第5話 復活と暗殺

 城壁から飛び出したジークリンデは駆け、逃げていた。

「違う、あれは私じゃない…!!」

 狼狽を零しながら、足は来た道を戻るように西へ向かう。やがて昨晩ダークエルフと話した場所へ、彼女は自然とたどり着いていた。

 ハイナはジークリンデを見つけると、まるで待ち合わせていたかのように手を挙げた。

「お姉さん。戻って来たんだ」

 息も切らすことなく、ジークリンデは問う。

「は、ハイナ…! 昨日会ったばかりなのに何度も話を聞くのは、気が引けるが…。この状態について何か知らないか? 闇魔力が異常なほど強くて、まともに剣も振れない…!」

「闇病よね」

 ハイナは肩を竦めた。「お姉さんのエンチャントがどうして消えないのか不思議に思ってたけど。闇病に罹ると、そうなっちゃうのかも」

 ジークリンデは静かに、ハイナの考えを聞き続けた。

「むかし聞いたときの噂は、ダークエルフ仲間が罹ったときの話だった。一過性の呪いって話ね。でも人間が罹ったときにどうなるのかっていうのは、本当はよく知らない」

「そうか……。一過性の現象というには、長い気がする。人間の私が罹ったからダークエルフと違うのか。だが、それは良い話を聞けた。アースバンに戻ったら医師を探してみる」

「いや、人間のいるところは出来るだけ行かないほうが良いよ」

 ハイナがきっぱりと言う。「闇の魔力は人間にとって毒。お姉さんはなぜか無事みたいだけど――周りの人にどんな影響が出るか、分からないから」

「そ、そうか…」

 人間の闇病の治し方を探すうえで、人間の伝手つてを使えないとなると、ジークリンデは手詰まりだった。しかしハイナの言うように、闇の魔力を纏う人間など、病院はおろか街の門さえくぐれないかもしれなかった。

 加えて、彼女のアニュラスでの立回りが問題だった。デミス隊の指示を無視して逃亡し、さらに王都防壁を破壊した物損も伴い、一介の同盟騎士としての待遇は期待できない――予想されるのは“罪人”としての対応だ。

 八方ふさがりだ、と思ったのは、考え始めて十数秒ほど経過したあとだった。視線を震わせながら、ジークリンデは顔を上げた。

「だとすると…どうすれば…」

「ふふっ、手伝ってあげる!」

「え?」

「私はダークエルフだし、闇の魔力にも多少馴染みがあるからね。それに長命で長旅してたから、あちこちに他の夜の妖精の知り合いもいる。皆に聞いてみようよ、治し方を知らないか」

「しかし、会ったばかりの貴方にそんなことを」

「気にしないで! それより人間の友達が欲しかったんだ。ダークエルフって草木と話ができるんだけど、夜更かししてくれる草木が少なくてね」

「夜更かし?」

「うん。どう?」

 ジークリンデは少し考えた。兵としての彼女は、朝早くに置き、鍛錬と任務に明け暮れる。

 とはいえ任務の都合、夜眠らないこともある。

「――夜更かしか、まあ良いさ。じゃあ、仲間たちに取次ぎをお願いしても良いだろうか?」

「うん!」と、ハイナは血色の悪い顔に、満面の笑みを浮かべた。



 アニュラスでは速やかに事後処理が行われ、セレモニーが定刻通り開始された。王が登壇してスピーチを始め、その背後では、デミス隊の隊長が書記卿へと報告を上げるところだった。

