戻って来た日常

 ストゥルダール王国が滅んでから、ひと月が過ぎた。

 セレスティアはロアルディオの補佐として日々執務の手伝いをしており、エディとジョゼフもそれに加わっている。王国の崩壊により管理するものがなくなった土地を正しく運用すべく、近隣諸国との会合を行う機会も増えた。中には、やはり獣人族をケダモノ種族と見下している人間もいたが、北の国のように好意的な者との出会いもあった。

 なにより聖女セレスティアの存在が、人間との良き橋渡しとなっていた。獣人族は人と獣が通じ合って生まれた種族であること。更に遡れば、命は一つであったこと。月と星が同じ空にあるように、人と獣人も同じ地で生きることが出来るということ。そしてそれらは、決して綺麗なだけの理想論などではなく実現可能であること。

 自らがストゥルダール王国で受けた傷を交え、思い合うことの大切さを語った。


 ――――ストゥルダール王国に起こった悲劇を、二度と繰り返してはなりません。坩堝は、嘆きと憎しみを糧に生まれます。防ぐためには隣人を愛し、思いやることが肝要です。互いを理解しようとすることが、平穏の始まりなのです。――――


 僅かな兵と共に彼の国を訪ねたとき、わけもわからず家に閉じこもりうずくまっていた僅かな民が残っていた他は、見る影もない有様であった。

 坩堝を浄化し、どうにか魔骸の発生を抑えることは出来たが、予想通り国としての機能は完全に失われてしまっていた。その日の生活もままならない状態で、残された民たちは身を寄せ合って備蓄を削りながら生きていたという。

 勘のいい貴族は、王子とミラベルがセレスティアを追放した直後に僻地へ避難しており、難を逃れていた。だが、逃げる当てのない民はそうもいかず、ただただ怯えて耐え忍んでいたのだった。

 あのような凄惨な悲劇は、二度あってはならない。それは、他国も同意見だった。国の惨状を目にした者であれば誰もがそう考えるであろうほどにひどい有様だったのだから。否など出るはずもなかった。


「ロアルディオ様、此方の資料はいかが致しましょう?」

「それは全て第三書庫に纏めて置いてくれ。棚の位置はわかるか?」

「はい。行って参ります」


 箱詰めされた紙束を抱え上げ、執務室を出る。

 出入りが激しいため、執務室の扉には片側だけドアストッパーが噛まされており、外を忙しなく行き交うメイドの姿などがよく見える。セレスティアは執務室から左に進み、第三書庫を目指した。

 第三書庫には、此度の事件で増えた社会基盤整備のための調査資料を初めとする、元ストゥルダール王国関連資料が収められている。

 結局、彼の土地はベスティア王国の領土となった。反発した貴族は既に隣国へ亡命しており、極端にベスティア王国が力をつけるということにはならなさそうだった。一方で、獣人族との共存を望む貴族と民も多くおり、既に職人集団が森の街道整備に名乗りを上げている。


「この書庫も手狭になってしまったわ。棚があふれる前に相談すべきかしら」


 古い資料から順番に地下書庫へ移してはいるものの、セレスティア一人ではとても賄いきれない。いま持ち込んだ資料と同じだけの分量が追加されれば、棚があふれて床置きを検討する羽目になりそうだ。

 全ての資料をそれぞれの棚に移し終え、来た道を戻る。

 ロアルディオの執務室まで来ると、部屋の前でメイドが困った様子で佇んでいた。手にはティーセットを持っており、休憩用のお茶を持ってきたところであろうことは一目瞭然なのだが、一向に入る気配がない。


「どうなさったの?」

「あ……セレスティア様。ロアルディオ様が……」


 視線を追って中を覗いてみれば、ロアルディオが執務机に突っ伏して眠っていた。最近働きづめだったため、疲れが出たのだろう。珍しく起きる気配がない。


「きっとお疲れなのでしょう。お茶はわたくしがお届けしますわ」

「はい、お願い致します」


 そう言ってティーセットを手渡すと、メイドはセレスティアが執務室に入ったのを見届けてから静かに扉を閉じた。そして通りかかった別のメイドに、ロアルディオとセレスティアは休憩中なので急用以外では近寄らないよう告げた。言われたメイドも察して頷き、正確無比な伝言ゲームのように言伝が広まっていく。


 セレスティアが机にティーセットのトレーを置くと、その音でロアルディオの目が僅かに開いた。直後、バネが入っていたかのように跳ね起きると、まん丸に見開いた目でセレスティアを見つめた。

 珍しく瞳孔までもが丸くなっており、つられてセレスティアの目も丸くなる。


「…………す、済まない……仕事中に居眠りなど……」

「いえ、お気になさらないでください。あれからお仕事も増えましたもの」

「うむ……」


 気恥ずかしそうに俯きつつ、下敷きにしてしまっていた資料を纏めて脇に避ける。そんなロアルディオの様子を見ていたセレスティアだったが、ふと彼の頬に服の袖の跡がついていることに気付いた。


「ロアルディオ様、お顔に跡が……」

「ッ!!?」


 セレスティアが頬に手を伸ばすと、ロアルディオの頬が一瞬で真っ赤に色づいた。それを見たセレスティアも、自分がなにをしようとしたのか自覚して手を止める。


「あ、ご……ごめんなさい、エディにいつもこうしていたもので、つい……」

「いや、気にしないでくれ。私も驚きすぎた」


 暫しの沈黙。

 そして、揃って笑い出した。


「ふふっ。同じことを言い合ってしまいましたね」

「これでは母上の似たもの同士という言葉を否定出来んな……」


 照れを誤魔化そうとカップに手を伸ばし、すっかり冷めているにも拘わらず小さく吹き冷ます。熱いのは自分の頬で、心音は耳元で鳴り響いているかのよう。


「セレスティア嬢。明日は久しぶりに纏まった時間が取れそうなのだ。良ければ共に城下で過ごさないか?」

「ええ、喜んで。楽しみにしております」


 咲きめの花のように淡く染まった頬を隠すように俯き、微笑を浮かべる。冷めた紅茶は、砂糖を落としていないにも拘わらず火照った胸に染み入るように甘かった。

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