第20話 潜伏と追跡
ジークリンデたちは廃寮に二晩ほど潜伏した。珍しく体の休まる時間だったが、長居のリスクも承知だったから、真に心も休まる時間ではなかった。
その間、リリスはシャルルの火傷に対し、繰り返し妖精の唄を施していた。
彼女の言い分によれば、
「妖精の唄で治せない傷、ムッカつく~~!!」
とのことだった。
いわば彼女の練習台になったシャルルは、「実験動物になった感覚です」と零して笑ったが、とくに拒否反応はないようだった。
ハイナは陽が落ちた直後に庭や近くの森に出て、まだ眠る前の植物たちに情報を求めていた。それによれば、今のところ、付近に妖狐のデミスが近づいた形跡はなかった。
ジークリンデは、眠っている時間以外は寮の中を歩き回っていた。部屋数にして二百や三百はくだらない規模でありながら、中はほとんどもぬけの殻だった。皆引っ越して出て行ったのだろうから、当然と言えば当然だったが、まれに残された備品や、カーテンの布を回収して回っていた。
「ん」
そうして見つけたのは、大浴場だった。
浴場中に入ると、傾いた夕日の光が差し込み、中が温かく照らされていた。水気はもうなく、乾ききった浴槽は埃っぽくざらついている。蛇口からガラスに至るまで錆びついていたが、かろうじて自分の姿が反射している様子が見えた。
(そういえば、リリスが言っていたことが気になる…)
彼女曰く、ジークリンデの身体は、一度ひしゃげたようにボロボロなのだという。
改めて体の様子が気になり、ジークリンデは辺りを一瞥してから、服を脱ぐ。そして、くすんだガラス越しに自らの肌を確認した――
「……」
改めて見れば、右腕の黒い変色部は爪先から肩にまで到達していた。鍛えられた体は引き締まっているものの、腹部や背中に至るまで、灰色の痣が擦過傷模様に刻まれている。
水浴びのときなどに服を脱ぐときはあったが、すべて夜のことだった。夜目が利くとはいえ、そこまで自分の容態を正確に把握できていなかった。
(確かに…これは酷い…)
ジークリンデは、ぼろぼろの人形を見つめるような視線のまま、鏡の前で呆然と立ち尽くす。
(アンデッドとはこのことか…。闇病は呪いだが、かろうじて私を生かしている。もし、その呪いを解いてしまったら、どうなる…?)
鏡に手をついて、自問自答を巡らせる。何度考えても、良い結果にはなりそうになかった。あの日、崖から落ちたときに、自分はやはり死んでいたのだと、ジークリンデは自覚した。
もし闇病を治しても同じ結末になるのだとしたら、なんのために治療の旅に行くのだろう。
彼女は浴槽の床に散らばった、一番鋭いガラスの破片を拾い上げる。
「……………くっ!」
そして首に突き立てた。
「………」
鋭い痛みを感じることはなく、自分の握り拳の小指が、首にぶつかる鈍い感覚だけだった。手にしたガラス片を見れば先端はすっかり崩れ去っていた。自分の首に当たった瞬間、闇の魔力によって立ちどころに崩壊したらしい。
(闇病は、罹患者が死に近づくほど、死を遠ざけようと働く……聞いていた通りか)
「この期に及んで、自死も選べないとは。哀れだ」
ジークリンデは力なく笑って、ガラス片を投げ捨てた。
俯いた彼女の下に、ぽつ、と涙が流れ落ち、乾いた浴場を点々と濡らしていく。
「だが…どうせ選べないのなら、腹は決まった」
そう呟くと、ジークリンデは顔を上げ、自分の姿を写すガラスを拳で砕いたのである。
何処かすっとした表情をしてみせると、浴場を後にしようと踵を返した。
そのとき、
「――ジーク! ジークリンデー~!!」
と、どこかから呼ぶ声が聞こえた。
「ハイナ?」
ジークリンデは服を急いで着ると、浴場から飛び出して声の方向へと向かう。
廊下を小走りで進むとハイナを見つけた。焦った表情で、彼女は駆け寄ってくる。
「じ、ジーク! さっき、風の噂で…!」
「なんだ、何を聞いた? 妖狐のデミスか?」
「ち、違う! エルフと鎧騎兵のデミスが、すぐ近くにいるって…!」
「!」
ジークリンデは目を剥いた。
(あの日、ネルフのダンジョンを襲撃してきた二人組か…!)
それから二人は部屋へ駆けこみ、シャルルたちへデミス隊のことを伝えた。
『ああ、なんだって!?』「べ、別のデミス隊が近くに…?」
リリス、シャルルの両人が驚き、表情を固くした。
「シャルルを襲撃した妖狐の報告を受け、応援が来たのだろう。捜索を始めてるとすれば、ここに留まるのはもう危険かもしれない」ジークリンデは淡々と、早口に言う。
『なら早い所逃げようぜ!』
「で、でも動く方が危険かも? 日が暮れるまで、まだしばらく時間があるから…外に飛び出せば、陽依目の追跡魔法が…」
「ああ、それにデミス隊に鉢合わせするリスクもある」
『おいおい! じゃあどうしたら良ーんだ?』
ジークリンデは爪を噛んだ。
(どうする? まだ外には夕日がある。陽依目の追跡魔法はまだ有効だ。今いっせいに逃げれば、いずれ見つかる…!)
