第7話 仲間と刺客

 大きな耳の先までを覆う、ふさふさの毛並みに、黒く丸い目。ゴーグルを頭に付けたギィギというグレムリンは、地面の扉の隙間から覗きつつ、警戒を眉間に露にしていた。

「お前の隣にいる人間、誰だ?」

「このお姉さんはジークリンデ! 闇病に罹ってるの」とハイナが応じる。

「闇病? 人間が…?」

 皺をよせていた眉間が、今度は困惑模様に変わる。「人間も闇病に罹ることがあるのか」

「ふっしぎだよね! 治し方知らない?」

「知らない。俺は」

 答えながら、ギィギは扉を開け、地上へ這い出てきた。4頭身ほどの体を揺らしながら二人の足元まで歩み寄ってくると、ベルトに括り付けたスパナがカチャリカチャリと小気味良い。

「森へようこそ。ジークリンデ」

「歓迎ありがとう、ギィギ」

「礼を言うのはこちらだ。フュルフーレを追い払うところ、しかと見た。闇病の治し方を探しに来たのか?」

「そーなの」ハイナが脇から頷く。「グレムリンも闇の魔力に詳しいでしょ」

「それはそうだが。闇病はグレムリンの症例が少ない。俺では手に負えないが。一応、おさにも聞くか?」

「…この森の長?」

「本来、人間の前には出ない。でもあんたはフュルフーレを追い払った。少し、聞いてみる。待っててくれ」

 ギィギは再び地面の扉を開けて地下へと潜っていった。興味本位で、ジークリンデはその扉のあった場所へと向かう。

 じっと見つめても、繋ぎ目すら見えない。手で触っても、地面の柔らかさしか感じない。

「あは、その扉は魔法だから探してもそう簡単には見つけられないよ」

「魔法なのか。単なるカラクリ扉の類かと」

 ジークリンデは立ち上がり、手についたの土を払い落す。

 しばらく待っていると、地面の扉がまた開いて、ギィギが姿をあらわした。

「ジークリンデ。おさが此処に来る」

「地面からか?」


『いや、こちらだよ』


「!?」ジークリンデが声の方へと振り返る。

 しかし誰もいない。「……え??」

「そちらだ」

 ギィギが掌で指し示す方向へ、ゆっくりとジークリンデが目を向ける。

 樹の幹に、一匹の蛾が止まっていた。羽に描かれた目に似た模様が、ぎょろりと動き、ジークリンデと目を合せる。驚いた彼女は、一歩退いて、身を固くした。

『フュルフーレを追い払ったと聞いたが、成程、さもありなんと言った思いだ――こんにちは、ジークリンデ。私のことは、ザグマと呼べ』

「ザグマ…」

 ジークリンデの目から見て、ザグマの気配は虫とも、妖精とも魔物とも言えないものだった。

「貴方は? 妖精種か…?」

『そのようなものだ。そちらのダークエルフの娘は、前にも此処に来たことがあったな』

「はい! ジークリンデの友達です!」

『そうか』

 蛾は、はたはたと羽を動かした。『変わった人間よ。私は闇病のこと、さほど詳しくないが、可能な限り教えてやる』

「そ、そうか。ぜひ頼む。治し方があるのか、どうか」

 ジークリンデは語尾を上げた。

『そもそも‟病”という名でかたられるが、実態は‟呪い”故、薬で治るものではない。祓う必要がある』

「でもザグマ様、ダークエルフが闇病に罹っても、一過性ですぐに元に戻るんです。人間はどうして戻らないの?」

『夜に生きる妖精にとって、闇病は火事場の馬鹿力に似ている。莫大な闇魔力を一時的に獲得し、状態が落ち着けば呪いも失われる――だが人間。貴方にとって闇の魔力は毒にも力にもなる。純粋なメリットだけでなく、代償付きの力だ』

「そうだ。少し体調も悪い」

『“少し”か。それは毒で回復しようとしている状態、とでも言えば良いか――実際の貴方は死にかけだ』

 ザグマはきっぱり告げたので、ジークリンデは目を丸くした。

『闇の持つメリットとデメリットが共存した均衡状態バランスにある。死の淵に近付くほど、闇が一時的に増幅して力となり、貴方を生かそうする――しかし同時に毒となって、死の淵から大きく離れることもない。その繰り返し』

「……今際いまわきわで、自傷と回復を繰り返しているような状態?」

『正しく、端的な解釈だな。死にかけた覚えはないか?』

「ある」

 ジークリンデは崖から落ちたときのことを思い出した。あのとき、彼女は文字通り死にかけていた――しかしなぜか同時に闇病が発症し、死の淵の向こうへ渡らなかった。

『回復と自傷。それだけなら良いが、副産物として闇の魔力が増幅した時、貴方だけでなく周囲に及ぼす影響も鑑みると良い。人間が用いる闇の魔力は、手に負えない作用をもたらす』

