第18話 唄と傷
「り、リリスさん?」
『~~♪~~♬~…♪――』
シャルルの呼びかけにも応じず、リリスは妖精の唄を続けた。
妖精の唄は、詠唱で発動するアニュラスの魔法や、印相で発動する妖怪の妖術と違い、旋律で発動する神秘である。その効能は価値千金とも、劇薬とも言われ、歌を聞いた者の身体能力を不可解なレベルで底上げする。
『――楽になったか?』
「は、はい。なんか、落ち着きました。ありがとうございます…」
『でも目は治ってねえな……アンタ身体どうしたんだ? 有り得ないくらいにボロボロだ。唄がぎゃんぎゃん反響して、殆ど機能しない』
「そ、そうなんですか?」
『まるで屍に向けて歌ったみたいだぜ……おい、ちょっと立て』
「え?」
『早く』
「はい」
シャルルは素直に立ち上がると、瞬く間にリリスが上着の裾を摘まんで、捲り上げた。
「わあっ! ちょちょちょ、ちょっと!?」
『あーもう! ギャアギャア騒ぐな――って、え?』
そこでリリスは、彼の身体を見たのである
そして息を呑み、顔を引きつらせて。
それから、シャルルの服の裾を元に戻す。
『……アンタ、よく……生きてるな』リリスの声は震えていた。
「な、なんです? 俺の身体がどうかしたんですか?」
『ウチの唄が効かない理由がよく分かった。アンタ、ほとんど死者なんだ。アンデッドだ……』
「え?」
『体が一回爆発四散してバラバラになったんじゃねえかってくらい、ボロボロだ。銀色の何かが、継ぎ接ぎになって繋ぎとめてるが……傷が多すぎて、目の火傷なんてとても癒せない』
「ええ…? 俺の身体、そんなことに…?」シャルルは腹部を咄嗟に押さえた。
『――アンタさっき、一緒にいた兵士も同じ状態だって言ってたよな? 連れてけ!』
リリスに手を引かれて、シャルルは部屋を出た。
*
『おい!』
ばん、と扉を叩き、リリスたちが乗り込んできたので、ジークリンデが跳びあがって驚く。先に到来を察知していたハイナは、耳をピクリと動かしただけだった。
「リリス? な、なんだ?」胸を抑えながら、ジークリンデが尋ねる。
『アンタだよな、シャルルと同じ病に罹ってるってのは』
「闇病のことか? 聞いたのか」
『脱げ』
「……えっ?」「はっ?」
ジークリンデとシャルルが声を上げ、ハイナは目を丸くしていた。
『服を脱げって! ほら!!』有無を言わさず、リリスがジークリンデの服の裾を掴んで捲り上げる。
「ちょ、ちょっと――!! ひぅっ!」
「わあっシャルルは見ちゃダメ!」
「目は見えてないです魔法も使ってません!!」
「ちょっとリリス、何を――!?」
『……やっぱりか……』
リリスは顔を顰めると、服の裾を下ろした。
呆気にとられた様子で、乱れた服装のジークリンデがようやく口を開く。
「な、何がだ…?」
『お前も。シャルルも。……死にかけだ。生きてるのが不思議なくらいに』
ジークリンデは息を呑み、妖精の言葉に耳を傾ける。
『シャルルの身体は、一度バラバラになった後みたいな傷痕があった。アンタも似たようなもんだ。シャルルほどじゃないが、身体がひしゃげたような――腕の一本くらい衝撃で吹っ飛んだんじゃねえか』
「腕の、一本?」
ジークリンデは右腕を抑える。“あの日”以来、真っ黒に変色した腕を。
「なにか分かるのか、リリス」
『傷痕の場所はな。でも呪いで生きながらえるなんて、ウチには原理が分からねえ。でも、碌なもんじゃねえってことは分かった。ともかく死にかけた体のまま、生きながらえてるんだ。“アンデッド”みたいに』
「アンデッドだって?」
そう言われて、ジークリンデはカルタノアの森で、ザグマという上位精霊に聞いた話を思い出す。
あの蛾のような精霊も言っていた。実際の所、ジークリンデは死にかけだと。
(それは、シャルルも同じだということか…?)
