第15話 星と太陽
*
数名の人員が任務で王都外に向かったことで、アニュラスの防衛線は一時的に手薄になっていた。そんな情勢でも、残りのデミス隊の実力を鑑みれば、十二分な防衛力はあった――特に隊長であるダーインさえいれば。
ただし彼でもアニュラスの外で実行する暗殺作戦はほとんど経験則が生かせず、いまだ総数も知れぬ容疑者たちの対応に舌を巻いていた――それは予言会議のメンバーにとっても同じだった。
予言会議の占術師“星夜見”のエルタニンは、過去例のない予言会議の方向性の転換に巻き込まれていた。
議長であるアゾンがこう言った。
「予言会議はアニュラス・デミス隊と正式に連携し、常に未来の予測結果の更新を試みることとなった」
周囲がざわつく中で、アゾンは手を叩き、一同の視線を再度集める。
「魔王に関する未来は暗黒に被われ、いまだ見通しがついていない……その精度を高めることは安寧のために重要ゆえ、前線での情報が必要になると判断した」
「では、デミス隊の方々もこの会議に…?」と、誰かが問うと、アゾンは首を振った。
「デミス隊の人員がこの場に来ることはない。だがトップシークレットだった予言会議の内容を基本的に彼らに明かすこととなった――既に“陽依目”の占い師たちは彼らとともに動いている。向こうの情報の伝達は、スーリャという者が担っているそうだ」
(えっ、スーリャが?)
と、内心で驚いていたのはエルタニンだった。
アニュラスの学院における星夜見と陽依目という学派は、善き友とも善きライバルとも言える。そしてそれは、エルタニンとスーリャにおいても同じだった。
入学当初から知り合った彼女たちは、十年足らずの在籍期間で、学派を代表する精鋭としての地位を得ていたのだ。
「話を戻そう――つまりデミス隊から情報を共有してもらうと同時に、我々の予測結果をデミス隊に伝えなければならない。その伝達係を任せたいが、ここはあくまでアニュラスの中だ。予言会議のために外からお越しになった方々には、伝達係は少々荷が重かろう」
「あー、まあそうだな」
と、遠くから壁にもたれかかるライカン・アリオスの声が響いた。「だとすると、占術師先生方が本件は適任だと思うが。如何だ?」
占術師たちは互いに顔を見合わせて。
不思議なことに、最終的に彼らの視線は、エルタニンのもとへと収束したのだった。
「…えっ、私?」
「はっはっは。かように占術師たちの一瞥が集まるとは。吉兆にちがいない」
と、アゾンが冗談めかしく言う。
「ま、まってください。そんな重要な役…! 私で良いんですか? 予言会議に参加したのも初めてなのに」
「デミス隊にも予言会議の情報を伝える、という係を任命すること自体が、初めてだ。そこはとくに問題あるまい。むしろ君のように過去の慣例に詳しくない方が、かえってつつがなく情報伝達も進むだろう。それに、いくつかのコツは伝えておこう。なにより、君は――」
アゾンは固まった表情のエルタニンの前まで歩み寄り、やわらかく微笑みかけた。
そして、耳打ちしたのだ。
(私の目に凶兆は見えていない。少なくとも、君からはね)
「……え?」
「さあ、他に立候補が居なければ伝達係は彼女に任命しようと思う。みな、いかがかな?」と、アゾンは声をあげる。
異議なし、と皆の声が揃ったところで、もうエルタニンは断る勇気が完全に消え去っていた。さらに頭の中では、アゾンの言葉がリフレインされていた。
(凶兆がある人、いるの?)
