第1章 仲間と刺客

第6話 森と幻獣

 ハイナが紹介しようとした最初の知人は、カルタノアという森に棲むグレムリンだという。

「名前はギィギ。少し悪戯好きなんだけど許してあげてね」

「別に構わない。それより、夜分に訪ねても良いのか?」

「たぶん。グレムリンは昼夜を問わず寝たり起きたりするので」

「……の最中じゃないと良いが」

 ジークリンデは鬱蒼とした木々に月光を遮られた森を見つめた。影の塊のような黒さが先に見える。

 二人は森の中へと入った。闇病に罹ってから、ジークリンデは夜目が利くようになっていた。仄暗い黄金の瞳孔が周囲を警戒してゆっくりと動く。

「静かだな」

「グレムリンは光とか濡れるのが嫌いで地下に棲んでるから。でも、生活音が聞こえないね」

 ハイナは長い耳に手を当てて周囲に耳を澄ます。ジークリンデは目を頼りに辺りを確認したが、動く影は草と木の枝ばかり。

「あっ」

「なにか聞こえたか?」

「夜更かししてる草の声がね。…グレムリンは最近、みんな夜も地下に籠ってるって。なんでかな?」

 ハイナは長い耳をピクピク動かして、情報を収集していた。静かな森の夜に、二人の息遣いの音だけがしばらく続く。

「――二日前、森を凄く激しい音と音が覆ったから、避難したんだって」

「避難? 光が苦手だからか」

「たぶん……。この辺の草木も、それ以上詳しいことは知らないみたい」

「安否が気になる。会えるかは分からないが、奥に向かってみよう」

 森に追い風が吹いていた。落ち葉が夜の奥へ吸い込まれるように動き、草の音が得体の知れない不気味さを漂わせる。二人は、風に背中を押されるように奥へと向かう。

「そういえばお姉さん、家族は?」

と、ハイナが切り出す。「あ、雑談ね」と後付けして。

「……親は遠くで暮らしてる」

「そっか。お姉さんが家に帰らなくても良いのかなって、ふと思って」

「気にしないでくれ、もう何年も前から一人暮らしだ。それに、おかげで家に帰る用事も、今はもうない」

「家に帰る用事がないか…。それは私も」ハイナは肩を竦めて笑う。「ロウクエイ、もうずいぶん長いこと戻ってないな」

「戻らない事情でもあるのか?」

「…ふふっ、別に。ただ散歩が、ずっとずっと終わらないだけだから」

 その回答を聞いて、ジークリンデはそれ以上の追求を止めた。

 ダークエルフの寿命は人間を優に超えるから、彼女の時間感覚にはちょっとした小旅行なのかもしれないが、その理由を聞くのが野暮に思えた。

「私は…家に戻る用事はないが、アースバンに仲間がいる。闇のエンチャントが消えたら、彼らに私の無事を伝えたい」

「そっか」

と、ハイナが頷きかけた時に轟音と光が森を覆い、二人は肩を震わせ、空を見上げた。

(雷か?)ジークリンデは周囲を素早く見渡す。

 近い位置に堕ちたように思ったが、火が上がったような様子はなかった。

「び、びっくりした……」ハイナは、耳を畳むように抑えていた。「耳、きーんとしました」

「妙だな。風は一定で、空も晴れているのに」

「うん。今日も月が綺麗だし」

 ハイナの言うように、宙には満月が雲に隠れることなく、まん丸に浮かんでいた。

「――なら今の雷はどこから堕ちた?」

 そして再び、光と音が森を覆う。

 ハイナは小さな声を上げてしゃがんだが、ジークリンデの目はを捉えていた。

 光の一閃は、空から地上へではなく、地上から空へ昇ったのだ。

「なにこれ? なんでまた?? わたし、光と音苦手なのに」

「ハイナ、しゃがんでくれ。耳も塞いで」

「え? はい!」と、素直にハイナはしゃがみ、ジークリンデはレイピアに手を伸ばす。

 空へ昇る雷は次々と光り、ハイナは光と音にたびたび身を震わせていた。

 その雷が昇る位置が、徐々に近づいて来る。

(自然現象じゃない。魔物か…?)

