第9話 黒馬と首無し
たちまちネルフが馬鹿力で跳躍すると、メルヒナの喉元へと手刀を差し向けた。
「ひあっ、
首元すれすれで手刀を掠めて、しかしネルフの手がメルヒナの肩を掴み、そのまま鋭い牙を光らせ、首元に噛みついた。
「……ぬっ? こやつ、首が……?」
首の動脈を目掛けた牙の先端が空を掠めたので、ネルフは顔を顰める。
「うふふー^^!! 歓迎ありがとー、……セクハラ鬼!」
メルヒナはロッドを薙刀のように振るい、吸血鬼を振り払った。足場のないダンジョンの空中へ放り出されたネルフは、翼を使い、壁面に取り付いて爪を立てて張り付く。
(この娘……デミスの類かと思ったが、頭と胴をつなぐ首が無いとは。もはや兜は飾りに過ぎない――いや、そもそもこれは)
「吸血鬼さん~? アニュラスではねえ、女性にいきなり触るのはルール違反! まして噛みつくなんて、これもう、言語道断糾弾断罪なんですけど?` ´#」
メルヒナというロッド使いは杖をかんかんと床に叩きながら怒ったように言う。表情は兜に隠れてうかがえない――しかし兜の奥では赤い煙が立ち上り、隙間から漂っていた。
「くくっ、‟女性”? 失敬、あちらのレディたちと比べて、随分と無機質な気配なものでな――貴公の顔にも首にも、血の気を感じぬがね?」
「いま、顔、関係、なくない~???」
兜の隙間から、赤い霧があふれ出す。
(そこでキレるのか?)
と、ネルフはため息をつく。
「血の気が欲しいんだったらさぁ、血祭り開いてあーげる!^^ ――
「……!!」
十字のロッドの先が光ったかと思うと、瞬時に切っ先が伸び、身をひるがえしたネルフの首の皮を一枚切った。
さらにそこから、横一閃の一振り。ダンジョンの内壁が砕け、粉塵が舞い散る。
「悪趣味なロッドかと思いきや、むしろハルバード紛いだな」
「ふふー^^!! それだけじゃないよ~! 貴方みたいな吸血鬼には、十字の武器が
(それはその通りだがな!)
高い再生能力と膂力を持つネルフが、メルヒナの攻撃に大きく吹き飛ばされたり、攻撃を避ける必要性が生じているのは、その武器の構造が由来だった。
普通の剣や魔法なら吸血鬼は避けもしない。
ただこの世の
(しかし、なぜこうも周到なのだ? あえて十字状の武器を用意したということは、こやつの狙いは儂ということか――。それに言動や魔法のスペルからして、アニュラスの魔法も知っている……。ならば真っ向勝負は不利)
ネルフは翼を広げて壁を蹴って離れ、ダンジョンの上方へと飛び上がった。
「逃がさないよ^^! ――
溢れ出した靄と霧の中から、艶めく毛並みの真っ黒な馬が現れた。その四肢は青白い炎に覆われて、蹄は見えない。
「追うよー! 翔けろージャッカス!!><」
『―――xxx!!』
背にあるじを乗せた黒馬は甲高く啼き、前足を気高く上げた。
「こやつ、食事の邪魔だけでなく、人の家の中で召喚魔法とは…! 許せん、どれだけマナーがなっておらんのだ!?」
「でも
(まあそれはその通りだがな!)
馬は空を踏み、宙を翔け、闇夜を飛ぶ吸血鬼へと迫る。馬に乗って刃のついたロッドを振りかざすメルヒナは、騎兵のようだ。
(しかし、‟首と顔のない騎兵”……これは面白い。こいつの正体は、
「しかし昔会った御仁と比べると……はあ、不味そうな上、随分と落ち着きのない娘だ」
「まて~!!><」
*
ダンジョンの上方で魔法と爪と刃がぶつかり合う音が激しく響き、空洞の中で木霊を繰り返す一方、ダンジョンの底で大立ち回りを眺めていたジークリンデたちの前に、もう一人の兵が降り立った。
その兵は、剣を手に構え、その切っ先をジークリンデたちに向けていた。
「……ハイナ、私の背後に」
ジークリンデは、その相手から敵意とも殺意とも取れない気配を感じた。ハーフフェイスの兜で顔の上半分を隠しており、しかし口元は、なにか言葉を探るようにあいまいに空気を噛んでいる。
「こ、この人、エルフ?」
と、ハイナが小声で言う。それを聞いたジークリンデは、一瞬目を細めた。
「君は! ……君は、狙いはなんなんだ?」
口を開いたかと思えば、エルフの兵は、そう尋ねた。
(この声、どこかで……?)
