第2章 魔術と学術
第11話 廃墟と銀色
王都アニュラスは東西南北を四大同盟に囲まれている。
その一角、北のデュアラントには魔術師の学院があり、アニュラスで高名とされる魔術師が多数いるほど、各地に浸透している。
「――例の、デュアラントに出たんですか?」
「そうだ」
と、ダーインはきっぱりと頷いた。「陽依目の追跡により、新たに闇魔力が感知された場所が絞られた。『黒騎士』とは異なる足跡だ」
「はあーあ、厄介ですねえ」
男はため息をつき、頭のてっぺんに生えた長い耳の裏をかく。
腰の尻尾は不機嫌に揺れて、切れ長の目は視線の向きを悟れないほど、瞼を細く閉ざしていた。
「どんな輩なんです? 新しい闇魔力の使い手は」
「追跡魔法でもまだ追い切れていない。詳しい素性は不明だが、ごく最近、魔力のみが検出された」
「魔物や自然現象という可能性は?」
「それも含めて、ゼン、お前に調べて欲しい」と、ダーインは答え、さらに続ける。
「情報が不足している。分かっているのは闇魔力があったということ、そして発見場所がデュアラントの学院であることだけだ。お前のような妖狐の力は、相手の素性が分からないときでも役に立つ。それに、お前の足の速さならデュアラントには今晩たどり着けるだろう」
ゼン――狐のような耳と尻尾が生えた男は、肩を竦めた。
「調べるだけじゃなくて、別に殺しても良いんでしょう? まあ、万事了解」
と応じた。
「方法は任せる。ゼン、お前の“妖術”は、手加減が不要な相手にはこの上なく有効だ」
「はいはい。お任せあれ」
と言い残して、ゼンはその場を去った。
*
昼は森や橋の下で身を潜めつつ、夜間の移動を繰り返し、ジークリンデとハイナは、デュアラント地区にたどり着いていた。
「デュアラントには魔術師学院がある……それくらいのことなら知ってるが、実際に来たのは初めてだ」
「私も初めて来た。でも風の噂だと、ここらへんで例のスライムっぽいのがいたんだって」
「どれだけ些細な手がかりでも調べる価値はある。デミス隊に気を付けて」
遠景のデュアラントを見渡すと、とりわけ背の高い塔のような建物が3つ見えた。
「魔術師学院は3つの学部からなると聞いたことがある。あの塔は、その拠点だろうな」
「物知りだね。そういうの、風の噂で聞いたの?」
「あ、いや…」
首を振って口を開きかけて、「まあ、そんなところだ」と、肩を竦めた。
「なんか濁してない?」
「アースバンには港があって、色々な話が聞こえてくるんだ。行こう」
話を切り上げて、二人は街へと向かった。近づくと、夜更かしをする者が灯した明かりがより見えるようになる。二人は人の視線がない路地裏を縫うように、街の中を散策していく。
あるとき、ハイナがジークリンデの肩を叩いた。
「どうもこの辺…らしいんだけど」
夜の暗闇の向こうに、閉ざされた門を見つけた。それは黒く焦げ、不自然に歪んでおり、縄で門を無理やり閉ざされて、立入禁止の札がぶら下がっている。
その門の向こうは閑散として人の気配を感じなかったが、「第三棟」という表札が見えた。
歩み寄って、ジークリンデは門の柵に手を掛けた。灰が指先に付着し、指紋の溝に馴染んでいく。
「なんで門に灰がくっ付いてるんだろう? しかも沢山」
ハイナが首を傾げて、目を細めて門の向こうを見つめた。「えっ? なんかここ建物壊れてない?」
「ああ、そうらしい」
ジークリンデは門の四隅に視線を走らせ、それから塀にも目を向ける。
柵が歪んだ門は、内側から衝撃が加わったことで湾曲していた。レンガ造りの高い塀は部分的に崩れ、地面には破片が散らばっている。柵の内側の敷地内で、何かが爆発したらしい、という印象を受けた。
「あ…。門の向こうから植物の呻き声が聞こえる。痛くて眠れないんだよ。焦げて、火傷したみたいに」
「何か爆発して燃えたらしいな。私たちが此処にたどり着くより前に」
ジークリンデは指に着いた灰を指の腹で擦り合わせる。
その様子を見たハイナが、目を丸くした。
「闇の魔力だ。その灰、残滓が混ざってる」
「じゃあ、ここが闇澱みが出た場所か?」
二人の視線は、柵の向こうに佇む建物へと向かった。
大きな塔がそびえたち、周囲には背の低い一般的な建造物が並んでいるが、見える限りでは、その窓ガラスは壊れていた。
