闇病と魔王のレガリア

漆葉

プロローグ 復活と暗殺

第1話

 西の同盟、アースバンから王都アニュラスへの護衛任務に向かう遠征中のこと、兵士ジークリンデの所属する隊が竜と遭遇。

 後の記録によれば、その不慮の事故でジークリンデは崖から落ち、殉職したそうだ。



「…ん」

 しかし後の記録に反し、ジークリンデは目を覚ましたのである。

 まるでベッドから身を起こすような調子で。見れば、崖の下にいる。

(崖から落ちた記憶があるのに死んでない――夢? いや。いま目を覚ましたのに、夢ということがあり得るものか? それか、此処はあの世……?)

 混乱する後頭部に触れながら下を見るように振り返ると、地面に泥濘ぬかるみがあることに気付く。

 “それ”のおかげで生きながらえたのだ、と彼女は思った。泥のように柔らかい感触だが、実際には泥が付着することはなく、消毒液に似た匂いがある。

(これは泥じゃない。……スライム?!)

 そう気付くと、ジークリンデは慌ててその場を離れる。

 スライムはもう絶命しているらしく動かなかった。彼女が落ちて来た真下にいたから押しつぶされ、圧死したのだ。

 じっと見ていると、やがて魔力が霧散し、霧のように散ってしまった。

「……お前のおかげで、私は生きながらえたのか。すまない。だが、ありがとう」

 せめて感謝と供養の言葉を残し、ジークリンデは装備を確認する。

 針のようなレイピアと、服のように薄いチェーンメイルに腰のポーチ。あとはブーツに腰に括った革のグローブだけで、他の装備は馬車に置いていた。そもそも護衛任務に就くための遠征だったから、対人用の装備しか持って来てなかったが。

 ふと、そこで彼女は自分の右の手のひらの色に気付く――まるで木炭のように爪まで黒くなっていた。

「う、うわっ…」

 驚いて声を上げる。

 毒が付着しているのか、とジークリンデは思った。スライムが毒性だったらしい。左手の袖で拭おうとしたが、沈着したように黒色は取れない。

「ごほっ、ごほごほ」

(調子も少し悪いな。はやく医者に見せないと……だが)

 見上げれば断崖絶壁――医者どころか、このまま地の底で餓死すらあり得る状況だった。

「いや、餓死どころか地の底には虫系魔物ケラもいるから、遭遇すれば終わり……。生きながらえたのに、ここまでとは」

 途方に暮れ、彼女はふらつくように歩き出す。

 手を侵す黒い毒は未だぬぐえず、しかし痛くもかゆくもない。劇的な見かけの変化に反し、その静かさが逆に不気味だった。

(この毒は何なんだ?)

 様々な懸念事項が頭に渦巻くなかで、その一つが現出してしまった。


 突如地面が揺れ、亀裂と共に大きな影が姿を現した。人間の胴体ほどに太い節足と触覚、岩すら裂断しうるアギトを持つ甲殻種“テラケラ”だった。


「……!?」

 人間を優に超えるサイズ感と、振る舞いからにじみ出る圧倒的膂力、さらに顎をガチガチと鳴らす獰猛な態度を前に、ジークリンデは慄き、一歩退く。

 だが、すぐに平静な気持ちに戻った。

(――どうせ、私はここで死ぬべきだった運命に違いない。すでに毒にも侵されている。なら、最期は憧れの騎士らしくありたい)

 ジークリンデは、腰に佩いたレイピアを抜く。

 いまや兵士が戦術上の理由で選ぶことも多くなったが、もとは騎士に伝わる古い武器であり、針のように美しく、外皮の硬い魔物には相性が悪いが、対人戦において高い実用性のある武器。

 今の彼女は騎士の称号を持っていない。

 だが最期に自称するくらい誰も構うまい。

 ジークリンデは刃を立て、突きの構えを取った。

「来い。一度構えれば、騎士はもう退かない」

 騎士の遺言を聞いたテラケラが、両の足に力を込める。

 地面に亀裂が走り、破片が浮き上がった瞬間、虫は砲弾のような勢いで騎士目掛けて跳躍し―――



 ―――すれ違いざまに爆裂音が響き、虫の体が刳り貫かれ、跳躍時の慣性のままその死骸は地面を滑り、動かなくなった。

「えっ?」

 驚いてすぐに振り向いたのは、思いがけずに虫を一撃で屠ったジークリンデのほうだった。

(た、倒した? 私が? 一撃で?)

 剣を見ると、美しい刀身は呆気なく折れ、みすぼらしい半身の刃となっていた。だが、掌から伝わる黒い気配が一瞬だけ、刃の形を成していた――ジークリンデがまたたきすると、影に光が差したように、その気配は消えてなくなった。

(今のは、私がやったのか?)

