第12話 魔術と学術

 廃墟の壊れぶりは酷く、床に穴が開いて、地下に瓦礫が積み重なっていた。倒壊した地下への行程は崖を下るような感覚に近かった。瓦礫の上を飛び降りるように、やがて一番下の階層まで二人はたどりつく。

「なんか、この前入ったネルフのダンジョンみたいだね」と、ハイナはつぶやく。

 ジークリンデは周囲を警戒しながら、安全を確認した。

(このフロアの時点で、地下3、4階くらいはあるな…。なんのための施設なんだ?)

 上を見上げながらジークリンデは推定した。

「あっ?」

と、ハイナが短く声を上げた。また、あの銀の鱗が落ちていたのである。一枚だけでなく点々と落ちており、鱗の主への接近を暗に示しているようだった。

「この鱗…。ねえ、このまま行かないほうが良いかな? もしかしたら闇スライムの方じゃなくて、普通に危ない奴と鉢合わせするかも…」

と、ハイナが耳打ちする。

「寝息とか、何かが動く音は聞こえるか?」

「なんにも……」

 ハイナは目を顔を顰めて言う。

 彼女の発言を聞くと、ジークリンデも判断に迷った。

(使い手か、闇澱みか。どちらかの手がかりだけでも見つかれば良いが)

「…よし、行こう」

「えっ、行くの?」

「こっ、虎穴に入らずんば、虎子を得ず…。ここまで来て、退く手はない」

「あはは……震えてるよ」

 ハイナが呆れた様子で苦笑すると、ジークリンデの手を握った。

 二人は慎重な足取りで、部屋の先へと進む――実験室の前まで、鱗の落し物は続いていた。

「……!!」

 そしてジークリンデは言葉を失い、目の当たりにしたものに慄いた。

「こ、これって……?」

 ハイナが先に一歩進む。

 彼女の前には大きな円筒状のガラスの柱が数本そびえ立っていて、中では得体の知れない生物がその内壁面にもたれ掛かるように息絶えていたのである。

 よく見ればガラスの筒は鋭く刳り貫かれていて、その穴から内側の生物たちがつまみ食いされたようだった。

 観察を終えたハイナが、表情を強く歪めながら振り返る。

「ええ? これ、なにぃ…? 魔物?」

「わ、分からない。私も、こんな生物は初めて見た」

 虫型でも竜でも、ましてスライムやデミスでもない。

 しいて言うならば、複数の魔物の特徴が取り込まれた混沌とした様相だった。

「……合成獣キマイラ、か……?」

 複数の魔物が融合し、個々の特性を併せ持つ改造生物。

 それがキマイラであり、かつ、道徳的に忌み嫌れている研究分野である。

「キマイラ?! って、よく知らないけど法で禁止されてなかったっけ…?」

「世界的にな。アニュラスの同盟内では尚更厳しい。が、そもそもデュアラントは…」

「同盟だよね? だって、さっきジークも言ってたじゃん」

「その通りだ。その同盟が解消された、なんて話は聞いたことはない……が……」

 もしも。

 いつか解消するつもりで、違法の研究がなされていたとすれば、ことの状況は説明可能なものだった。

「――いや、同盟として法を破ったとは限らない。そんな大々的な動きは、きっと星夜見の占いで見つかる。学院の異端者が秘密裏に研究をしていた可能性はある。あくまで個人スケール、アンダーテーブルかも」

