第17話 ピクシーと学徒
ピクシー・リリスは、ジークリンデたちをとある一室に招いた。
『さーてアンタら、不法侵入とは良い度胸だなァ? ここがデュアラントの学生寮と知ってのことか?』
リリスは三人の目線の高さを飛びながら、詰め寄るように言う。
ジークリンデは目を細める。
「ここは廃寮だろう?」
『だからって勝手に入って良いのかよ。ウチが先に住んでたんだぜ、学生がいたころから』
「学生がいたころから?」シャルルが目を丸くした。「屋敷妖精だったんですか」
彼の言う屋敷妖精は、狭義にはハウスキーパーとして雇用関係を結んだ妖精のことである。
『元はな。でも今は他に誰も住んでねえ。ウチだってもう、別に屋敷妖精ってわけじゃねェ…。ここだって、別にハウスキーパーなんてしてない』
リリスはどこか寂し気な雰囲気で言う。表情だけ見れば、儚い少女のような面もちで。
『けど先に住んでたことに変りねえ。…で? あんたらナニモン? 来客ってわけじゃないんだろ』
「私、ハイナ! ダークエルフだよ。好きなものは湖の氷」
「俺はシャルルです。デュアラントの学生で…。好きな物はカフェオレです」
「ジークリンデだ。好きなものはリンゴ」
『そーいう話じゃねーー!!』リリスが空中で地団太を踏むので、光の粉がハラハラと舞った。『なんで、ここに、来たんだって話! 理由! Why!?』
「並々ならぬ事情があってな。少し身を隠したい」
と、ジークリンデは端的に答えた。
『そんな説明で納得できるわけ…。だいたい、なんで怪我人連れてんだ? 医務室が先だろ』
「かくかくしかじかで…。今は学院に戻れなくて。この人たちが俺を助けてくれたんです」
『………』
シャルルの話は大人しく聞き入れたリリスは、憮然とした表情のままジークリンデとハイナの顔をそれぞれ見ると、『はあー…』とため息をついた。
『ちっ、しゃあね。分ったよ、適当に空いてる部屋に行け。あっ、でも3階の角部屋はウチの部屋だからな! 遠くの部屋使えよ!』
「あ、ありがとうございます!」
シャルルが応じ、ジークリンデたちもそれに続いて頭を下げた。
*
「はー…、風雨をしのげるだけでかなり違うねえ」
8畳ほどの部屋に腰を下ろした3名は、一息つく。埃っぽくカビの匂いもするが、物がないため、散らかっている印象はない。
彼女たちがいる部屋は窓ガラスが無事で、外気を遮断していた。ぽつぽつ、という音が聞こえ始めたので、雨を悟ったハイナが窓の外を窺っていた。
「シャルル、さっきはありがとう」と、ジークリンデが頭を下げる。「…だが、ここもそう長く留まっているわけにはいかない。次の動きを決めないと」
「私、できるだけ風の噂を集めるよ! デュアラントにはもう追手が来てたし、遠くに行った方が良いかな?」
うーん、とハイナは唸った。
そのわきで、シャルルが手を挙げる。
「その、できれば目の傷を隠しておきたいです。ガーゼか…ただの布で覆うだけでも良いですけど、ちょっと目立つかなって」
「ガーゼか」ジークリンデはふと思い出した。「寮に医務室は無いのか? さっき、リリスが言っていた気がするが」
「新しい寮にはありますけど、この寮はどうでしょう? あったとしても、中身は引っ越ししてるかも」
「まずは探してみよう! 他に役に立つものもあるかもだし」ハイナが頷きながら言う。
「一応、リリスに話を通した方が良いのかな?」
と、シャルルは壁の向こうを窺う。
「俺、ちょっと行ってきます」
「まて。貴方は目が見えないだろう。行くなら私が――」
「あ、でも魔法でだいたい見えてます! それに、リリスさんに話をつけるなら、学生の俺が行った方が良いかな…って」
「はあ…。まあ…そうかもしれないな」ため息混じりのジークリンデは、眉を下げた。「リリスの態度はかなり硬かったが、貴方の話は聞き入れてくれた。学生だからかもしれないが…じゃあ、任せて良いか?」
「はい! もともと俺が欲しいものですし、自分で探してきますね」
そう言い残してシャルルは立ち上がり、部屋を出て行った。
きい、と蝶番の音が止まると、ハイナが口を開く。
「シャルル、一人で大丈夫かな?」
「目はつぶれているが、もともと、明かりのないこの屋敷の中だったら魔法で見る方が夜目が利くだろう。ハイナ、それより話がある」
「なあに?」
「今回もそうだったが――闇の魔力の痕跡を追いかけるとデミス隊と鉢合わせになるかもしれない。彼らもまた、闇の魔力の使い手を探してるからだ」
「うぁ、そっかぁ…。目的違うけど、探してるものは同じってことなんだね?」
ハイナは息を呑んだように、語尾を潜めた。
ジークリンデは神妙に頷く。
「逆にいえば私たちが探しに向かわなくても『魔王』は彼らが先に見つけてくれる可能性もある。そうすれば、追手は自然に終わるだろう」