エルタニンは俯きがちな視線を皆に配った。それは任命への謙遜か、はたまた懐疑か、誰もそんなことを、占ったりしていなかったが――かくかくしかじかで。
エルタニンはデミス隊の本部に訪れていた。心臓の高鳴りは学院入学試験のそれを超えていた。
アニュラスで生まれ育った彼女の目から見て、デミス隊といえば王都の秩序を守る英雄である。憧れに似た感情は少なからずあった。妙な心臓の鼓動の原因はそれである。
(うわあ~。き、緊張~…)
深い呼吸を不規則に繰り返して、ようやく彼女はドアノブへと手を掛けた――が、彼女がノブに力を込める前にひとりでにそれは回り、蝶番が軋んだ。
そうして、扉の向こうからよく知る顔が覗く。
「エルタン。き、来たんだね」
声の主はスーリャだった。バンダナで目を覆っているが、口元は笑みを浮かべていた。
「……スーちゃんもね。見えてた?」
「うん。扉の向こうから、こっち見てたから」
彼女の発言を聞いて、エルタニンは肩を竦める。
陽依目の中でもスーリャの魔法は群を抜いていた。 エルタニンのように知恵と解釈で磨き上げた能力が星夜見の学派だとすれば、スーリャの力は「才能」である。
学院に入学してから学派が分かれる前までの二人は、学年一位と二位の学友だった。学年が進み、そして学派が分かれるときに、道を分かつことになった。
エルタニンの進路の判断基準には、スーリャの実力から距離を置きたいという願いが隠れていたかもしれない。
「は、入って、ダーインさんが待ってるから」
手招かれてエルタニンは敷居をまたぐ。スーリャについて会議室に入ると、アニュラスで高名なデミス・ダーインがいた。彼は椅子を立ち、エルタニンを迎える。
「来たか星夜見。話は聞いている。よろしく頼んだぞ」
「は、はい」ダーインの体格に気圧されつつ、彼女は細かく頷いた。
それから、ダーインは挨拶もそこそこに情報をエルタニンに共有し始めた。すべての情報が、まるで箇条書きに起こしたように端的に整理され、滔々と告げられていく。
アニュラスを襲撃した『黒騎士』。
デュアラントで見つかった闇の魔力の痕跡と魔術師。
「――さらに今、ザハで別の闇が検知されている。これは陽依目から得た情報で、じきに調査に向かう……このくらいか。そちらは? 情報の更新があれば教えてくれ」
「まだありません。ただ、いただいた情報を元に数日以内に精度の高い予知が出ると思います」
「そうか…結構。今後、さらに情報の更新があったら、出来るだけ早急に共有を頼む」
「は、はい! 失礼します!」
エルタニン、そしてスーリャが頭を下げ、その場を去った。外に出た彼女たちは、どっとため息を吐く。
「ふー。緊張した…」
「わ、私も」
「スーちゃん、いつから協力してたの?」
「こ、ここ数日…。国志戴冠セレモニー始まってすぐから」
「そっか。ね、ご飯いかない? 久々に」
「い、いいよ! 行こ」
*
会議室に一人残ったダーインは、占術師たちの様子を思い返していた。
(彼女たちの会話の声色、目配せの様子、立ち位置――あの二人、ある程度親しい仲のようだったが、アゾン様は、あえてそういう人選にしたのだろうか)
取り留めのないことを考えていると、また会議室の扉が開く。
今度は見知った隊員が入って来た――妖狐のデミス、ゼンである。
珍しく肩で息をしていて、全速力で駆け付けた様子だった。
「ゼン。戻ったのか。例の件はどうだった」
「デュアラント学院で闇魔力を使う学徒を見つけ、襲撃しましたが消息を絶ちました――要するに逃げられました」
「お前の妖術から逃げるとは一筋縄ではいかんな」
「対象は銀の虫を纏っています。『黒騎士』にならい、コード『銀術師』、とでも呼びましょうか?」
「…銀の虫?」
「これです」と、ゼンは机の上に銀色の鱗を置いた。「錬金虫です。ご存じでしょう?」
「知っている。が、これをデュアラントの学院で見つけたのか?」
「その学徒が身体に纏っていたものです。最終的には、逃げる際にも目くらましとなっていました。妙な能力です」
「銀色だが錬金虫と呼ばれる所以は、古くから錬金術の触媒になっていたからだ。それには死骸を使えば十分なわけだが…」
「銀魔術師が纏っていたものは生きていました。原産国から錬金虫の甲殻を輸入したものではなく、あえて飼育していたものでしょう。生きた錬金虫には特別な使い道がありますからね――合成獣とか」
「滅多なことを言うな、ゼン」
と、ダーインは顔を顰める。「合成獣の触媒など需要はないはずだ」
ダーインがそう断じたのは、世界のルールが理由だった。つまり合成獣の一切の取り扱いは禁じられているのだ。
合成獣は異なる生物の「身体の部位を合成」するもので、トラに翼を生やすようなものだ。ところがある理論が提唱され、“理論的に可”と認められたことで情勢は一変し、合成獣は禁じられることになる――その理論こそ、「生命の合成」である。生者と死者を合成し、実質的な蘇生を果たす。生命の合成獣は過去の厄災級生物をも蘇生させる恐れがあった。よって理論の発展をも止めるため、合成獣研究は世界的に禁じられたのだった。
「キマイラ研究の発展は取り返しのつかない成果につながる恐れがあるんだ。世界的に禁じられている。アニュラスの同盟なら、なおさら…」
「禁じられているから需要はないと?」ゼンは首を振る。「誰もが求めたからこそ、禁じられたのです。そうでしょう? デュアラントがそうでない、と言えますか?」
「……ゼン」
ダーインは目を細めて、声を潜めた。
「お前、何を見た?」
それからの二人の会話は、誰にも聞かれていない。
用語集(近況ノート)
https://kakuyomu.jp/users/UrhaSinoki/news/16818093088315739960
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