「それか、魔王の未来のせいで占いの方が上書きされてた、とか?」

「……それもあり得る」

 今の状況だけで政治的な暗雲は判断しかねたが、少なくとも暗雲はあった。ろくでもない凶兆が。

 学問に狂った異端か、学院ぐるみの謀反か。

 ジークリンデは首を振った。

「ハイナ。私たちはともかく、闇魔力の痕跡だけ探そう。分からないことを考えるほど、余裕のある状況じゃない」

「そ、そうだね! 私も、政治とか全然分からないし……」

 ハイナは何度も頷くと、実験室の中を隈なく散策する。床にはやはり、銀の鱗が落ちていた。

「ねえ、もしかすると鱗の持ち主も此処で実験されてたのかも…?」

 実験室に置かれた円筒状のガラス柱は全部で8本あったが、その1本は割れているのに、中身が入っていなかったのだ。

「その可能性が高いな。できれば、闇澱みとの接触があったかも知りたいが……。他の部屋も一通り調べよう」

 廊下に出たジークリンデは、微かに聞こえる音にびくりと体を強張らせた。

「なんだ、今の音…?」

「えっ、音?」

 ハイナが耳をぴくぴくと揺らす。「どの音?」

「聞こえないのか?」

「……うん」

 ハイナは不思議そうに、ジークリンデの固まった表情を見つめた。

「おかしい。ハイナの耳で聞こえない音が、なんで私に聞こえるんだ?」

「確かに…。どんな音?」

「何かが、引っ掻くような音……」

 ジークリンデは辺り一帯を見渡し、そして音の出どころに気付くと、目を丸くした――音は常に、自分の頭の後ろから聞こえていたのである。

 慌てて後頭部の髪の毛を手で払うと、かさっと音を立てて廊下に何かが落ちた。

 それは、虫だった。

「うわっ」

 ハイナが声を上げる。床に落ちた銀色の甲虫は素早く動きまわり、ジークリンデの足元を抜けて廊下の向こうへと逃げていく。

「あれが銀の鱗の正体? 虫の羽だったんだ」

「追いかけよう!」

 暗がりの中を素早く突き進む銀の虫の後を追い、そうして二人は虫の行きついた場所で、ある物を目撃したのである。

「なに…あれ…?」ハイナが眉を顰めた。

 銀色の虫があつまり、ひとつの形を成していたのである。

 その形状は歪みながら音もなく揺らめき、時折その輪郭から零れ落ちるように銀の虫が床に飛び出ては、再びその塊の中へと戻っていく。一匹一匹の甲虫同士が擦れ合い、ざざざざざざ…と、微かな不快音が続く。

「うわぁお……気持ち悪」

「これはキマイラ――とも、少し違うな」ジークリンデはレイピアを抜き、切っ先を向けて構えた。

「知る限り、このような虫も魔物も見たことが無い」

「私も風の噂にも聞いたことないよ…!」

「ああ。だが……確かな事は……」

 ジークリンデは目を細め、その蠢く集合体を観察する。

 確かに銀色の鱗状の甲虫であり、ジークリンデが見つけた痕跡と合致する特徴だったが、 ひとつだけ、明確に異なることがあったのだ。

 ハイナも同時にそのことに気付く。

「あれ、この虫…?」

「気付いたか――。あの魔力の持ち主は、この魔物じゃない!」

 その見解に気付いたが最後、もはや眼前の魔物への用もなかったが、対して蠢く集合体は二人えものに向けて一斉に動き出したのである。





 同じころ、アニュラス・デミス隊の妖狐、ゼンがデュアラントの学院第三棟に現着していた。

「やれやれ…。捜査権があるとはいえ、夜の学院に入るのは盗人のようで気が引けますねえ」

 彼は門に掛けられたチェーンに指を絡め、

開錠の魔法ξεκλείδωμα

とゆっくり詠唱を呟くと、錠が音を立てて抜け落ち、鎖も自重によって門からすり落ちた。

(例の使い手は、耳を澄ませて見つけるか……) 

 毛でおおわれた耳と尾を揺らしながらゼンは音もなく学院の中を歩き進む。

「ん?」

 しかし、彼が最初に見つけた手がかりは音ではなく、地面に落ちている光るもの――銀色の鱗だった。彼は摘まみ上げると、夜空にそれをかざして、月光を反射させてみる。

「ふーむ…。うっすら闇魔力を感じるような、そうでもないような……ふーむ……。まだ落ちたばかりだったら、持ち主の場所へ連れて行ってくれませんか? 所有の魔法ιδιοκτησία

 すると鱗が浮かび上がり、ふよふよと漂い始めた。ゼンは同じペースでその鱗の後を追う。

(この銀色。もし使い手の身体の一部か道具の一部なら、こちらから見つけ出せる)

 ゼンが歩き進めると、また銀の鱗が地面に落ちていた。

 また一枚、また一枚。

 漂う鱗についていくほど、その枚数は増えていく。

 やがて、月夜の下で佇む人影を見つけた。ゼンは所有の魔法ιδιοκτησίαを解除し、樹の影に身を潜めた。

 それは闇の魔力を纏っている一方、彫像のように静かにたたずんでいて、不気味さを色濃く匂わせている。銀の鱗が蠢き、白衣の背中にたかっていた。

(闇のエンチャントだ…。ここじゃ人相は見えないが、あれで間違いなさそうだ。――銀の鱗に見えるのは、あの虫のような生物か)

 息を潜めて、ゼンは懐から短い武器を取り出し、鞘から引き抜く。アニュラスで一般的な武器は両刃の剣だが、彼が手にした武器は片刃だった。ザハ地域で特に使用される類の刀である。

 標的の隙を伺うゼン。

 呼吸の音が聞こえず、あまりに静かな魔術師の様子に、却って明確な狙い目を失っていた。

(――ん?)

 手元に違和感を感じ、ふと見ると。

 ゼンの刃にも虫が集い、金属の部分を這うように集まって、少しずつ削られていた。

「なっ……!?」

 かすかに動揺したゼンの声。

 そして銀の魔術師が、ぐるりと振り返った。



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