傷と温もり
「セレスティア様」
三人がじゃれているところへ、扉をノックする音と女性の声が割って入った。
ジョゼフが応対に出ると、ベスティア城のメイドが二人、控えるようにして立っていた。二人のメイドはランドウルフ種の耳と尾を持っており、瞳は大型肉食獣特有の鋭い虹彩で、色は蜂蜜に似た深い金色をしている。
「おはようございます。私たちが皆様を食堂までご案内します」
「あたしたちも?」
「はい」
セレスティアのメイドとしているジョゼフとエディも、セレスティアと同じ部屋に通されるのはいったいどういうことなのかと問い返す。城のメイドたちは「お二方もお客様ですので」と言って恭しく礼をした。
「今後については食後、改めてお話したいと殿下からの言伝がございます」
「なるほど。それまではあたしたちも客扱いなわけか」
エディもジョゼフも、セレスティアのメイドではあるが、此処の従業員ではない。現段階では、全く同じ身分の者として扱うことは出来ないにしても、セレスティアと共に国を訪ねた客人として扱うということらしい。
納得したジョゼフはセレスティアとエディを呼び、揃って部屋を出た。
「お連れ致しました」
メイドの案内された食堂はどう見ても王族が使う場所で、上座側にはレイラーニとロアルディオだけでなく、国王までもが座して待っていた。誕生席には国王が、その左側にレイラーニが、そして、レイラーニの正面にロアルディオが座っている。席に皿が用意されているのは、レイラーニの隣と其処から一つ空席を空けた隣ともう一つ隣。
国王は、服の上からでも鍛えていることがわかるロアルディオよりも遙かに立派な体躯をした大柄な獣人だった。漆黒の髪と金の瞳はロアルディオとよく似ているが、国王は肌の色も浅黒く、より瞳の色が引き立って見える。
低く嗄れた声と顎からもみあげに繋がった立派な髭が、彼の威厳を増していた。
「セレスティア様、どうぞ此方へいらして」
「はっ、はい……失礼致します」
固い動きで、けれど淑女らしい所作で腰を下ろすセレスティアを、ロアルディオもレイラーニも、そして国王も、優しい顔で見守っている。全員が席に着いた頃合いで配膳が始まり、焼きたてのパンや温かいスープ、新鮮な野菜と卵を使ったサラダや、瑞々しい果物などがテーブルに並んだ。
いままで見たこともない、ふわふわのパンを初めとする温かい食事に目を輝かせる一行を、王家側の三人が微笑ましげでありながらも何処か切なげに見つめていた。
「セレスティア殿。昨日は息子が大変失礼をした」
食事も半ばを過ぎた頃。国王が重く口を開いた。
セレスティアは、なにを言われたのか理解が追いつかず、ぽかんとしてから慌ててフォークを置いた。
「そっ……そんな、とんでもないです。事情があったとはいえ、旅商人でもない者が手紙も出さずに領地へ入ろうとしたのですもの……」
「そなたらの事情も、息子と妻を通して伺っておる。何とも痛ましいことだ……」
「陛下のそのお言葉だけで、充分救われる心地でございます」
セレスティアは決して社交辞令のつもりでなく本心からそう言ったのだが、国王もレイラーニも、心痛を表情に乗せてセレスティアたちを見つめている。
「そなたらは我々の、引いては我が国の大事な客人だ。不便があれば何なりと申すが良い」
「身に余るお心遣い、ありがとうございます、陛下」
ゆるりと頷く、国王の目は優しい。
食事を終えると、一行はロアルディオの案内を受け応接室に通された。重厚な机の上に、上質な紙で作られた書類が一枚。上部中央にはベスティア王国の印が刻まれている。
ロアルディオが机を挟んで椅子に腰掛けると、一行に向けて書類を差し出した。
「まずはセレスティア嬢を当家の正式な客人として迎え入れることになった。それに伴い、エディとジョゼフ両名を当家で雇い、セレスティア嬢付きのメイドとしようと思う」
書類には、主にメイド二人の待遇についてが記されていた。
本来であれば、賓客付きのメイドはある程度経験を重ねた者に任せられるのだが、今回は事情が事情なので、特別措置を執ることになった。書類には、給金についてや休暇の申請に関する手続きなど事務的なことが並んでおり、最後に書類上の雇い主はロアルディオだが退職に関する権限はセレスティアが所有するものであると記されている。
「ロアルディオ様、これは……?」
「これは仮の話だが。我々がお二方の雇用を盾に、セレスティア嬢の身柄を操ろうとすることがないようにだな」
セレスティアは目を見開き、背後で静かに控えていた二人を振り返った。
「あなたたち、何処まで殿下にお話ししたの?」
「全部ですよ、全部! アイツらにされたこと、ぜーんぶお話しましたっ!」
頬を膨らませて元気に言い切るエディと、それを否定しないジョゼフ。
セレスティアは怖々前へと向き直り、ロアルディオに頭を下げた。
「すみませんでした、お聞き苦しい話を聞かせてしまいまして……」
「いや、なに。セレスティア嬢の口からは言いづらいと、彼女らも思ったのだろう。因みに、此方が調書なのだが、内容に相違はないか?」
「えっ」
ロアルディオが差し出した数枚の書類に目を通すと、其処にはセレスティアたちがあの王国で王家の人間や例の聖女にされたことが、びっしりと書かれていた。
食事はまず王族が食べ、その残りをメイドたちが食べ、更に残りが出たら、やっとセレスティアに回ってくること。幾度となく夜這いを仕掛けられたこと。女の務めを果たさないならこんなものはいらないだろうと胸や下腹部を踏まれたこと。真冬でも井戸水しか使わせてもらえなかったこと。数々の理不尽な暴言と暴力に晒され続けたこと。まともな服も与えられず、晒し者にされたこと。城を出て行けと言いながら、契約で縛り付けて、何処にも逃げられなかったこと。王子の元に現れた聖女を名乗る女にお茶の相手をしろと呼び出されては、熱湯で入れたお茶を浴びせられたこと。
そして、最後には大勢の貴族の前で獣姦アバズレ偽聖女の汚名を着せられて、城を追い出されたこと。
痛みの記憶が、受けた屈辱の全てが、其処にあった。
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