黒歴史と物語

「何だか、とても恐れ多いことを言って頂いたのね……」


 物語を読み終えたセレスティアは、感嘆の溜息を吐いた。

 水彩の挿絵はとてもやわらかく、色彩鮮やかで美しい。特に白繭の姫の長い髪は、本物の絹糸が其処にあるかのような美しさで、思わず見とれてしまうほどだった。


「そうでもないよ、お嬢様」

「そうですよ! ティア様はとっても可愛くて綺麗です!」


 頬を膨らませて訴えるエディに「ありがとう」と言って微笑み、絵本の冒頭を再度開く。


「そうだわ。所々に不思議な表現があったのだけれど……二人はわかるかしら?」

「ああ、そうだね。確かに獣人族の価値観を知ってないと、この話はちょっとわかりにくいかも知れない」


 ジョゼフは横から絵本を覗き込んで、文章を指差しながら解説し始めた。


「最初のこれは、普段から獣の姿を取るのは獣人にとって当たり前のことでね。人の姿しか取らないと『自分は獣人族なんかじゃなく人族です』って主張しているように思われるんだ」

「人が思うよりも、ずっと獣人族にとって獣の姿は大事なんです。あたしたちは今更どっちの姿だってへいきですけど、絶対人間なんかには化けたくないってお年寄りはいまも多いですからねー」


 獣人族と一部の人族とのあいだには古い確執がある。大昔は獣人族と魔獣の区別がなく、特に、上位魔獣などは獣人族として暮らしていたこともあり、人族からすればどちらも大差ないケダモノ族という認識だった。ゆえに獣人族が人の姿を取ることを激しく厭う時代が存在し、この絵本はそんな確執が根強く蔓延していた頃に書かれたものではないかといわれている。

 死後心臓石が採取出来るのが魔獣、そうでなく人と同じ死に方をするのが獣人族。生まれるとき獣の姿なのが魔獣で、半獣の姿なのが獣人と、明確な違いは様々ある。差別がひどかったときは魔獣狩りと称して獣人を虐殺し、人殺しに関しても「殺してみて石が採れなければ獣人」という、魔女裁判のようなやり口が当たり前に横行していた。

 ジョゼフの解説を受け、冒頭付近の一文を見る。獣の姿を取らないことを、まるで大きな欠点であるかのように描写していたのは、そういうことだったのだ。


「獣人族にとって、毛並みってのは美醜を判断する一番大きな材料なんだ。男なら、爪とか角とかが立派だとモテて、女は瞳や歌声が綺麗だとモテる。そんで、毛並みは男女共通のモテ要素」

「蟲獣人は、獣人種族の中でも醜いと思う人が多いんですよ。白繭の姫は蛾なんで、翅とか鳥避けの目みたいで怖いって子も多いから、新しめの絵本だと綺麗な白い翅になったりしてるんですけど、それだとお話の整合性がーとか、版上げされるとき色々賛否あったんですよねー」

「なるほど……だから王子様は、最後にこう言ったのね」

「そういうこと。獣人の女の子は、一度はこういう優しくて格好いい王子様に憧れるもんなんだ」


 話を聞いていると、本当に獣人族と人族の感覚に違いがあって面白い。

 絵本は子供が外の世界に触れるきっかけとなることも多いのだから、借りた絵本を読めば獣人のことを知る入口になるのではとセレスティアは思った。


「前のお城にいた頃はなにも知らなかったわ。学ぶ機会もなかったし、あなたたちは当たり前に人の姿で私に接してくれていたから……」

「まあ、出逢ったのが抑も人里の孤児院だからね」

「此処にある絵本はどれも有名なものばかりですから、獣人族についてのお勉強には丁度いいと思いますよ。あっ、これなんかあたしのお勧めですっ」


 そう言ってエディが差し出したのは、見上げるほど大きな岩と獣人エクルイユ種の女の子が表紙に描かれた、白繭の姫より対象年齢が低そうな絵本だ。


「あら……? この文字は……」


 読んでみようと開いてみるも、中に使われている文字が獣人族が使用する文字で、セレスティアには読むことが出来なかった。


「じゃあ、あたしが読みますね」


 エディが読み上げた絵本の内容は、人族の国と獣人族の国のあいだにそびえる山のような大岩を退かそうと人族の兵士たちが寄ってたかってがんばるもビクともせず、エクルイユ種の女の子が両手で持ち上げ、粉砕するというものだった。驚く王様に、エクルイユ種の女の子は、人族は体が大きい人のほうが力も強いようだけれど、獣人族は見た目通りとは限らないと話す。

 そして物語の最後は、互いの国を封鎖していた岩がなくなったことで文化の交流が始まり、体が大きく無骨な見た目の刺繍職人や小さい体の運び屋さんなどが存在することを人族は知る。獣人族は人が煉瓦や岩を積み上げるだけでない複雑な作りの家や城を作っていることを知る。

 こうして隣同士の国は、お互い得意なことを分け合って、仲良く発展していった。


「エディもエクルイユ種よね」

「はいっ! 小さい頃にこの絵本を読んで、あたしもこんなふうに強くなりたいって思ったんです」

「エクルイユ種は人族ドワーフ種と似た特性なんだよね。私も初めて本物の力を見たときは驚いたな」


 ドワーフは人の平均の半分ほどの身長で、筋肉質な体格、見目に違わぬ力と見目に反した器用さを持つ種族だ。エクルイユ種も、小柄な体躯で童顔ながら力持ちという特徴がある。しかも、獣の姿になれば木々のあいだや屋根の上などを跳ぶように移動出来る、獣らしい素早さも持っている。


「でも、エクルイユはあんまり器用じゃないんです。あたしも繊細なアクセサリとか作るどころか握り潰しちゃうほうですし」

「そういえば、孤児院でも石の器を真っ二つにしてたっけね」


 セレスティアも言われて思い出したが、出逢った当初のエディは人間社会のものは繊細すぎて触るのが怖いと縮こまって怯えていた。器物はもちろん、人にもなるべく近寄らないようにしており、唯一触れ合えるのがジョゼフだった。


「あたし、物心つくくらいに親や所属してた群とはぐれちゃったんで、力加減を学ぶ機会がなかったんです。エクルイユ種は幼い頃に兄弟で取っ組み合って力の使い方を覚えるんですけど……それを他の種族でやると、良くて怪我、最悪殺しちゃうから、ずっと周りが怖かったなぁ……」


 セレスティアは過去に思いを馳せて寂しそうな笑顔を浮かべるエディの頭を撫で、小さな体を横からふわりと抱きしめた。くすぐったそうな笑い声がエディから漏れ、エディの子供のようなふくふくの手のひらがセレスティアの手をそっと握る。


「ジョゼが、あたしといっぱい殴り合ってくれたお陰で、あたしはこうして手加減を覚えたんです。それに、ティア様があたしをいっぱい撫でてくれたから、優しい触れ方を覚えたんです」


 そう言うとエディはソファの傍で前屈みになって絵本を覗き込んでいたジョゼフの顔を見上げ、にっこり笑って見せた。


「二人とも、大好きですっ」


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