第14話 生存と逃亡
朝。
「……ん」
体を起こした魔術師は、世界が不自然に暗いことに気付いた。瞼が半分しか開かず、さらに見える視野のうち半分近くが黒く焦げているようだった。
「気が付いたか」
そんな彼に、誰かが声を掛ける。
「頑丈だな。それほどの傷を負っていながら、自力で目覚めるとは」
「ここは……?」
「ああ、どこと言ったら良いか…。デュアラントの学院の、近くの森だ」
耳を澄ませば、さわさわと音が聞こえた。
「あなたは誰?」
と、魔術師は尋ねる。彼の声は少し幼さが残っていた。
「ジークリンデだ。君は?」
そんな端的な答えが聞こえると、シャルルは唇を動かして言葉を噛む。
「…シャルル。デュアラント学院の2年生。ジークリンデさんも学生? 第三棟の?」
「いや、私は外から来た。アースバンの元兵士だ」
「兵士? その、どこから聞けば良いか…。俺、どうしてここにいるのですか」
「経緯は話すと長いな。どれだけ記憶がある?」
「え、えっと」
シャルルは言葉を手繰り寄せるように、こめかみを指で掻きながら、一つ一つ時系列を並べていく。
彼の話によれば、いつからか学院第三棟の地下室で気を失っていたそうだ。地下の研究室で何か事故があり、1階フロアで研究中だった彼はそれに巻き込まれた――らしい、と彼は推察を述べた。
昨日になって地下室で意識を取り戻したとき、魔法を使って地上に戻ろうとした。
「あ、そうだ…。多分そのときから、なぜか闇魔力が収まらなくて」
ジークリンデは目を丸くした。
「闇魔力…使えるのか?!」
「つ、使えるって言うか、勝手に闇魔力になっちゃう感じです!」
「“勝手に”…? スライムを見たか? 触れたか? 黒か、紫っぽい色の!」
「み、見ました! 触れました! さっき言ったように気を失って、目を覚ましたとき傍で黒っぽいスライムが。爆発に巻き込まれて、地上から落ちて来たのかも。……でも、なんでそんなことを聞くんですか?」
「それは――」
ジークリンデは言葉を探しながら、ことの経緯を簡単に話した。シャルルの目は開いていなかったが、眉間と眉の動きが彼の感情を伝えてくれた。
「つまり、ジークリンデさんも同じ状況で…? 闇病――聞いたことはないです。研究テーマも、医学とはちょっと違うし…」
シャルルは困惑した調子で、言葉を続ける。
「何を研究していた?」
「たとえば錬金虫って言って…。あっ、その、研究のことは外から来た人には秘密にしないといけないんだった。先生に一応、そう言われてて」
「そうか。その先生の名前は?」
「ニコラース先生」と、シャルルは答える。「生物学とか回復魔法とか、いろいろ研究してて。やば……みんな、俺のこと探してるかな? 先生と話してきます」
「待て」
ジークリンデはシャルルの肩を抑え、彼をその場に留めさせる。「おそらく君は狙われてる。いま、この時間に戻れば、命の保証はできない」
「狙われてる? 俺が…??」
「理由は後で詳しく説明するが、アニュラス・デミス隊が闇魔力の使い手を探してる。覚えはないか?」
「――あ」シャルルは息を呑んだ。「昨日の晩。俺、確かに地上に出た後に襲われて…。抵抗してたんだけど、気付いたら目が燃やされたんだ。あの時は、殺されるかと――そっか、貴方が助けてくれたんですね! ありがとうございます」
「はあ…だが確定だ。君も狙われている。ともかく陽が昇っている時間は動かないほうが良い」
ジークリンデは疲れた様子で息をつきながら言うと、シャルルは何度も頷いて応じた。
そんな二人の下へ、
「お水持ってきたよう。あ、その子、起きたの?」
と、ハイナが声を掛けて駆け寄る。
「私、ハイナ。ダークエルフだよ」
「お、おはようございます…。俺はシャルルです。ダークエルフに会うのは初めてです――あ、でも学院に一人くらいいたかな?」
「ダークエルフにも学徒っているんだ?」ハイナは目を丸くした。「その話、また今度聞かせて! これ、お水」
そう言って差し出したのは、ジークリンデが携帯していた革製の水筒だった。
「ありがとうございます……」
シャルルは右手を上げて、空を掴むように指を動かす。
「あ。見えないんだね」
といって、ハイナは水筒を半ば押し付けるようにシャルルの手に渡した。
「目は痛むか?」
「痛みはさほど…。不思議です。昨晩は目の中に火を放り込まれたような感覚だったのに」
「
「たしか、狐みたいな耳と尻尾が生えてる男の人でした」
それを聞いて、ジークリンデとハイナが顔を見合わせる。
「妖狐ってやつかな? むかしザハに寄ったとき、見たことあるよ」
「ザハ固有のデミスか。どちらかと言えば単なる亜人ではなく魔物に近い妖怪種だったような気もするが…。デミス隊に所属しているのか」
