術によって魔力が矢じりに纏われ、辺りに風が吹きすさぶ。

 矢にエンチャントを施す技術は、矢が使用者の身体から離れるという点で極めて高度であるが、ディータは日々の鍛錬で、その荒業を可能にしていた。そしてその一矢は弩砲バリスタを優に超える一撃となる。


 弦から放たれた矢は、風で地面を抉り、落ち葉を巻き上げ、黒騎士の足を目掛けて高速で射線を描いた――

 しかしあろうことか、命中する寸前で黒騎士に、命中することはなかった。


「つ、つかんだぁ…?」メルヒナすら戸惑いの言葉しか出てこず、ディータは息を呑んだ。

 彼女に掴まれた矢は、ぼろぼろと崩れ、折れるというより灰のように散った。

(黒騎士…まともに相対するのは初めてだが、これほどとは…! デミス隊員と比べて勝るとも劣らない。単騎で竜を追い討てるわけだ)

 ディータは、一瞬だけメルヒナを窺う。恐い者知らずの彼女も、さすがに黒騎士の荒唐無稽の所業を前にして、慎重さを覚えつつあるようだった。

「…ディータ」

と、小さく声を掛ける。「黒騎士、思ったよりヤバいかも。隊長レベルに強くない…? ジャッカスに思いっきり蹴られたのに普通に動いてるし^^;」

「ダメージを通す手段がないな。闇魔力のエンチャント――かの『魔王』と同じ力だと聞いたが、これほどとは…」

「うう、私もゼン先輩の妖術みたいのが使えたらなぁ…><」

 そんな呟きを聞きながら、ディータは考えを巡らせる。

(計り知れない実力だ。1対1で戦って勝てる相手じゃない。そもそも黒騎士の方が竜より遥かに強いうえ、もし本当に『魔王』レベルなんだとしたら、2対1だとしても全く無謀な戦い……だが、それは黒騎士が本当に俺たちの敵だったらの話――)

 これまでの戦闘を思い返し、ディータは違和感を覚える。

 竜を追い払ったときの黒騎士と、いま戦っている黒騎士との、決定的な違い。

(そうだ、“あの技”。闇魔力の波動を放つ技――! 黒騎士は竜を一撃で屠る力があったはずなのに、あの技を使っていない。なぜだ?)

 エンチャントによって闇魔力を体と剣に纏ってはいるが、それをアグレッシブに使っているというより、ただ防御に使っているという印象があった。

 いまもレイピアを構えているが、その切っ先は地面に向いており、攻撃態勢を取っていない――思い返せば、メルヒナにマウントポジションを取った時も、

「…ディータ」

 メルヒナが耳打ちする。「タイマンで戦っても、黒騎士は討てなさそうだよ。隊長と戦うときみたく、二人でやらないと」

「……」

 ディータの中では、まだ迷いがあった。

 黒騎士は命の恩人で、だが王に仇名す大罪人で。

(でも、それでも、俺はこいつを討たないといけない。そういう立場だ――)

「……合図する」

 ディータが一言応じ、メルヒナは頷くこともなく、ロッドを構え直した。

 黒騎士は黄金の瞳を素早く動かし、二人の表情を窺った。そのレイピアの先は、まだ地面のほうを指している。

 3名の沈黙。

 ふと風が吹き、落ち葉が動く。

 ――その瞬間、ディータは、弓を手放した。

(“合図”!!)

 弓が地面に触れるよりも早く、メルヒナが動く。ロッドを構えて突撃し、黒騎士は即座に素早く反応してレイピアの切っ先を上げた。

召喚κλήσεις召喚κλήσεις、“ジャッカス”!!」

 連続で召喚の魔法を唱えて。

 瞬間、ジャッカスが姿を消した――それは初段の奇襲と同じ手段であり、黒騎士はすぐに背後を振り返る。

 しかし黒馬の姿はない。

「…!?」

 召喚の魔法のうち、二度目の詠唱はブラフだったらしいと気付く。そして黒馬はまだ、どこかに隠されている。

 黒騎士は即座に振り返った。

 メルヒナのロッドは、その時すぐそこまで迫っていた。

「――λεπίδα!!」

 さらに素早い詠唱とともに、ロッドの先のリーチが伸びた。

 たったナイフほどの刃渡りのリーチの延長が、黒騎士の首を、ちょうど捉えたのである。

 “ぞりっ”

 ペーパーナイフの刃の腹で紙束をなぞったような感触が、メルヒナの両手を震わせた。黒騎士の闇の魔力を切りつけた魔法の刃は、あろうことか岩肌に擦ったように、刃こぼれしていた。

 しかし同時に、黒騎士の纏う闇魔力の気配が、一部削り取られる。

(相殺できた?! 魔力をぶつければ、闇のエンチャントを相殺できる――!)

 しかし刃を失ったロッドは、ただの棒である。

 黒騎士は、首と肩で挟むようにロッドを固定する。さらにメルヒナの腕を掴み、胴体に蹴りを入れ、彼女を吹き飛ばした。

「うわぅ!!」

 メルヒナはロッドを手放し、地面を転がった。

 すぐに立ち上がるメルヒナ、そしてその一瞬の隙に辺りを見渡し、ようやく黒騎士は気付く。

 

 あのエルフの騎士も、いなくなっていた。

「――召喚κλήσεις、“ディータ”…!」

 そしてメルヒナが小さく詠唱すると、黒騎士の背後に霧が現れ、その影からナイフを構えたディータが姿を現したのだ。

 召喚の魔法の最初の2回の詠唱は、いずれも「召喚されたものを戻す」ためのものだった。

 一度目の詠唱は黒馬を戻すためのもので。

 二度目の詠唱はディータを戻すものだったのである。そして今の三度目の詠唱で、彼が姿を現した。

 召喚の魔法は一度「召喚した」扱いのものを「戻す」こともできる。そして一度戻したものなら再度召喚できる。この雇用関係のような状態は、召喚物のほうから召喚の魔法を反故しない限り有効である。ただしその使用条件として、召喚者は、召喚物の保有魔力に応じた魔力を消費してしまう。

 ディータを召喚したメルヒナは、ほとんどの魔力を使い切った。

 だが、不意に召喚されたディータの奇襲に黒騎士の反応は一瞬遅れ――エンチャントされた彼のナイフが、その心臓目掛けて迫った。


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