ジークリンデは口を開きつつも、頭の中で記憶を探り始めた。
「なんのことだ? 今の、私に聞いているのか?」
「そ、そうだ。アニュラスに侵入し、王を守る城壁を闇の魔力で破壊しただろう!」
それを聞いて、ジークリンデの記憶が急激によみがえった。
ほんの数日前のことを。
「もしかして貴方、あの時竜と戦っていたエルフか……?」
「君の狙いはなんなんだ。教えてくれ、なぜ壁を破壊した。闇の魔力を使った理由はなんだ。闇の魔力の行使は罪に問われる…狙いはなんだ?」
「ち、違う! そもそも私は――」
そのとき、二人の間にある物が落ちて、べちゃりと鈍い音を立てた――吸血鬼の左腕だった。
「ひっ!」ハイナが声にならない悲鳴を飲み込む。
「……!!」
一瞬上を見遣ったジークリンデは息を呑み、すぐに眼前の仮面のエルフと向き直って、レイピアの柄に手を伸ばす。
「貴方こそ狙いはなんだ! 私の逮捕か? それともあの吸血鬼か? ネルフが何をした!」
「くっ――時間がない」
すると兵は剣を鞘に納めた。
ジークリンデは、どんな不意打ちよりも呆気にとられたように、目を丸くした。
「これを受け取ってくれ」
そう言って、兵は手紙を一枚掲げた。「ここでしか君に渡せない。この暗闇のなかでしか……」
「それは、どういう――」
ジークリンデが質問を終える前に、折りたたまれた手紙が放られた。彼女は咄嗟にそれを受け取る。魔法の罠の気配はない。
「ここから逃げろ。早く」
そう告げてエルフは壁に背をもたれ掛かり、顎で指示をした。
「外に出るんだ、今なら月が曇ってる。外は暗い」
「……行こう、ジーク」
「ああ」
ジークリンデとハイナは二人で走り出す――途中でジークリンデだけが振り返り、エルフに尋ねた。
「貴方、名前は?」
「言えない。今は」
「……そうか」
*
「あっはは~^^!! 吸血鬼って実は血ぃ通ってないの~? 腕バッサリったのに、血流れないんだけどー!」
(十字で斬られたせいで、断面が焼き付いただけだがな!)
とは答えず、ネルフは逃げ回る。
(この娘、振る舞いはあたかも頭すっからぽんの愚者だが、節々に準備の良さ、知恵を感じさせる。魔法の
そのとき、ネルフの背後に壁が迫り、逃げ場を失ってわずかな隙が生まれた。
「しまっ……!!」
「いまだ!! とどめ!!」
メルヒナの刃が、吸血鬼の心臓を目掛けて迫り――しかし、真下から何かの影が飛び出してロッドの軌道を逸らした。
「ふぁっ!? 何!?Σ°°」
見れば、切断したはずのネルフの左腕が独立して動き、ロッドの柄を掴んで動きを逸らしたのだ。十字に触れ、激しく焦げ付く燻りを上げながらも、その一瞬の隙は、たちまち吸血鬼を優位にさせた。
「じゃじゃ馬娘が――
すさまじい回し蹴りがメルヒナの頭部にヒットし、馬諸共、ダンジョンの底まで堕ちて行った。
「ぅぐえっ!! うぅ…><」
からん、からん――、と、金属音が響く。
メルヒナの兜が外れ、地面を転がっていた。
その首元には顔はなく、空洞になった穴から、ただ煙が漂っていた。
「こっ、このっ、許さない!女の子の顔殴った!!` ´#` ´#」
「ふん。口もないくせに、よく吠えよる負け犬よ」
「うわーん!><。ディータ~!!;; こいつあんまりに酷すぎるよ〜!!」
「退くぞ。メルヒナ」
仮面のエルフは、吸血鬼を見つめつつ、そう告げる。
「悪い、『黒騎士』を取り逃した。一度アニュラスに戻って、作戦を立て直したほうが良い」
「うう……相変わらず、あの騎士逃げ足早いなー><。仕方ない、帰ろうっと」
そう言いつつ、メルヒナは兜を拾い上げ、いそいそと被り直す。
(黒騎士…とは、誰だ? ‟逃げられた”……?)
はっとして、ネルフはダンジョンの中を見渡す。
ジークリンデとハイナが、すでにいなくなっていた。
(こいつらの狙いは――儂じゃない。あの闇娘ということか? 十字を持ってきたのはブラフだったとでも……!?)
ネルフが驚きに思考を奪われている間に、
「じゃあね、もうウチら帰るから~!」
「……あ、待てい!! 無礼者ども!!」
ネルフの制止も空しく、馬に乗った二人の兵も瞬く間にダンジョンを去り、後には静寂と暗黒、あと吸血鬼だけが、ダンジョンに残った。
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