ジークリンデは目を細める。
デミス隊員の数や面々は必ずしも世間に公表されていない。ただし、魔物や魑魅魍魎、同盟外の刺客が相手でも単騎で対応した実績を持つ精鋭ばかりだということは有名である――そのなかには“暗部”とも言えるメンバーもいるらしいのだ。
ジークリンデはデミス隊に妖怪種がいるという噂を聞いたことがなかった。表に出るのはエルフやスプリガンなど、人型の妖精種が主である。
(ふだん表に出ない妖怪種が動いたということは…。その実力が必要な状況だったということか。あの手紙に書かれたいた内容も真実味を帯びて来る)
「ねえ、ジークリンデ。こっち」
と、ハイナが耳打ちするので、二人はシャルルから少し距離を取って声を抑えた。
「あの子、『魔王』の器だと思う?」
「思わない」
「やっぱり?」
と、ハイナは眉を下げた。
なにが残念かと言えば、魔王として顕現しうる有力な闇魔力の使い手とは言い難く、したがって、ジークリンデの容疑を払拭できるほどの情報源と言いにくいことだった。
「これから俺、どうなるんでしょう…」
と、シャルルがぽつりと呟いた。
「……また刺客が来る可能性は高い。が、またその妖狐が来るとは限らない。一度顔が知れた者は、刺客として使いにくいからな」
シャルルは息を呑んだ。
「ジークリンデさん、貴方も暗殺対象だって言ってましたが…。刺客が来たんですか?」
「ああ。運よく逃げたが、次はどうだか」
「そんな…。兵士でもそれじゃ、俺なんか助かりっこない…。ただ学徒なのに…目も怪我したし…」
ジークリンデは息をついた。
第一に、ハイナと申し合わせた通り、眼前の少年が『魔王』として覚醒する線がごく薄いと感じたからだった。自分よりも強大な闇魔力の使い手を見つけなければ、魔王に係る予言の修正には有効ではない。
第二に、少年を見捨てられないという思考が働いてしまったからだった。自分の安全も定かではない今の状況で。
「――魔法は使えるか? 私も貴方も、生存確率を上げたい。私はアニュラスの法やデミス隊のことを少しは知ってる。刺客の動きにも多少勘が働く――貴方はデュアラントの学院にいたんだろう。何を知ってる? 何か出来るか?」
「ま、魔法は得意です! あ、あと研究してた錬金虫とか、結構くわしいです」
「錬金虫? いま貴方の身体の周りについている、銀の鱗のような虫か」
「ええ。もともとゲージの中で飼ってたんですが、スライムに襲われて気づいたらこんな風に…あ、でもエサさえ足りてれば大人しいですよ」
「エサね…。学院の地下で見た虫は、腹ペコだったのかなぁ」と、ハイナが苦笑いを零した。
「む、虫はともかく…。お役に立てると思います! 目は…ちょっと見えにくいですが、魔法で周りの状況は分かるので」
「本当か? 目を瞑って見ろ。これから私は移動する――立っている位置と、立てている指の数を当ててみろ」
指導教官のような口調のジークリンデに緊張しつつも、
「は、はい」
と、シャルルは頷き、もともとあまり開いていなかった瞼をきちんと閉じてから、顔を伏せた。
ジークリンデは足跡を立てながら場所を移動する。そして足を止めると、ハイナに向かって頷きかけた。
「どう、分かる?」と、ハイナがジークリンデの代わりに問いかける。
「
と一言呟いた瞬間、シャルルは人差し指をジークリンデのいる方向――つまり、彼女が最初に立っていた場所を指さした。彼女は足音を立てて場を離れたが、その後は足音を殺して、再び元の位置に戻ったのである。
「そして――立てている指の数は0。両手の指を組み合わせていますね?」
「ふっ……素晴らしい。だが……」
ジークリンデは眉を顰めて、息を呑んだ。
「いまの詠唱は? かなり短かったが」
「略式詠唱です! 学院に入ってから練習して、独学で覚えたんです」
「……独学で?」
「はい! ど、どうですか?」
「ふむ。そうだな…」
ジークリンデとハイナは、同時に互いの顔を見合わせた。
シャルルという少年の実力は、単に闇エンチャントの使い手というだけに留まっていなかったのである。略式詠唱というエンチャント級の高等技術を、若齢にして物にしていたのだから。
そのとき二人が思った疑念は声に出さなかったが、二人とも考えは概ね一致していた。
(この子、やっぱり魔王の器かも……?)
(仲間にはしたいが、監視も必要か…?)
「あの、ダメですかね…? も、もっと他の魔法もあります!」
とシャルルが言うので、ジークリンデは首を振った。
「いや問題ない! むしろ心強い。よろしく、シャルル」
「…はい!」
ジークリンデが差し伸べた手に、シャルルは目を瞑ったまますぐに応じた。
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