「こういう廃墟みたいのワクワクしない?」
「えっ? 乗り気とはな…」
まさか“行きたい寄り”の意見が出るとは思わず、ジークリンデはため息をついた。
「気を付けて進もう。人目だけじゃなく、何が起こるか分からない状況だから」
二人は身を屈めて塀の亀裂の隙間を潜り抜け、第三棟の敷地内へと侵入した。時折、ぱきっと音を立てて、散らばったガラスが踏み砕かれた。
「……」「……」
息を潜めると、いよいよ虫の鳴き声と風が葉を擦る音、遠くから犬の遠吠えが聞こえるくらいで、いっそう不気味だった。ジークリンデの歩幅が減衰していくと、ハイナもそれに応じて歩みを緩める。
「…ね、ジーク」
「ひっ。あっ。な、なんだ?」
「ちょっとゆっくり過ぎない?」
「えっ? こほん、暗いから慎重にしてるだけだ」
「道が見えにくいんだったら、私が先に歩こうか?」
「頼む――いや、まて」と、ジークリンデは追い越そうとするハイナの肩を掴み、横に並び立った。
「なに?」
「横で良い、横並びで」
「…分かった。ねえ、ジーク、もしかして恐いの?」
「え? い、いや、別に恐いとかではないが?」
「え~? 本当??」
「私は兵だぞ、しょっちゅう夜間警備だってある。別に夜が恐いとか、誰もいない建物とか廃屋が恐いとかそういうことはない」
「語るに落ちてるよ」
「くっ…。だから、別に恐いってことは――。いいから、夜のうちに此処に残った手がかりを探そう」
「うん――でもジーク、建物入れる? 恐いんじゃないの?」
「恐くないし入れる。入れる。入れる」
ジークリンデが自己暗示ぎみに答えたので、ハイナは肩を竦めて笑い、彼女の手を引いた。
ハイナに続いて、崩壊しかかった棟へと足を踏み入れる。月明かりだけで照らされ、ガラス片が飛び散った廊下を見て、その不気味さにジークリンデは降参した。
「ここ、入らないとダメか?」
「入るって言ったのジークなのに?!」
「私は恐がりなんだ」
「あっ、もう全然隠す気ないじゃん? ネルフのダンジョンのときは平気そうだったのに」
「ふむ。確かに…?」
言われてみれば、ジークリンデはそれが不思議だった。
どうやら、何がいるのか分かっている状態であれば、暗い建物も恐くないらしい――と自覚した。
「大丈夫! 今のところ、怪しい声とか息遣いは聞こえないよ!」
ハイナが耳を動かしながら言うので、ジークリンデは、ふうー、と深く息を吐いて廃墟の中を歩き出した。
吹き抜けになってしまった部分の縁に歩み寄る。爆発によって形成された、天井から地下まで通じる穴なので、手すりもない。
「ん? これは……」
ジークリンデが何かを拾い上げる。
銀色の金属片のような見た目だったが、縁や断面はなめらかで、何かが壊れた破片というより鱗のようだった。あたり一帯に散らばっている焦げた残骸と比べても、曇りない金属光沢が目立っている。
ハイナは、じっとそれを見つめた。
「この鱗! 闇の魔力感じる! 爆発を起こした使い手の身体の一部なのかも?」
「どうも、人間ではなさそうだが…闇澱みが出た場所には、もれなく闇魔力の使い手もいるのか」
「デミスかな、それとも魔物? ――ねえ、どっちにしろ、ジークよりも危険な感じがしない?? ほら、より魔王っぽいっていうか……」
彼女の発言を聞き、ジークリンデは改めて考える。彼女には二つの目的があることを。
一つは闇病の治し方を探すことであり、そのためには闇澱みのスライムの手がかりが必要だった。
もう一つは「魔王容疑」を晴らすことである。そのためには、より魔王として有力な存在を見つけ出す必要があるのだ。
それぞれ異なる目的であり、優先順位は今のところ決められていない。ジークリンデは銀の鱗を指で弄りつつ、考えをまとめていく。
(もしこの鱗の主を見つければ、魔王容疑を晴らせる可能性はある……が、相手の今は居場所は不明だ。なら……)
「ハイナ、まずは闇澱みがどこに現れたのか、先に出来るだけ調べよう。もしかすると、あのスライムの残骸とかあるかもしれない――いや、生きている状態で見つけられるかも。闇の魔力が濃い場所を探そう」
そうして、二人は廃墟となった棟の奥へと歩き始めた。
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