第3話 竜と精鋭
アニュラスは屈強で大きな城壁が円環状に街を囲んでいる。
その西門に、ジークリンデはたどり着いていた。王のスピーチのおよそ3時間ほど前、街は
「ジークリンデ。アースバン、レオン隊、と…」
門兵は彼女の訪問に応じ、身分を確認した。
護衛に招かれた兵には偽装が困難な装飾を施した通行証が渡されており、それを手渡すことで身分の証明に代える――ちなみに偽装が困難な装飾とは、封筒に施された封蝋の「魔法陣模様」である。
「ああ、あったあった。
「あ、ああ。実はちょっとした事故があったんだ。それで、私だけが遅れた」
「そう、ならさっさと行きな。もうセレモニーが始まるんで門も閉めるんだ」
「分かった――ところで、レオン隊はどこに?」
「さあな。中央部の指示係に聞け」
そうして門を通過し、ジークリンデはひとまず、アニュラスの中心を目指し始めた。
(私の隊は西から来てるはずだが、西に配置されてないんだろうか? 早くみんなに会いたいのに)
人ごみをかき分けながら、ジークリンデは足早に行く。
行きかう人々に混ざり、既に着任したらしき兵たちが見受けられた。特徴的な兜と腰巻を装備した兵を見ると、ジークリンデはあることを察した。
(あれはデュアラントの兵じゃないか? 北の同盟が西に配置されているということは、護衛の配置は完全にランダムか、持ち回りらしい)
さらに中央へと向かうと、デュアラント兵に混ざり、装備と雰囲気の異なる一人の兵が見えた。
(あ、あれは)
鎧は軽装ながら、腰や背中にナイフや弓を装備しており、その立ち居振る舞いには鉄のような屈強さが纏う。背は決して高くないし、体も大きくないが、歩く・見渡すという簡単な所作の一つ一つに機敏さと隙の無さが感じられた。
そしてその胸元には、ごくシンプルながら、付ける者を選ぶ円環称号を付していた。エルフの兵士、とりわけアニュラス内部において「精鋭」を謳う、“アニュラス・デミス隊”だった。
(アニュラスのデミス隊……。彼らも巡回に当たっているのか。今日はとくに厳戒態勢らしいな)
ジークリンデはそう解釈していた。
一方、
(あーあ、退屈だ。巡回警備っても、アニュラスに攻め入る無謀がいるとは思えねえが)
退屈な心境を匂わせることもなく。
ジークリンデと彼は、大通りの中で10歩ほど離れた距離ですれ違った。
(あのデミス隊もすでに動いているのに、私がのんびりしているわけにはいかない! 早く行かないと)
と焦るジークリンデは前を向き、
(……ん? 今のは)
退屈していたエルフは、ふと振り向いた。
視界の端をよぎった名も知らぬ兵は、既に人ごみに紛れて、遠く離れ見えなくなっていた。
「気のせいか。闇の魔力を感じたが…いや、闇のエンチャントなんて、人間に出来るはずない」
踵を返すと、エルフは西の方へと向かったのだった。
一方同じ頃。
「ごほっ、ごほ…。うし、そろそろ門を閉じるぞ!」
掠れ気味の声が響くと、歯車のけたたましい音に続き、門が閉ざす音が轟いた。
「おし、とりあえず俺の仕事は仕舞いだな。一仕事した」
「よく言う。今日通ったのは結局、アースバンの兵一人だったろ?」
「昨日までに大方入場終わってたんだ、今日の仕事は、あの遅刻女くらいで妥当さ…。う、ごほっ!!」
「お前、大丈夫か? さっきから」
「あぁ、なんか喉がな…。たぶん風邪だよ。休めば治……ん?」
晴天なのに突如、顔に影が掛かったので、門兵の一人が空を見上げ。
陰った顔を、さらに青くした。
「お、おっ、おい! あ、ああアレ!!」
「うん? なんだよ」
もう一人も視線を向けると、同じように顔を青くして、目を丸くした。
「う、あああ!!」
それの到来は、門兵以外に警戒にあたっていた西の配置されている兵士たちもすぐに気づいていた。
その招かれざる来客は、高い高い城壁の上に爪を立てて足を掛け、翼をはためかせていたから。
「赤竜だァー!! 西の城壁上!!」
デュアラントの兵の声を合図に、今度は悲鳴が響くと、市民たちが一斉に駆けだす。
「誘導班、市民を避難! 残りは防衛に当たれ!!」
「でも魔物に一般兵装じゃ…!」
「退け、デュアラントの」
静寂な湖に落ちる雫のように、声がやけに響くと、エルフの兵がその場に風のように現れた。
「あ、アニュラス・デミスっ…! 速い! 来てくれたか!」
「飛竜か。厄介だが、此処で撃墜する。はやいとこ市民を避難させてくれ!」
エルフは背中のクレイモアを抜くと、ひとっ飛びで家屋の屋根へ、そして屋根から屋根へと伝い、空高く飛び上がった。
