昔々、あるところに

「素敵。白繭の姫様ね。このままお城で暮らされるのかしら」

「ゾヤさんとノーラたちがお支度を担当したって聞いたわ。羨ましい」

「姫様付きのメイドになるには私じゃ年季が足りないかしら……」


 通り過ぎた背後、だいぶ離れたところからではあるが、ロアルディオの耳に年若いメイドたちの囁きが届いた。噂話は忙しい彼女たちの数少ない娯楽であるとはいえ、本人に聞こえかねないところで立ち話に興じるのは慎みに欠ける。


「あの、ロアルディオ様……」


 あとでメイド長を通して注意してもらおうかと思いながら階段を上がっていると、セレスティアが遠慮がちに声をかけてきた。


「どうした? なにか気になることでもあったか?」

「先ほど、わたくしがお部屋に伺ったとき仰った、白繭の姫とはどなたなのです?」


 メイドの噂話が耳に触れたかと思いきや、ロアルディオが思わず零した言葉が気になっていたらしい。

 時間差で指摘されると殊の外気恥ずかしいものだが、此処ではぐらかしては、また気に病まれてしまうかも知れない。ロアルディオは一つ咳払いをしてから、お伽噺の姫だと伝えた。


「我が国に昔から伝わるお伽噺でな。獣人の子供なら、必ず一度は読み聞かせられたことがあるくらい有名なものだ。絵本で良ければ、後ほど部屋に届けさせよう」

「よろしいのですか? ありがとうございます、楽しみです」


 セレスティアの花が咲くような笑顔に、ロアルディオはドキリと胸が跳ねる心地を覚えた。頬がじわりと熱を帯びるのを隠そうと、不自然なほど上を向いて歩く。

 やがて部屋の前に着くと、ロアルディオは扉を軽くノックして、応答を待ってから引き開けた。


「あ、ティア様!」

「エディ、ジョゼフ、あなたたち此処にいたのね」


 手を取り合い数刻ぶりの再会を喜ぶ三人を、ロアルディオは眩しそうに見つめる。魔獣と心を通わせる加護などなくとも、セレスティアの心根なら惹かれる魔獣もあるだろうとつくづく思う。


「このお部屋、王妃様が選んでくださったんですよ。ティア様にはきっとこのお花が似合うだろうからって」


 そう言ってエディが指し示した窓辺には、白い花が活けられていた。

 小ぶりの花を鈴なりに咲かせた可愛らしい花で、綺麗な水辺に咲くことから泉水の乙女セクアナの名がつけられたものだ。多くは、華やかな大輪の花の添え花にされることが多いのだが、こうして単独でたくさん活けられたものを見ると、これだけでも充分華やかに見える。


「ロアルディオ様。なにからなにまでありがとうございます」

「気にすることはない。なにか入り用のものがあれば、当家のメイドに伝えてくれ」


 では。と一礼して、ロアルディオは去って行った。

 それから少し経って白繭の姫に関する物語が描かれた絵本と、他にも数冊の絵本が届けられた。おまけに獣人族の国で使われている文字と人族の文字を照らし合わせることができる辞典もついている。


「ティア様、どうしたんです、それ?」

「ロアルディオ様に白繭の姫についてお訊ねしたら、此方を貸してくださったの」

「あ、あたし知ってますよ、そのお話。ね、ね、早く読んでください」

「わかったわ」


 まるで孤児院にいた頃のように、エディが目を輝かせながら読み聞かせをねだる。こうしていると、エディはまだまだ子供なのだと実感する。


 セレスティアはソファに腰掛け、膝の上で絵本を開いた。



 ――――昔々、あるところに、真っ白でさらさらな長い髪を持った、それはそれは美しいお姫様がいました。お姫様は、肌も髪もすき通るように白く、瞳だけが僅かに淡い水色をしています。

 お姫様は常に人の姿を取り、決して獣の姿になりたがらないことを除いて、完璧な才女でした。

 国の王子様は、そんなお姫様を是非自分のお妃にと願い、お姫様も王子様の熱心なプロポーズに心を動かされてうなづきます。

 間もなく結婚式が開かれるというとき、ひそかに王子様へ想いを寄せていた貴族の令嬢が、お姫様の寝室を覗いてしまったのです。

 其処には、醜い翅を持った白い蟲がいました。

 貴族の令嬢は、憎い女を陥れる秘密を手に入れたと喜んで、お姫様に向かってこう言いました。


「正体を隠して王子様に近付いた、醜い醜い虫けら姫。お前のご自慢の髪さえ切ってしまえば、王子様は見向きもしなくなるに違いないわ。だって、お前の美しいところなんてその髪だけだもの」


 令嬢は嫌がるお姫様を兵士たちに命じて抑えつけさせ、綺麗な長い髪を切り刻んでしまいます。

 この令嬢も、長く美しい金色の髪を持っていたので、自分より美しい髪の持ち主がいなくなれば、自分こそが王子様に一番愛されるに違いないと思ったのです。

 床に落ちた白く美しかった髪を踏みつけ、令嬢はうれしそうに笑いました。そして最後に部屋を出るとき、お姫様にこう吐き捨てます。


「結婚式が楽しみだわ。お前が醜い虫けらだってこともしっかり伝えてあげるから、安心してちょうだい」


 お姫様は嘆き悲しみ、こんなひどい姿では結婚式になどとても出られないと部屋にこもって泣きました。


 結婚式の日。

 王子様が、いつまで待ってもお姫様が結婚式に現れないことを不思議に思っているところへ、真っ白なウェディングドレスを纏った令嬢が現れました。


「あの姫は、美しい獣人のふりをした醜い醜い虫けらでしたわ。嘘をついて王子様に近付いたとんでもない女です。王子様を本当に心から愛しているのは、この私です。あんなけがらわしい嘘つき姫のことなど忘れて、私と結婚しましょう」


 しかし、王子様は婚姻のキスをしようとする令嬢を押しのけて広間を飛び出すと、お姫様の部屋を訪ねました。


「愛しい人。どうかあなたの声を聞かせてください。私と結婚したくなくなるような理由がもしもあるなら、私にそれを話してください」


 扉の前で、王子様は懸命に呼びかけます。

 お姫様は、ふるえる声で「わたしは唯一美しかった髪を失ってしまいました。元々王子様に相応しい身分の者ではなかったのです」と言い、王子様は「私は、あなたの髪だけに惚れたのではありません。心優しい姫君。どうかお顔を見せてください」と訴えます。

 ならばと姫が蟲人の姿で扉を開けると、王子様は迷わず抱きしめて白い唇に誓いのキスをしました。

 驚くお姫様に「私は気付いていました。白繭の姫。あなたは身も心もとても美しい方です。ぜひ私と結婚してください」と、改めてプロポーズしました。

 白繭の姫の髪を切った令嬢は、罰として長い金色の髪をざんばらに切られてお城を追放されてしまいました。

 それから、白繭の姫は国一番の髪結いである蜘蛛娘に髪を綺麗に結ってもらうと、王子様と結婚式を挙げ、いつまでもしあわせに暮らしました。――――


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