思考を巡らせ、息を深く吸った。そうして、ひとつの賭けを思いつく。
「……私がデミス隊を追い払う」
「えっ…ちょ、ちょっと待って! ジークだけでどうにかするなんて、ダメ!」
「そうです! やるなら、俺だって――」
「ダメだ、デミス隊には手を出すな!」と、ジークリンデはぴしゃりと言い放ち、二人は押し黙った。「一度手を出せば、闇魔力に関係なく罪人に認定される。そうすれば、もう言い逃れはできない」
「でも…」
「考えはある。陽が沈んだら、みんなはすぐに屋敷の東に見える丘に移動してくれ」
「ジークはどうするの…?」
「陽が沈んだら後から行く。もし来なかったら――」
「必ず、絶対、戻って来て! 約束!」
ハイナに言葉を遮られて、ジークリンデは口をつぐむ。
「……分かった、必ず行く。待っていてくれ」
「絶対ね…!」
ジークリンデは頷き返し、足早に部屋を出た。
集めたカーテンの布を、顔を隠すように外套として羽織り、そして屋敷の入口の前に立つ。
そして一度だけ、深呼吸をして。
扉を開けて夕方の外へと出た。
陽が沈むまで、あと半刻。
*
「ディータ~。もう陽も暮れちゃうし、どこかで休もうよ」
「馬に乗ってるんだから、もう少し頑張れよ」
「馬じゃないもん!`´# ジャッカスだよ!」
『xxx!!』
メルヒナと黒馬の両方に抗議され、ディータはため息をついた。
「分かった。ジャッカスに乗ってるんだから、もう少し気張れ」
ディータは地図を広げ、辺りを見渡す。「ゼン先輩が襲撃してから『銀術師』は行方を暗ませ、目撃情報も無い。けど目に火傷を負ってるらしい。そう遠くには行けないだろう」
「ゼン先輩が止めをさしてたらなぁ。というかあの人、どこ行っちゃったの?」
「別任務らしい」
「えー魔王容疑者より優先ー?」
「考えてもしょうがない。ともかく目のつぶれた銀術師は土地勘のある場所に潜伏してる可能性が高い」
「でも次の廃寮で目ぼしい探索候補は最後だよー。見つからなかったらどうしよ」
「また考える。見つけられなかったら今日はその廃寮で休めば良い」
「廃寮で? 幽霊とかいそうで、わくわくするねぇ!!^^」
「デュラハンが何を言ってんだか…ん?」
ディータは耳を動かし、口に人差し指を当てる。それを見たメルヒナは、物音ひとつ立てずに沈黙した。
(走る音がした。二足歩行の)
囁くようにディータは言い、音の聞こえた方を指さす。メルヒナは頷き、足の無い黒馬の背に乗ったまま、滑るように移動した。
ディータも足音を殺し、弓を構えて足早に移動する。
(この先には廃寮しかない。走っていたのは何者だ?)
そんな彼の疑問は、数秒後に解消される。
空に立ち上るほどの闇の魔力の波動が見えたから。
「あれはっ…!」
ディータは隠密を止め、全速力でその場所へ駆ける。メルヒナも黒馬を加速し、空を翔け、ひと飛びで向かった。
そうして二人は、対峙する。
闇の魔力に
「……『黒騎士』!?」
ディータはぎょっとした様子で、声を上げた。
(『銀術師』じゃない…!? なんで黒騎士のほうがデュアラントにいるんだ…!??)
動揺のあまり、弦を引いた弓の手を緩めるディータ。
それに反し、メルヒナはすぐにロッドを構え、刃の魔法を発動したのだった。
「うふふーっ、黒騎士じゃーん^^!! なんか知らないけどラッキー、やっちゃおうよ!!」
「まっ、まてメルヒナ!」
「――来ないのか?」
それを見て、ディータは目を細める。
(何か妙な態度だ――俺たちが来るのを予見していた?)
はっとして、ディータは辺りを見渡す。(黒騎士には、仲間のダークエルフがいたはず…どこだ?)
「今度は私を狙いに来たのか、デミス隊」と、黒騎士が言う。
「…あれー?? んー、なんで私たちがテミス隊って知ってるのかな?」
メルヒナが首を傾げる。
(それは俺が教えたからだが…!)ディータは内心焦りつつ、打ち手を考えていた。黒騎士を此処から逃すための、手段を。
「……まあいっかぁ!!^^ 殺せば関係ないしねぇ!」
「!」
メルヒナは手綱を引いて黒馬を煽り、ロッドを振りかざすと、黒騎士を目掛け迫り。
そして黒騎士は、折れたレイピアを抜いた。
用語集(近況ノート)
https://kakuyomu.jp/users/UrhaSinoki/news/16818093088315739960
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