「えっ…じゃあ、もしかして下手に動かない方が良い?」と、ハイナが肩を強張らせてた。
「理想的にはな。そう、思うが…」
ジークリンデは目を細める。何か遠くのものを見通そうと眉を顰めて、床の木目を見つめながら。
「……どうしたの?」と、ハイナは、彼女の表情を窺うように首を深く傾げた。
「――私は、悪辣な闇魔力の使い手がこの世のどこかにいて、それが『魔王』だと思ってた。だが、実際に見つけたのはシャルルのような学生だ。彼も学院の事故に巻き込まれて……最後には私と同じ闇病に罹患した病人だ。そして病の原因は闇澱みというスライムだ」
「……偶然かな? ジークと状況が似すぎてるかも?」
「偶然じゃないとしたら、なぜだと思う?」
「んー、ん…」
ハイナは小さく唸りながら、考え始めた。「……な、なんでだろ? 分かんない」
「私もだ」ジークリンデは肩を竦めた。「だが、真の魔王を追うより自分の闇病を治す方が確実だと思ってな。ハイナの伝手をもう一度借りたい。闇魔力の使い手ではなく、闇魔力に詳しい知り合いはいないか?」
「いるよ! ザハにいるんだけど、それでも良い? ――ん? あれ?」
「どうした?」
「ねえ……。やっぱまた聞こえたよ、鼻歌」
「えっ」
ジークリンデが幽霊でも見たように顔をさっと青くしたので、ハイナは吹き出した。
*
床が軋む音を抑えながら、シャルルは廊下を進んでいた。
(リリスさん、3階の角部屋だっけ?)
廊下の床には所々穴が開き、乱暴に歩くと抜けそうだったので、彼はとりわけ静かに歩を進めた。角部屋へ向かうと、明かりが扉の無いドア枠から漏れ、廊下を照らしていた。
そして光だけでなく、
『~~♪ ……♬』
という音律も。
(…鼻歌…?)
シャルルは息を殺して、部屋の中を窺い見た。
そこでリリスが光の粉を散らしながら、窓の外を眺めて、鼻歌を歌っていた。
そのハミングは滅多に聞くことはできないという、“妖精の詩”だった。
「……」
シャルルはしばらく、それを聞き入っていた――やがてリリスが、窓に反射した彼の姿に気付くまで。
『~~♪♬………………ぇッ』
羽根を強張らせたリリスは、ぎこちなく振り返り、シャルルを見つめる。
その耳の先まで真っ赤だった。
『な、な、なに、なん……っ!? あ、アンタ…!! なっん…!!』
鼻歌を歌っている所に居合わせた者がいて恥ずかしかったらしい、とシャルルは察し、努めて平静に要件を伝えようと、口を開く。
「こほん、あっ、そ、そのー…。医務し」
『何っ、見てんだぁっっわああああああああんっ!!』
リリスは激怒した。そして、必ず邪知暴虐の魔王を除かんとする勢いで、シャルルをぽかぽか叩く。
「ちょっ、すみません!! 目が見えないので見てないです! でもごめんなさい!!」
『ウチさっき言ったのに! 3階にいるって!! 言ったのに?!』
「すみません! “来るな”って意味とは思わず…!!」
『なんで来たんだよう、わざわざ!!』
「医務室が無いか聞きたくてっ…! 悪気はなかったんです!」
『い、医務室…? 来てばかりでなんでそんな…。てかアンタ硬くねえ? 鉄みたいだぜ』
リリスは、手をふらふらと振りながら不満を零す。
「俺、目を火傷しちゃいまして…。これから外に出るとき、ガーゼか何かで覆いたいな、って…」
『……その目の傷? いつ負ったんだ?』
「はは…昨日です」
シャルルは苦笑いを交えて答えたが、リリスは表情を痛ましく歪めていた。
『なあ、実験が失敗でもしたのか? そんな酷い傷を負ってる奴初めて見た』
「いえ、その、話すと長いんですが…、襲われて」
『はっ? 誰に?』
シャルルは、昨日起きたことを順番に説明した。
一部記憶が曖昧なこともあったが、目を火傷するという致命的な傷を負っても襲撃者から逃れられたのはジークリンデたちのおかげだと。
話を聞き終えたリリスは言葉を探して、空を噛む。
『闇魔力を使ったからデミス隊が…? 闇魔力をまとってる奴なんて妖精には
「たぶん俺が人間で、怪しいから…。それに、魔王の予言もあるらしくて」
『か、関係ねえだろ?! なんだよそれ…』
「俺だって納得できないです。でも有無を言わさない勢いで、現に、目はこんなに……」
すると、シャルルは目が燃えたように熱く感じた。
どうやら目から涙が流れるはずだったらしい。そう気付いたのは、鼻をすすったときだった。
『アンタ…はあ』
そんな彼の頭を抱くように、リリスは両手を回す。
『……~♪…♬♪……』
と、妖精の詩を口ずさみながら。
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