 俄かに緊張し、固唾を飲む。

 そして雷が再び間近で轟くと、それが姿を現したのである。

 それは牡鹿に似た姿をしていた。

 たてがみは風に揺らめき光に煌き、雷光をバチバチ散らせている。雷光は尾にまで伝って火のように灯り、振り上げると再び雷を轟かせた。『――!!』と声無き声で呻きながら。

「きゃあっ?!」

「しばらく目と耳を塞いで待ってくれ。追い払う」

「な、何か来たの? 眩しくて目が開けられないぃ」

 ジークリンデは再び相手を見つめた。

 相手の特徴を再確認しても彼女の素養が追い付かず、魔物の名前は分からなかったが。

「うん…。多分、なにかの魔獣種だ。鹿に似てる」

「鹿?」

 魔獣は牛や猫と異なり、魔力を持つ獣の種族である。

 その魔獣は首を振り、たてがみを揺らすと‟ばちばちばちばち”、と薪が燃えるような音をけたたましく立ち、雷光が森の中を走って、鹿の角に集まっていく。

「だ、大丈夫? この音、なんか怖気が……髪も逆立ってるような」


 ――次の瞬間、魔獣は角を振り下ろして激しい雷撃を落とし。

 そしてジークリンデは素手で角を掴み、受け止めていた。

 堕ちた雷撃は彼女の腕で闇に呑まれると、光と音を失い、避雷針に喰われたように消えた。

『―――!?』

 魔獣は掴まれた角を振り払おうと首を振り、さらに雷光を纏って、そのままジークリンデへと放つ。しかしそのたびに光は闇に呑まれ、わずかな火花と共に消えてしまう。

『!!、!!』

「どうか、大人しくしてくれ」

 ジークリンデは角を抱えたまま、魔獣へと手を伸ばす。

 彼女にとっては獣をあやすような仕草だったが、獣は怯えた高い声で鳴いて、後ずさるように四肢を悶えさせる。しかし掴まれた角がどうにも離されず、その場でばたつくだけだった。

「森から離れてくれ」

 暴れる獣を制するため、ジークリンデの手に自然と力が入ったその時、角を握る拳が突如、砂を握るような柔らかな感触を手にしたのである。

「えっ?」

 彼女は驚いた。さっきまで握っていた角が灰のように脆く崩れ、ぽっきりと折れたから。

『……!』

 角が折れた魔獣は、ひ、ひ、と鼻を高くならし、ジークリンデの脇を抜けて慌てて逃げ出して、そのまま森の外へと風のように駆け抜けていった。

 その背中は、命を脅かす強敵に出会い、生存のために逃亡を選択した野生生物のそれだった。

 後には折れた角の先が地面に残されていた。

「もう行った?」

「ああ。なんとかなった」

「ふう、凄い雷だったけど、意外となんとかなったね」

「魔獣は、偶に相手をしていたからな。竜の相手よりは慣れてるんだ」

「お姉さんが慣れてる人で良かったです」

 安堵の息を吐いたハイナは目を開けて、周囲を見渡す。暗くて静かな森の心地よさが戻っていた。

 そしてジークリンデの足元に、先がとがった螺旋状の物体が転がっていたのを見て、息を止めた。

「えっ、ちょっ…! お姉さん、それなに!?」

「さっきの魔獣の角だ。暴れないよう掴んでいたのだが、急に折れてしまって」

「いや魔獣じゃない! ソレ、幻獣種! ‟フュルフーレ”の角! し、知らない!?」

「幻獣種? さっきの鹿が?」

 ジークリンデは目を丸くして、獣が逃げていった方向を見遣った。

「すまない。幻獣種のことはよく知らなくて。アースバンでは見たことがなかった」

「いや、私も百年に一回くらいしか見たことないけどさ。“生ける雷”とか言われてるフュルフーレの角を掴んで普通に生きてるの、ヤバいよ…。しかも折ってるし?」

 ハイナはおっかなびっくりに角に樹の枝で触れる。バジッ、と弾ける音がして、枝の皮が焦げ、めくれ上がった。

「わっ」「わっ」

「いや、なんでお姉さんも驚いてるの?」

「掴んだとき、そんな雷のようなもの感じなかったぞ?」

「そんなはず――あ、そっか。お姉さんは闇の魔力を纏ってるから、雷が身体に伝わる前に無力化されたとか?」

 ハイナは自分で言いながら、驚いたように目を丸くしていく。「強い闇のエンチャントが持続すると、そんな効力があるなんて知らなかった。ねえねえ、もう一回触ってみて?」

「え…いや、ちょっと恐いんだが…」

「さっき鷲掴みしてた人が、何言ってるの?」ハイナは肩を竦めた。

 ジークリンデは、こわごわと黒い指先をのばす――角の先端に触れた瞬間、黒い火花が散ったが、それ以上に光りはしなかった。

「……す、凄ぉい!」

 ハイナは感動を零した。

 そのとき、


「……お、お前たち…!? あのフュルフーレに、何したんだ…?!」


と声がした方へ、ハイナ、ジークリンデが同時に素早く振り返った。

 するとそこには、地面に擬態したカラクリの扉を開けて、ひょっこりと顔を覗かせるグレムリンがいたのである。

「って、ああ! アンタ、ハイナか!?」

「ギィギだ! 良かったぁ、会えて!!」



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