招かれざる暗雲
城下町は変わらず賑やかで、多くの人々が行き交っている。
前回は孤児院がある街の北部へ向かったため、今回は南側――――セレスティアがこの国を訪れた際に通った南門付近を視察することにした。
来たばかりのときは精神的に余裕がなかったため気付かなかったが、南側は建物や壁が殊更頑丈に作られている。しかも住民もどことなく大柄な種が多く見える。
人間が攻めてきたときの備えであるなら、北側にも別の国があるのだからそちらも堅牢にすべきだろうに、北側は南側ほどの警戒を感じなかった。商人通りや孤児院も街の北側にあるくらいで、寧ろ警戒ではなく人を招く作りであると言える。
「ロアルディオ様。気のせいかも知れないのですが、南のほうは随分と頑丈に守りを固めていらっしゃるのですね。北側はそうでもなかったように思うのですが」
「ああ。攻めてくるのは南の国だけだからな。北にあるヒト族の国とは良好な関係を築けているのだ」
「そうでしたの。良い交流が出来る国があるのは素晴らしいことですわ」
「あちらの国は……相変わらずだと聞くが……」
ロアルディオが気遣わしげに零すと、セレスティアは哀しげに頷いた。
獣人を蛮族と呼び、見下し、時に侵害する彼の国がいかに異常であるかを、改めて思い知る。ストゥルダール王国では、孤児を寄生虫と呼び、女性を物のように扱い、王の愛妾でさえ妊娠した途端、路地裏に廃棄されていた。王城で優雅に暮らしていた女性が一人で赤子を産み、ボロボロの状態で修道院を訪れるなど日常だった。子供をセレスティアに託した直後、安堵の表情を浮かべて息絶えた女性も、とうに息絶えて乾ききった子の遺骸を抱きしめ、子守歌を歌いながら修道院を訪れる女性もいた。
まるで価値観も思考も文明も、古代で止まっているかのような国だった。
「城下だけは栄えておりました。わたくしが辺境の街から王城へ連れてこられた際に見えた景色が、わたくしの住んでいた街とあまりに違って驚いたのを覚えています。それでも……華やかなのは見せかけでした」
重税に苦しむ民と、それを上から抑えつける王族。
貴族でさえパーティドレスを着回すことが多々あり、貴族令嬢や令息が平民の服を着て平民のふりをし、偽名を用いて酒場で仕事をすることもあったという。
「税が重い理由は、坩堝が近いせいでもあったのです」
「坩堝……人の言うところの意思なき化物が自然発生するという、澱みか」
坩堝とは世界の何処にでも発生しうる、魔獣の源泉のようなものだ。世界の澱みが凝り固まり、魔獣という形を成して人や街を襲う。一説には、正しく葬られなかった死者の魂や、怨嗟や悲哀などネガティブな感情が集まって出来ると言われている。
これらは獣人に近い生態を持つ上位魔獣とは全く異なる存在だが、人間が区別してこなかったため同じ名前で呼ばれている。
上位魔獣や獣人族等のあいだでは、坩堝より生じる魔獣は、意思なき存在――――
「ええ。ですので、魔骸襲撃の憂いさえなくなれば、また国も以前のように栄えると思ったのでしょうけれど……」
しかし彼の国は、セレスティアを追放した。
王子の言い分のひとかけらも理解出来なかったが、国外追放などという重い懲罰を与えるのだから、あれが国の総意だったのだろう。
今頃は最後に張った結界もほどけ、魔骸が国に入り込んでいるはず。
あれらは形を成せば人や物を壊すが、此方からの攻撃もある程度届く。だが、発生したばかりの靄状であれば此方の攻撃が届かない上に、人に取り憑いて心を壊す。
取り憑かれた人は最早その人ではなくなり、解放するには殺すしかない。それゆえ長年恐れられてきたのだが、彼らが覚えているかどうかは疑問である。
「何事もないことを祈りますけれど、でも……」
「追い詰められた彼らの逆恨みが此方へ向く頃、ということか」