 動かなくなった虫から、むしろ後ずさって逃げるように、ジークリンデは踵を返した。

 そして、彼女の一撃で崩落し、なだらかな斜面と化した崖を、改めて目の当たりにしたのである。

 壊れ果てた地形を前に、彼女は足を止める。

「…え。えっとこれは…? なにが起きたんだ…?」

 誰かに尋ねたが誰も答えるわけもなく。

 彼女はその場から逃げるように、崩れた崖の瓦礫の上を歩いて、陽が暮れつつある地上を目指した。





「月が綺麗ですね」

と、ハイナは夜の森の中で、周りの草木に声を掛けた。

 彼女はダークエルフと呼ばれる夜行性の亜人デミスである。限りなく人に近い体躯と知能を持つ人外生物の一種であり、カラスのような黒髪と不健康な肌色をするものが多く、目元には隈に似た模様がある。また、草木と情報を交信する能力を持つ――が、悲しいかな、陽が沈んだあとの草木は皆寝静まり、夜行性の彼女とやり取りできるのは、夜更かししている僅かな植物だけである。

 “あっち”

 “あっちに魔王がいた”

「あはっ、『魔王』なんてもういないよ。おチビちゃん」

 そうは窘めつつも、ハイナは夜風に揺れる草に指し示された方へと向かう。

 晴れた夜空の月の下に、一人の人影が見えた。身なりは騎士のようであるが、夜闇よりも暗い気配を身にまとっており、その髪はホワイトゴールドに光っている。

 周りを見れば、地形が破壊されていた。竜が暴れてもこうはならないだろう、と思うような破滅的な状態だった。

(あのお姉さんが纏ってる気配って、まさか――)

 少し離れた位置でハイナが足を止めると、まるで糸に引かれたように騎士が振り返り、その黄金色の双眸がハイナに向けられた。

「おはようございます。月が綺麗ですね」驚いたハイナは、とっさに声を掛けた。

「ああ。今宵はひと際、良く見える気がする」

 騎士は暗い魔力の気配とは裏腹に、拍子抜けするほどに穏やかな声色で応じた。「貴方はダークエルフだな。こうして話すのは初めてだ」

「私はハイナだよ。生まれはロウクエイの森。好きな食べ物は湖の氷」

(あ、なんか緊張して余計なこと言った)

と、ハイナは内心で思っていた。

「初めまして、ハイナ。私はジークリンデ。好きなものはリンゴ。いまはアースバンの――兵士だ」

「兵士?」ハイナはジークリンデを観察する。「あはっ。アースバンってところ、お姉さんみたいに“エンチャント”が出来る人じゃないと兵士採用されない?」

「そんなことないと思うが…。貴方は、この魔力のことが分かるのか?」

「??」

 ハイナは首を傾げる。

「闇魔力よね? お姉さん、いま自分で体に纏ってるじゃない??」

「貴方が言いたいことは分かる。だが私はエンチャントなんてできないし、闇魔力なんて尚更使えた試しがない」

「なら、無意識に闇のエンチャントしてるの…?」


 エンチャントとは、魔力を体や武器に纏わせる技術を総称していう。それによりただの刃や拳を超越した威力を発揮するが、技術としては極めて高度な部類であり、無意識はおろか、ふつうは意識しても数秒~数分持続させるのが関の山である。当たり前のように使いこなせるのは、王都の精鋭部隊くらいだと言われている。

 しかしながら、“闇魔力”をエンチャントで肉体に纏うのはイレギュラーの極みである。崩壊、暗黒、劇毒、疫病、発狂、幻惑、腐敗――闇の魔力は大概、手に負えない作用をもたらすからだ。

 意識して闇の魔力エンチャントをする者がいるとすれば、それはきっと強い“悪意”を持つものである。かつての『魔王』のように。


「いや、私は魔王じゃない」

「うん。もちろん」

「それにエンチャントなんて、闇だろうが火だろうが、私は鍛錬しても全く使えなかった――つい先ほどまでは」

「急にできるようになったの?」

「出来るようになった、とはいえないな。止め方が分からない」

「なんか“闇病”みたいだね」

「や……なんだって?」

「“闇病やみやまい”。むかしね、そういうの聞いたことある。しばらく無意識に闇の魔力を纏う状態が続くの。一過性の病気…っていうか、呪いだとか」

「一時的な呪いか……」

 ジークリンデは空の月を見た。「呪いが発動した理由は分からないが、今しばらくすれば、きっと収まるだろう。それより実は王都に任務に向かう途中だったんだ。これから急いで仲間たちを追わないと」

「そうなんだ」

 それじゃあね、とハイナは手を振りかけたが、代わりに首を振った。

「いや、でも行かないほうが良いんじゃない? 人間にとって闇の魔力って毒だっていうし、お姉さんも今は大丈夫でもしばらくしたら体調を崩すかも――って、あれ??」

 ふと見れば、もうジークリンデはいなかった。

「ちょっと、お姉さん!! 行かないほうが良いって……! てか足速すぎない!?」

というハイナの声は、一心に王都を目指すジークリンデにはもう届かなかった。

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