 書記卿、ザイノウルは王の側近であり、王宮内で発生する報告のほとんどは、一度何らかの形で彼へと集まる。

 空中に浮かんだメモ帳に、同じく空中に浮かんだ羽ペンがサラサラと文字を記す。その複雑な書記作業を5つ同時に並行していた。彼は丸眼鏡の奥で目を細め、報告を復唱した。

「闇のエンチャントを使う騎士が侵入した…竜と別件か?」

「さようです」デミス隊隊長、ダーインは頭を低くした態勢で、ザイノウルへと申し出る。「城壁を破壊し、そこから逃亡しました。城壁は魔法で急ぎ復旧しました」

「ダーイン。逃がしたことはさておくが――その騎士、見覚えのある顔だったか?」

「いえ、アニュラスの兵ではありません」

「人間か? デミスか?」

「人間です。あり得ないことに、強い闇の魔力を使っていましたが」

「アニュラスの人民でないとすれば必ず門兵の元を通ったはずだ。鎧は何を着ていた?」

「ぼろぼろでしたが、あれはチェーンメイルかと」

「だとすればロウクエイかアースバンだ……いやそもそも、そ奴は身分を偽り、騎士に変装して侵入したやからではないか」

「それはあります。奴は竜を一撃で斃すばかりか、拘束の魔法αλυσίδαも効きませんでした。実力は相当と思われます。侵入の目的は、現状不明ですが」

 ザイノウルは深く息を吐き、椅子の背もたれに体を預け、指を組み交わして宙を見つめる。しばらく、浮かんだペンの先が紙の上を撫でる音が響き続ける。

 そのとき、部屋の扉がノックされる音が響いた。

「どうぞ」

 すると、一人の紳士が扉の向こうから現れる。

 長い白髪を束ねた細身で長身のエルフ――それを見て、ダーインはとても驚いた表情を浮かべた。

「これは! アゾン様、お疲れ様です。書記卿とお話でしたら、私は一度退出いたします」

「いやダーイン殿、ここにいてくれ。先の“襲撃者”を相手取ったのは貴殿だろう? 話を聞いて欲しい」 

「…竜のことでしょうか?」

「そちらではなく、闇の魔力を纏った使い手のほうだ」

 きっぱりとした口調でアゾンが告げたので、ダーインは顎を引く。

 件の暗黒騎士が侵入していたという事実は、まだ公表されていない。

「アゾン」と、ザイノウルが毅然と、短く声を掛ける。「例の会議に関連する内容なら、話す相手は選んでください」

「彼に話しておく方が、のちに吉兆だと予感している」

「…なら話してください」

「複数の予言会議出席者から、同じ示唆が出た――魔王が復活するかもしれない」

「…魔王、だと」

 短く繰り返したのはザイノウルだった。「馬鹿な」



『魔王』は世界にとって、過去の厄災を示す固有名詞である。

 崩壊、暗黒、劇毒、疫病、発狂、幻惑、腐敗、そんな禍が一時に重なり、多くの命を奪い、未来を脅かした。その諸悪の根源が『魔王』という生命体だった。旧アニュラス・デミス隊が用いたコードネームであり、その通称に劣らない魔境を世に現出させたのだ。

 闇の魔力を常に身にまとい、呼吸をするように災いを振りまいたが、最終的にデミス隊の全勢力を投入した死闘で魔王は討たれ、今の世が訪れた。

 今を生きる全ての人類にとってお伽噺にも近い『伝説』であり、長命のデミス達にとっては暗い『記憶』であり、世界にとっては消えない禍根の『歴史』である。



「本気ですか、アゾン。そんな、過去の亡霊が…魔王は跡形もなく、死んだはずです」

「ええ。おそらく“魔王の復活”とは、かつての魔王そのものでなく、それと匹敵する歴史的厄災が訪れる。あるいは、そのような厄災としてがいる、という示唆だと」

「……なんという」

「本題はここからです。この未来は一通りに確定していない。分岐が見える」

「分岐とは?」ダーインが問う。

「未来の終着点が複数あるということです。珍しくはない――通常の予知では未来の一側面しか見えず、だから複数の予知者が集うと同じ未来、違う未来を見る者が現れうる。ただ私は、その分岐も見える。だから予知の内容が分かれたとき、確度を判定できる」

「つまり魔王が復活する可能性も、復活しない可能性も両方ある、と?」

 ダーインが問うと、アゾンは表情を固くした。

「復活しないという未来ルートは、あくまで最も低い可能性の一つです」

「最も低いだと! なら他に何が起こり得るのだ?」


「魔王級の厄災として覚醒しうる者は一人ではない――いわば“魔王容疑者”が一時代に数名いるということです」


「魔王容疑者…!!」

 ザイノウルが声を荒げ、アゾンは息を吐いた。

「魔王復活ルートは、他のどんな災害の予知より未来が不透明――いや、暗くなる。全てを見通すのは難しい。しかしこの“暗黒期のビジョン”は紛れもなくかつて魔王の時代と同じだ」

「その魔王容疑者に何か特徴は? 分岐が多く、暗い天啓だとしても、何か共通点は無いのですか。少しでも示唆ヒントがあれば」

 ダーインが尋ねると、アゾンは即答した。

「ある。、いま貴殿に話すべきだと思ったのだ」

「……」

 “貴殿に話すべきだと思った”――その発言から、彼は一つのことを閃いた。

「かつての『魔王』は闇のエンチャントを使った……。まさか、それが共通点?」

「左様」

?」

「――ならば策はシンプルだ」

 冷たい声で告げたのはザイノウルだった。他の二人の目が彼に向く。

「この件、疑わしきは罰する。元より例の騎士はアニュラスで闇の魔力を行使した罪人。まして魔王と同じ闇のエンチャントの使い手だったというのなら……魔王の芽を摘め、ダーイン」

 彼は鋭い目をダーインへと向け、短く息を吸った。

「魔王が復活しない未来の確率が最も低いとてゼロでないなら、未来を手繰り寄せるまで。アニュラスと王の円満なる秩序に誓い――全ての魔王容疑者を、暗殺する」






用語集(近況ノート)

https://kakuyomu.jp/users/UrhaSinoki/news/16818093088315739960

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