違うからこそ寄り添える

 部屋に招かれたセレスティアは、不躾とは思いつつも物珍しげに室内を見回した。執務室にお邪魔したことはあったが、私室に入るのは初めてだった。異性の部屋とはこうも違うものなのかと関心が湧く。


「なにか珍しいものがあったか?」

「あ……いえ、すみません、不躾に……ただ、わたくしにお貸し頂いているお部屋と違うもので、つい……」

「構わない。見られて困るものもないのでな。というより、あまり物がないだろう」

「ええ。とても綺麗に片付いておりますのね」


 王族の部屋らしく立派な調度品が並んではいるが、装飾の類いが思うより少ない。趣味のものと思しき物品に至っては、何処にも見当たらないのだ。


「セレスティア嬢」

「はい」


 名を呼ばれて振り返れば、半獣の姿となったロアルディオがいた。全体的な骨格は人と変わらないが、頭部が狼のそれになっている。背後では尻尾が揺れており、時折体の左右から尾の先が顔を覗かせる。袖口から覗く両手も獣に近い形となっていて、弾力のありそうな黒い肉球と爪がはっきり見て取れた。


「あの……触れてもよろしいでしょうか……?」

「ああ」


 差し出された手に触れると、もっふりとした毛並みに指先が埋もれた。手を握れば肉球の感触が直接感じられ、じわりと体温が滲んでくる。

 エディに頼んで肉球に触れさせてもらったことがあるのだが、彼女の手は人の手とさほど変わらないやわらかさだった。だがロアルディオの手は半獣の姿でもがっしりしており、手のひら一つでも性差と種族差を強く感じた。

 興味深そうに手のひらを握り、触れ、撫でるセレスティアを、ロアルディオは緊張しながら見守っている。露わになっている爪は簡単に彼女の皮膚を裂く。驚いて手を引いただけでも、容易に傷つけてしまうと知っているからだ。


「セレスティア嬢……私のことが恐ろしくはないか?」

「いいえ、少しも。あのとき、わたくしを背に乗せてお運びくださったときも、いまこのときも……ロアルディオ様を恐ろしいと思うことなどありません」


 セレスティアにも、彼の緊張は伝わっていた。

 吐息一つにも気遣って、爪を立ててしまわぬよう彫像のように固まっていること。手のひらにうっすらと滲む汗と、常より少し早い心音が物語っている。

 セレスティアはロアルディオの懐に飛び込み、厚い胸板に頬を寄せた。


「ロアルディオ様は、わたくしのことなど、簡単に切り裂いてしまえるでしょう? けれどわたくしは、こうしてロアルディオ様に触れていられるのです。その優しさを知って、どうして恐ろしいなどと思えましょう」