 ジークリンデは、これまで起きた出来事を思い返す。どれも一介の兵にかなうはずもない、破壊的な出来事ばかりだ。

 もし仲間に矛先が向いたら…と思うと、ジークリンデは息を呑んだ。

「――どうすれば治る」

『治す方法は知らない。私の知る限り、一過性の呪いだから。貴方が闇病に侵された原因も知らないからな…。自分がなぜ闇病に罹ったのか、原因を考えてはどうだ?』

「原因?」

『私から伝えられるのは対症療法だ。闇の魔力に馴染みたいなら、夜の妖精の習性を真似ると良い。だが根本的な原因は、貴方自身が知るだろう。振り返ってみると良い、自分が、いつ、どうして、闇病に罹ったか』

 ジークリンデは視線を動かし、記憶を巡る――そして思い至る、あの崖の底での出来事。

「あのスライム…?」

 呟いて、ふと顔を上げると、もう蛾はいなくなっていた。

 俯いて考え込むジークリンデに、

「スライムって?」

とハイナが声をかける。

「闇病に罹る直前、私は竜に襲われて谷底に落ちた。そのとき下敷きになったスライムがいた、暗い色だった。あのスライムが緩衝材になったんだと思っていたが、実際に私を生きながらえさせているのは闇病だった」

「もしかして、そのスライムが闇病の原因とか?」

 ハイナが眉を上げて手を叩いた。

「なら、スライムにくわしそうな知り合いに聞いてみるか?」と、ギィギが提案する。

「いるのか?」

「心当たりがある。けど変わったデミスだ。ダンジョンに棲みついてて、まれにこの森に来る奴だ」

「えっ、ダンジョン?」ハイナが顔をひきつらせた。

「ダンジョンに、とな…奇特な」

 それはかつての『魔王』の時代に現出した構造物である。

 闇の魔力が濃く、暗黒色の空気で満たされていて、まともに視界が効かないということが知られている。

「名前はネルフ。長命で、グルメなやつだ。いろんな魔物を食べようとして、そのときに知識も身につけたと聞いた」

「食べる? 魔物を?」

「といっても血だけ、をだ。……というのも吸血鬼ヴァンパイアだからな」

 ジークリンデは合点がいった。だから、四六時中真っ暗なダンジョンのなかにいるのだと。

「どうする?」

「少しでも手がかりがあるなら、話を聞きたい。ギィギ、ダンジョンまで案内を頼めるか?」

「任せてくれ」



 その頃、アニュラスの暗部にて。

 デミス隊のメンバーたちが集まり、秘密のブリーフィングが行われていた。

「――魔王?」

「そうだ」

 ダーインははっきりと頷いて肯定した。「予言会議において、最悪の未来の可能性が示唆された。そこで、我々で魔王容疑者を見つけ出し、暗殺する」

「暗殺って…! 本気なのか、ダーイン」若いエルフの兵、ディータは動揺した様子で聞き返す。

「一抹の不安すら残すべきではない事案だ。一人でも容疑者を取り逃せば、将来取り返しのつかない禍根を残すかもしれない」

「だからって目についた闇エンチャントの使い手を、みんなんのかよ……?」

「そうだ。そのためにひとまず、先日のアニュラスの侵入者を標的とする」

 ダーインが冷酷な口調で言い切ると、ディータは目を剥く。

「あの騎士を…?」

「ふふ、おもしろそー^^」

と、誰かの歓声が上がり、ディータの困惑を上書きしたので、彼はキッと顔を顰めた。

「メルヒナ! これは笑い事なんかじゃ」

「良ーじゃん良いじゃん~。ねえダーイン、ウチが出ても良ーい?」

 あくまで無邪気な声色のまま、元気よく手を挙げた。

「……なら、メルヒナ。君に命ずる」

「やったー><」

「ダーイン! ほんとに本気なのか?」

「冗談で命ずることはない。むしろ、この件は成功確率を確かなものにする必要がある。……もう一人、この任務に就く気のあるものは?」

 ダーインの呼びかけに対し、メンバーは各々の顔色を窺う。

 平然とした表情の者、軽く驚いてはいる者、悩ましそうにする者、面倒そうに顔を顰める者――

「……誰もいないか。なら、私が」

「俺が行く!」

と、ディータが手を挙げた。

 メンバーの視線が彼に注がれ、メルヒナは嬉しそうに手を叩く。

「決まりだねー^^。そんじゃあ、ディータとウチで行くね!!」

「任せる」

 ダーインは深く息をつき、背筋を正して眼前に並び立つディータとメルヒナ、それぞれの顔を見てから、改めて任務を命じた。


「コードは『黒騎士』。アニュラスに侵入し、闇のエンチャントを行使した罪人であり、魔王容疑者の剣士。その暗殺を、貴殿らに命ずる」


 ディータが毅然とした表情で、メルヒナが微笑の声を零しながら、それぞれ頷いたのだった。


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