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 いまにも倒れそうなほど青白い顔色のセレスティアを、レイラーニはそっと宥めてソファに座らせ、自身も隣に腰を下ろした。

 遠くでおろおろしているロアルディオはこの際ほうって置いて、突然拾われてきた小動物の如き令嬢をまずは落ち着かせようと白い手を撫でた。


「なにも、あなたの話を聞かず息子の妻にしようというのではありませんわ」

「……っ!!」


 目を見開きレイラーニを見つめるセレスティアの表情は、様々な感情が入り乱れて泣きそうに強ばっていた。どれほど恐ろしい目に遭ってきたのか、その片鱗は彼女のメイドから話を聞いている。強く気高い魔獣のふたりは、自らの主人にされたことを決して大袈裟にすることなく、しかし遠慮して控えることもなくありのまま暴露してくれた。


「お辛かったでしょう。いくら上位魔獣の方たちとはいえ、お嬢さんだけを伴にして森へ追い出すなんて、あまりに惨い仕打ちですわ。お話を聞く限り、あちらの方々はメイドのおふたりを人間と思っていたようですから、尚更ですわね」


 眉を下げて囁くレイラーニの声は優しい。

 震えるセレスティアのか細い手を撫でるやわらかな白い手も、真っ直ぐに見つめる眼差しも、語りかける言葉も。なにもかもが優しい。

 真に高貴な人間の曇りなき魂から紡がれる想いというものは、これほどまでに清く真っ直ぐで美しいものなのかと、セレスティアは初めて心から感じ入った。


「ロアが連れてきた娘さんですもの。わたくしたちも、悪いようには致しませんわ。あなたたちにはこの国を故郷と、この城を家と思って過ごして頂きたいの」

「……ほ、ほんとうに、よろしいのですか……? わたくしは……」


 語尾が消え、視線が足元に落ちる。

 レイラーニは決して急かさず、両手でセレスティアの手を包んだまま静かに言葉を待った。


「わ……わたくしは、魔獣の声を聞き、心で話をすることが出来るだけの聖女です。きっとこの国では、何のお役にも立てないと思います……」


 そう。この国は獣人族の国であり、魔獣も垣根なく平和に暮らしている国だ。今更魔獣の声が聞けるなど、国にとってなんのメリットにもならない。ましてや、魔獣を弾く結界が張れる能力は民になり得る存在を追い出す力でしかないのだ、マイナスになりこそすれ、貢献出来るとはとても思えなかった。


「あら。そのような些末事を気になさっていましたの?」


 だというのにレイラーニは、さらりと笑った。


「国に貢献出来ない民は不要と仰るなら、手や脚を怪我した兵士もいますぐ働き手になれない孤児も、皆追い出さなければなりませんわねえ」

「えっ……そ、それは……そんなつもりでは……」

「ふふ。そうでしょうとも。ですからあなたも、いますぐ国の役に立たねばなどとは考えず、まずはこの国を見て、歩いて、良く知ることから初めては如何?」


 レイラーニはセレスティアの頬を優しく撫でると、額にキスをした。


「あなたは真面目ながんばり屋さんのようですけれど、考えてご覧なさいな。王家に振り回された挙げ句に追い出されて、わけもわからぬうちに全く文化の違う異国へと連れてこられたのですよ」


 改めて言葉にすると凄い境遇だったのかも知れないと思い至る。もし自分ではない誰かがこの状態で国に来たとして、いますぐ国の役に立てと言えるだろうかなどと、考えるまでもなかった。

 恐らくレイラーニも、そのつもりで気が逸るセレスティアを宥めているのだろう。


「まずはゆっくりと心を休めなさいな。もしなにもすることがなくて落ち着かないというのなら、わたくしのティータイムのお供という仕事を差し上げますわ」


 レイラーニはおどけて言うと立ち上がり、扉へ向かった。そして、ただ見守ることしか出来ずにいたロアルディオの肩に触れ、耳元に唇を寄せる。


「セクアナの部屋を用意してあるわ。案内して差し上げなさい」

「はい」


 ロアルディオが片側の扉を開けると、レイラーニは去り際にふっとセレスティアを振り向いて。


「暫くごゆっくりなさって。よろしければ、またお話致しましょうね」


 優しく微笑みかけ、退室した。

 ぽつんと残されたロアルディオは嵐が去ったとでも言いたげな表情で溜息を吐き、ソファの傍まで戻って来た。ほんの数分のあいだに彼が随分と疲労したように見え、セレスティアは心配そうに彼の顔を覗き込む。


「セレスティア嬢……母上はああ言っていたが、もし城ではなく街に住みたいのなら言ってくれて構わない。とはいえ、暫くは我慢して頂くことになるが……」

「我慢だなんて、そんな……お世話になるばかりで申し訳ないくらいですのに」

「気に病まないでくれ。さあ、部屋に案内しよう」


 ロアルディオのエスコートで廊下を行くその道中に、城で働くメイドたちと何度もすれ違った。その度に、メイドが道脇へ避けて頭を下げる様子を見て、本当に王子様なのだとセレスティアは実感していた。騎士であれば、たとえどれほど位が高くとも同じ城勤めの者同士。挨拶を交わすことはあっても、わざわざ足を止めて頭を下げることはあり得ない。

 お城を追放されたと思ったら、またお城。孤児院や修道院で仕事をしていたときが何だか遠い昔のことのようで、セレスティアは世界と自分のあいだに薄い膜が張っているかのような現実味の薄い感覚を纏いながら、広い廊下を進んだ。


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