 ぐっと息を飲む気配がして、それから怖々とセレスティアの背に手が回された。

 まるで硝子で作った花を扱うかの如き優しさで。


「なによりも尊くお優しい方……こんなにも心安らかにいられる場所を、わたくしは他に知りません」

「エディとジョゼフの傍を除いて、か」

「ふふっ。仰るとおりですわ」


 ロアルディオの優しく低い声が、セレスティアの心を包む。

 抱きしめまま顔を上げれば、二つの望月がセレスティアを見下ろしていた。夜色の毛並みに生える黄金の眼差しは、何処までも甘やかにとろけている。


「セレスティア嬢。どうか、人の国からの客人ではなく、私のためのたったひとりの人になってほしい」


 真剣な眼差しで告げられた言葉は、セレスティアの胸に鐘の音の如く響いた。

 すぐ目の前にいるはずの、愛しい人の輪郭が滲んでぼやける。返答を喉奥から絞りだそうとするのに、零れるのは子供じみた嗚咽ばかり。


「すまない、性急なことを言って困らせ……」


 ロアルディオの謝罪を遮るように、セレスティアは首を振ってたくましい胸に顔を埋めた。先ほどから幼子のような有様で、恥ずかしいことこの上ない。


「うれ、しいの、です……っ……わ、わたくしを……其処まで、お、もって……っ、くださっ……なんて……」


 そっとロアルディオの手のひらがセレスティアの頬に触れ、顎へと至る。やんわり仰のかされて見上げれば、慈愛に満ちた眼差しが思いのほか近くにあった。

 いつの間にか人の姿になっていて、端正な顔が更に近付く。

 互いの距離がゼロになり、涙ごと吐息が吸い込まれる。

 小鳥がついばむような口づけが何度かされ、再び顔が離れたときには枯れることを忘れたようだったセレスティアの涙も、すっかり止まっていた。


「目元が赤くなってしまったな……すぐに水を持ってこよう」

「はい……お手数をおかけします」


 夜も更けたいま、メイドたちもとっくに眠っていることだろうと、ロアルディオが扉を開ければ、部屋の入口脇に銀のワゴンが置かれていた。

 上段には銀細工のクロッシュが、下段にはボウルに氷水が張られ、やわらかな布がたたんで添えられている。良く見ればクロッシュにメッセージカードが添えてあり、手に取ってみると獣人族の文字でこう書かれていた。


『お嬢様を泣かせるのはこれで最後にするように』


 文字の主が誰なのか、一目でわかる文言だ。書き文字も姿勢正しく書かれた何処か鋭さを感じる字体で、けれど攻撃的な棘があるわけではない、彼女ジョゼフらしい字だ。

 いったい彼女は何処まで予測していたのか。

 ともあれ好意に甘えてワゴンを引き入れると、セレスティアの傍についた。


「お早いお戻りでしたのね」

「ああ……実は、すぐ目の前に用意されていたのだ。セレスティア嬢は良いメイドをお持ちなのだな」


 その言葉でジョゼフが置いて行ったのだと察したセレスティアの頬が、淡く赤みを帯びた。幼馴染なだけあって、彼女はセレスティアのことをよく知っている。きっと良くも悪くもロアルディオと言葉を交わせば、涙に溺れると察していたのだろう。


「さあ、これで冷やすといい」

「はい。ありがとうございます」


 絞ってもらった布を目元に当てると、火照りがスッと収まるのを感じた。

 暫くそのままじっとしていて、一息吐きながら布を離すと、いつぞやと同じ距離にロアルディオの顔があった。

 あのときと違うのは、セレスティアが驚かなかったことと、それから。


「…………ぁ……」


 微かに漏れた吐息と、震える声。

 合わさった唇のあいだでとけ消えようとするそれを、ロアルディオの唇が再び甘くついばむ。しあわせで心が満たされて、涙になってあふれそうになる。けれど今度は涙の代わりに、セレスティアからも口づけを送った。

 花弁が触れるような、戯れのような触れ合いだったが、ロアルディオは目を細めて思わぬ幸福を噛みしめた。


「セレスティア嬢、そろそろ休んだほうが良いだろう。お望みなら部屋まで送るが、もし此処にいてもらえるのなら……本来の姿の私と共寝をしてくれないか」

「はい……喜んで、お供致します」


 セレスティアの答えを聞くと、ロアルディオは見る間に獣の姿になった。

 大きな翼を持った、黒い狼。雄壮で美しい姿は、やはり落ち着いて明るいところで見ても変わらない。それどころかいっそう惚れ直すほどだ。

 艶めく毛並みに手を伸ばせば、ロアルディオが頬を寄せてきた。


「さあ、セレスティア嬢も横になってくれ」


 ロアルディオはベッドに飛び乗ると、伏せてセレスティアを招いた。

 ふさふさの長い尻尾が大きく左右に揺れて、期待と緊張を表している。


「は……はい、失礼致します」


 ロアルディオ同様に緊張しながら、セレスティアは大きなベッドの隣に潜り込む。やわらかな薄掛けを引き寄せてくるまると、ロアルディオの香りに全身が包まれた。


「とても温かいですね」

「眠れそうか?」

「ええ……ロアルディオ様と一緒なら……」


 身を寄せ、すり寄り、目を閉じる。

 ふわふわとやわらかい毛並みが、セレスティアを包んでいる。その奥に確かにある鼓動を感じながら呼吸を深くしていけば、とけるようにして眠りへと落ちていく。

 最初こそ緊張していたロアルディオだが、全幅の信頼を寄せて眠るセレスティアの寝顔を見つめている内に瞼がとろけ始め、やがて静かに眠りについた。

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