アンデッドは「死なず生きず」の動く屍である。生きていないから死ぬこともない。生物の形をしているが、ひとつの現象と言っても良い。
『悪いことは言わねえ、出来るだけ静かに暮らせ。別にここにいても良い』
「……いや。残念だが、それは難しい」
『な、なんで?』
「私たちは追われてる身だ。ここに残って、デミス隊に見つかれば貴方にも迷惑が掛かる。できるだけすぐに出ていくつもりだ」
リリスは、困ったように眉を下げて、ジークリンデとシャルルをそれぞれ見遣る。
『なんだってこんなボロボロの奴らを、デミス隊は……。理不尽だろ、こんなの……』
「リリスさん?」
シャルルは、妖精の方を窺う。
リリスもまた、彼の方を見つめていた。『――じゃあアンタら、この後どこに行くんだよ』
「まだ決まってないが、この病を治せる人を探そうと思っている。いま抱えている問題を解決する、根本的な手段の一つだ」
『治す? アンタらの命をほんの僅かつなぎとめてる、その呪いをか? 治すどころか、きっと死んじまうぞ』
「……賭けるしかないんだ。死ぬか、殺されるかの違いしかない。少なくとも私は、自分で選ぶ」
『……』
「お、俺も、あんな恐い思いはしたくない。どうにかして、元に戻れる方法を探したいです」
『……ちっ、そうかよ。ちょっと待ってろ』
そう言って、リリスは部屋を出る。
しばらくすると、棚の引き出しの一つを魔法で浮かせた状態で持ち込んできた。
『昔、他所の学生が宿泊することがあったからな。そのための服が残ってんだ。薬とかガーゼは残ってねえけど、綺麗な布が欲しければ使って良いぜ』
「リリスさん…! ありがとうございます!」
『ウチが探してやるよ。ん――これで良いか。ほら、じっとしてろ』
リリスは引き出しの中からスカーフサイズの布地を引っ張り出し、小さな体の両手いっぱいに広げて、シャルルの目を覆うようにスカーフを巻く。
「リリス、その模様は……」ジークリンデは目を見張った。
『あん? なんだよ』
生地には光る太陽を模した幾何模様のデザインが描かれている。ごくシンプルな柄ではあるが、とある学院に所属する者たちが使用するものである。
「――やはり、陽依目のスカーフだ」
「えっ、陽依目?」シャルルが顔を動かす。
「あの学派にはスカーフやバンダナで目を覆っている者たちがいる。つねに修行者である陽依目のシンボルだ」
「なんでそれがここに……あ、交流会かな? デュアラントとアニュラスの学院交流会があったから」
『たしかに、昔はこの寮の中でやってたぜ。誰かの忘れもんかもな』
「借りておこう。陽依目の修行者を名乗れば目を隠してても不自然じゃない」
「か、勝手にそんなこと名乗って良いですかね…?」
「誰も怒りはしないさ。修行者さえスカーフを付けるのが陽依目だからな」
「ジーク、詳しいね」とハイナが感心したように息をつく。
「ええ、本当に。俺も交流会で会ったことはありますけど、ジークリンデさんも陽依目の知り合いがいたんですか?」
「そんなところだ」
『ともあれこの布で目を覆えば良いんだろ。ほら、巻き終わったぞ』
リリスが布の端を結び、シャルルの目が完全に覆われた。
「ありがとうございます、リリスさん」
『ふん…。ほ、他に欲しいものがあったら持ってけ。どうせウチは使わねえし…。でもアンタら、治すつっても医者の当てはあんのかよ?』
「それが問題だな」
と、ジークリンデは肩を竦めた。「この病の症例は珍しいんだろう。治し方を知っている者も限られるに違いない――だから、ハイナの伝手で、闇魔力に詳しい者を探す」
「任せて! 次は自信ある!」ハイナは胸を叩いた。「ザハにね、闇どころか死に詳しい知り合いがいるから。闇病のこともきっと知ってると思う!」
「死に詳しい…? な、なんかちょっと怖いですけど」シャルルが顔を引きつらせる。
「その知り合いは人間か? それとも、デミスか?」
「ううん、“がしゃどくろ”っていう妖怪種!
「……」「……」
『妖怪~…? まともに口聞ける奴なんだろうな、そのアボロってやつ…』
リリスが難色を示した。『けどちょうどいい。じゃあアンタら、ザハに行くんだな。ウチも連れってくれねえか?』
「リリスさんを?」
シャルルが目を丸くする。
『さすがに此処もう古くてさ。昔棲んでた知り合いの所に帰ろうと思ってたんだが、ウチ一人だと移動が面倒なんだよ。誰かの服に隠して運んでくれればいい。そんな邪魔しねえから。どう?』
「もちろん、俺は良いですよ! 皆さん、どうですか?」
シャルルの問いに、他の二人は頷いて答えた。
「そのリリスの知り合いは誰だ? どこに住んでる?」と、ジークリンデは尋ねた。
『ちと変わりもんだが…。教会でシスターをやってるテレサって名前のやつだ』
「ザハの教会、か」
ジークリンデは少し顔を顰める。「あそこは、アニュラスの関連機関だ。あまり関わりたくないが…」
『事情は分かってら。べつにアンタらが教会にノックしてくれなくても、ウチを近くまで連れてってくれれば良い』
「…そうか。それなら構わない」
息を一吸いし、納得したようにジークリンデは頷いた。
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