二人が南門に到着したのとほぼ同時に、森の北側出口付近から大きな羽音を立てて無数の鳥が飛び立った。ロアルディオは慌てて門兵の傍にいき、セレスティアを背に庇いつつ森を睨む。
「アルティオ!」
ロアルディオが叫ぶと、反射的にセレスティアが飛び出した。森から転がるように飛び出してきたのは、獣人の少女アルティオだった。なにがあったのか背中に数本の矢が突き立てられており、服もボロボロになっている。見れば、背中に松明でも押し当てたかのようなひどい火傷を負っていた。
セレスティアがアルティオを抱き留めると、ロアルディオが二人を纏めて支えた。そのまま抱えて門まで下がり、代わりに警護兵が前に出る。
「アルティオ、いったい森でなにがあったの?」
「み……南の人間が、襲ってきたんだ。魔獣狩りだって……薄汚い獣は、一匹残らず駆除する、って……」
「そんな……!」
「あと、なんか、あいつら変だっ……ッう……」
「無理しないで。ごめんなさい、話を聞く前に治療をするべきでしたわ」
ストゥルダール王国を脅かしている坩堝は、国の南側に存在している。北の果てにあるこの国の住民は、あちらに何の危害も与えていない。獣人も魔獣も、人間と何ら変わりなく生きているだけである。
なにが彼らを其処まで駆り立てるのか。
わからないことだらけだが、いまはとにかくアルティオを安全な場所へ運び治療をしなければ。
セレスティアが彼女を支えようと背中に手を添えた瞬間、淡い光が灯った。そして見る間に火傷が治っていった。
「え……? いまのは……」
「セレスティア様、治癒の加護も持ってたの?」
「いえ、わたくしには覚えが……」
抑も聖女の加護は、女神の祝福である。
本人が望んで好きな能力を得るものでもなければ、我が子に祝福がほしいと望んで聖女が生まれてくるわけでもない。まずセレスティアの力は、魔骸への抵抗力だったはずである。
「よくわかんないけど、これも治せる?」
そう言って、アルティオは自分の肩に刺さっている矢を引き抜いた。
「っ!? アルティオ、無茶な真似は……」
驚き慌てながらも、手のひらを傷口に当てる。と、やはり癒しの力が発動して矢の刺し傷があっという間に消えてしまった。
アルティオは「ありがとう」と言ってセレスティアに笑いかけ、ほんの数秒前までふらふらだったのが嘘のように真っ直ぐ立ち上がると、街に戻るよう告げる兵たちに首を振り、弓を構えて森を睨んだ。
先ほどまでは、アルティオの怪我につきっきりで気にすることも出来なかったが、いまならわかる。森の奥から良からぬ気配が近付いてきている。
無数の足音、人の気配、敵意と害意が塊で押し寄せてきている。
「聖女様、お下がりください!」
セレスティアがアルティオの怪我を治療しているうちに伝令が走っていたようで、更に護衛騎士が駆けつけた。ロアルディオの指示を受け、背後で南門が閉じる。
全員が息を飲んで見守る中、遂に森から悪意の正体が姿を現した。
「ご機嫌よう、獣姦聖女様。やっぱり生きていらしたのね。体をケダモノに売るしか能のない淫売の分際で忌々しいこと」
豪奢な馬車から降り立ったミラベルとアルベール、彼女らを取り囲む兵士の群れ。それだけなら予想の範疇だったのだが――――彼らは、明らかに様子が違っていた。
兵たちはどう好意的に見てもまともに動ける状態ではなかった。手足は折れ、黒く腐った傷口からは膿と虫の混じった汚物が零れ、目は意思の光を宿していない。腰に下げた剣を取ろうとしてその場に落としたり、鎧ごと腕がちぎれたりと、あまりにも凄惨だった。
「あれだよ。俺が見たの。あいつら、魔骸みたいなんだ……!」
意思なき化物。人型の悪意。
傀儡の如く操られた死者の群れ。
それらに囲まれた聖女を名乗る女は、底意知れぬ怨嗟に塗れた目でセレスティアを睨んでいた。
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