それを見た飛竜も跳びあがったが、エルフは翼に取り付くと、刃を突き立てた。
怒号と悲鳴に似た竜の咆哮が轟き、さらに傷口に追い打ちをかけるように、エルフは拳を思い切り打ち付ける。
そうして竜は忽ち墜落し、大通りのレンガを巻き上げ、地に臥した。しかしすぐに首と翼、尾を激しく振り上げて、エルフを払いのける。
エルフは身をひるがえして竜の体の上から地上に降り立つと、腰の二本のナイフを手に取った、彼が構えを取ると、ナイフの背に沿うように青白い光が刃状に伸びていく。
ごく軽いナイフすら一級の業物に変える、魔力のエンチャントだった。
翼を負傷した竜は怒りに狂った声を轟かせ、相対するエルフは“ふう”と平静な一息を吐いた。
「来いよ竜公。飯が欲しいなら、このアニュラス・デミスの刃、好きなだけ喰らわせてやる」
*
中央にエリアにたどり着いたジークリンデは少し道に迷っていた。厳密には、そこは大きな広場であり、道が無いから迷っていたのだが。
「こほっ…んん、困ったな。中央部の指示係、というのはどこに拠点を置いてるんだ」
広場の端に沿って歩いたものの、徐々に集まりつつある人ごみのせいで見通しが効かず、背伸びをしては場所を移動して、を繰り返していた。
そうして広場を一周しかかったころ、西エリアから全速力で駆け抜ける兵を見つけた。特徴的な帽子を被っていて、それが伝令班であることは見て察しがついた。
(あの人について行けば、中央部に行けるかもしれない)
伝令はやがて、看板も付いていない建物の扉を開けて、身を滑り込ませるように入室していった。あれか、と悟ったジークリンデは後を追い、少し上がった息を整えながら、扉の脇で待つ。
「こほっ…。はぁ」
(なんだか息が上がってるな…。体も熱っぽい、例の呪いのせいか?)
グローブに隠れた手首を覗き込むと、木炭のように暗い肌。
(この肌色…スライムの毒かと思ったが、これも闇病の影響らしい)
そんなことを思いながら扉の脇に立っていると伝達事項が漏れ聞こえ――西エリア飛竜襲撃アリ、応援求ム。
「!?」
驚いて顔を上げた彼女の脇を伝令がまた通り過ぎた。
(飛竜がアニュラスに? 討伐にうって出るのか)
俄かに緊張しだしたジークリンデは腰に佩いたレイピアに触れる。
(応援を呼びに行ったとすれば、アニュラス・デミス隊だ。竜との戦いは、人の相手とは話が違う)
ジークリンデも竜の襲撃の被害者である。自分は偶然助かったとはいえ、そう幸運が何度も起こるはずがないのだから。
しかし何も起こってほしくないと願うときこそ、命運は招かれる。
ざわめきが湖面を撫でる風のように西から広がったかと思うと、
「竜だああ!!」
と誰かの叫び声が広場に響き、人々が一斉に逃げ始めた。
空には不規則な軌道で飛び回る竜、そしてそれに取り付く兵が一人。
(もう来てしまった…! しかもあれは、さっきのエルフのデミス隊――交戦してるのか)
あろうことか彼は空中で竜とやり合い、次々と傷を負わせていた。デミスには生まれつき人間を優に超える魔力の素質があるが、その機動は物理法則を無視する空中跳躍だった。魔力で足場を成し、跳弾するように加速しては、刃で竜を切りつける。
そんな傷を負った竜が咆哮を轟かせると、ジークリンデは顔をひきつらせた。
(あのときの竜…?!)
彼女を谷底へ叩き起こした元凶が、このアニュラスにまで乗り込んできたのだ。
エルフが構えた刃が竜の首を鋭く捉えんとした時、竜は口の中の炎を爆発のような形で放ち、半ば自爆に近い形で、エルフを巻き込んだ。
そうして一人と一頭は、地へと真っ逆さまに落ちたのである。
「ぐぁ! こいつ、自分ごと落ちやがった…!!」
不意に高所から落ちてエルフが呻く。命に関わる高さに見えたが、先に体勢を立て直した飛竜が追い打ちし、尻尾で家屋ごとエルフを薙ぎ払う。彼は立ち上がり際を吹き飛ばされ、別の家屋にぶつかり、ナイフが手から転がり落とす。
「かっ、は……」
まだ息があるのが不思議なほどの一撃だったが、ダメージはやはり深く、エルフは立ち上がれない。
手負いの竜は体に沸騰した血を滴らせながら、怒りに満ちた息遣いに炎を混ぜて、爪を立てた足で一歩一歩と彼に近寄り――
「待て!!」
そしてジークリンデの声が響くと、ぐるりと首を回し、縦裂けの血走った瞳孔を向けて、今度は彼女と対峙した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます