飛び出せ暗闇の森
数刻ばかり進んだところで、不意に先行する従者が足を止めて振り向いた。
「ロアルディオ様、差し出がましいようですが、聖女殿を幾日も歩かせるよりお運びしたほうがよろしいのでは」
「……うむ。だが……」
考え事をしていたセレスティアに、視線が降り注ぐ。
顔を上げると、ロアルディオが難しい顔をしてセレスティアを見つめていた。
「ロアルディオ様、如何なさいまして……?」
「ああ……このまま歩いても良いのだが、それでは何日かかるかも知れぬのだ」
それは確かにと、セレスティアは頷いた。それから「すみません、わたくしのせいですね」と頭を下げた。
彼らは歩き慣れている様子なので、この場で足手纏いなのは自分だけだろうという自覚もある。エディやジョゼフに至っては、街中よりも城よりも森の中や草地こそが生き生きする子たちだ。
なのに、ロアルディオは「そんなつもりで言ったのではない」と慌てて訂正した。
「先ほど恐ろしい思いをさせたばかりのご令嬢に、なおも恐ろしいものを見せるのは気が引けるのだが……しかし、此処を抜けるのに軽く見ても数日はかかる。それではあまりにも……」
いったいなにを迷っているのかわからず、首を傾げてロアルディオの言葉を待つ。
「お気遣いなく。セレスティア様は、魔獣と心を通わせる力を持った聖女です。今更ロアルディオ様方が獣に変じられたくらいで、怯える道理はありません」
すると、上手く言い出せずにいる彼の言葉をジョゼフがスッパリと引き継いだ。
ジョゼフの言葉に驚き、ロアルディオとその従者たちが目を丸くする。聖女の力は多種多様と知ってはいたが、魔獣と通じる聖女は聞いたことがなかったようだ。
「ロアルディオ様って、ベスティア王国の方でしょう? あたしたち、ちゃんとこの森のことも森の先のこともわかってて此処にいますから、大丈夫ですよー」
「……そうなのか?」
ロアルディオがセレスティアに問うと、セレスティアは淑やかに頷いた。
相変わらず落ち込んだ表情で、森の昏さを差し引いても冴えない顔色で。
いますぐその身になにが起きたのかと訊ねたい気持ちを押し殺し、ロアルディオはセレスティアの手をそっと包むと、正面に跪いた。
「では、我が国まで暫しのあいだご辛抱頂きたい。そして……聖なるお方と存じてはいるが、御身に触れることの許可を頂きたい」
「は、はい……」
過去かつてなく丁寧な扱いを受けたセレスティアは、夢を見ているのではないかと思いながらも、何とか彼の言葉に頷き答えた。すると、ロアルディオの体がぶわりと膨張し、一瞬で漆黒の毛並みを持つ大きな獣の姿になった。
立派なたてがみに、太く逞しい脚。長い尾に、鋭い爪と牙。ロアルディオは大狼にライオンのたてがみをつけ、大きな鳥の翼を生やした不思議な姿の獣になると、その場に伏せた。
彼は、セレスティアが自分の姿を見て怯えると思っていたようだが、とんでもないことだった。精悍で優美。力強さと美しさを兼ね備えた、完璧な獣が其処にいた。
『私の背に跨がり、たてがみに捕まってほしい』
「わ、わ、かり、ました……ええと……失礼します……」
恐らく高貴な方であろうロアルディオを尻に敷いてしまうことに抵抗はあったが、だからといって他に案があるわけでもない。セレスティアはそろりと背に跨がると、たてがみにしがみついた。
「其方の方々は……」
「あたしたちは自前の脚と翼があるので大丈夫でっす!」
従者たちに答えると、エディとジョゼフもその身を魔獣に変じさせた。
エディは約四十センチほどのリスに似た獣の姿。ジョゼフは人型のときと大差ない大きさの、艶やかな羽毛を持った大鴉。エディは人型のほうがまだ幾分か大きかったため、現在はリュックの後ろに回ると完全に隠れるサイズになってしまっている。
何なら中身さえなければ、リュックに全身収まりそうだ。
『なんと……その魔力、お付きの方々は上位魔獣か……』
「はい……エディとジョゼフは、わたくしの幼馴染でございます」
『そうか。良いご関係なのだな。……では、参ろうか。少々揺れるぞ』
一言断ると四つ足で立ち上がり、後ろ足に力を込める。そして、タンッと一つ地を蹴った。
軽やかに、風のように、ロアルディオは森を駆ける。その後ろを同様に獣に変じた従者たちが、更にその後ろをエディが、上空をジョゼフがついてくる。
最も小柄なエディだが、自分と同サイズのリュックを背負ったまま前足と後ろ足を器用に使って木々のあいだをすり抜けるように駆けている。
上空から見下ろすジョゼフの目線では、リュックが飛び跳ねながら森を駆け抜けているように見えていた。
どれくらいの時間、そうしていただろうか。
不意に、ざあっと枝葉が揺れる音が後方へと消え、やわらかな風がセレスティアの体を包んだ。
「わぁ……!」
空が近い。風が冷たい。眼下には、小さな体で大きな獣の姿をしたロアルディオの従者たちにも劣らぬ速度で大地を駆ける、エディが見える。
やはり上からでは、リュックが地面を滑っているようにしか見えないのだが。
『落ちないよう、気をつけてくれ』
「は、はい……っ」
ぎゅっとしがみつき、頬に風を受ける。
隣を舞う大鴉のジョゼフが地面に目をつけたかと思うと急降下し、リュックを掴み上げた。その様子は猛禽の狩猟シーンにしか見えず、毎度のことながら心臓に悪いとセレスティアは思った。
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