正体判明

「……!」


 驚きのあまり布を取り落としそうになり、セレスティアはハッとして布を掴んだ。

 いま自分が着ているものは何なのか、一秒たりとも忘れてはならないというのに、油断した。

 心臓がぎゅっとなったのを感じながら、安堵の息を漏らす。


「す、すまない。心配のあまり近付きすぎた。大丈夫か?」

「え、ええ……わたくしのほうこそ、大袈裟に驚いたりして……」


 ぎこちない仕草で体を離した二人のあいだに、何とも言えない空気が流れる。

 セレスティアがそろりとロアルディオのほうを見れば、向こうも同じような仕草で自分のほうを窺っていて。二人はぱちりと目を瞬かせたあと、揃って笑い出した。


「ふふ。ロアルディオ様、お水と布をありがとうございます」

「ああ。落ち着いたなら良かった」


 セレスティアが仄かに赤みが差した目元を和らげて微笑むと、ロアルディオも切れ長の目尻を柔和に下げた。

 何だか見つめ合っているのが照れくさくなって、セレスティアは不自然にならないよう窓の外へと視線を逃がした。其処には見事な庭園が広がっており、浴槽に浮いていたあの大輪の花が日の光の下で咲き誇っている。


「素敵……あの薄紅のお花は何というお花なのですか?」

「ああ、あれはブリギッテという。王家を象徴する花で、王族のみが使う湯浴み室や寝室には必ず切花が飾られている。案内した湯浴み室にもあっただろう」

「ええ。とても良い香りのお花で……」


 ロアルディオに答えかけて、ふと。

 いま彼は、何と言っただろうか。王族のみが使う部屋に使われている花だと言っていたような気がして、今し方の台詞を頭の中で反芻してみる。確かに、言っていた。何度思い返しても記憶は覆らない。


「……あっ、あの……わたくし、本当にあの湯浴み室を使ってしまっても良かったのでしょうか……?」

「なにも問題はない。私が許可したのだ」


 そう断言してもセレスティアの懸念は晴れない様子で、怖ず怖ずとロアルディオを窺っている。いったいなにをそんなに気にすることがあるのだろうと思えば、彼女の口から答えが得られた。


「で、ですが、その……いくら騎士様でも、王族の方のためのお部屋を外部のものに使わせては、叱られてしまいませんか……?」


 街を案内していたときに聞いた誤解が、未だ解けていなかったのだ。

 目を丸くするロアルディオを、同じような表情で見つめるセレスティア。先に口を開いたのは、ロアルディオのほうだった。


「セレスティア嬢、私は……」


 しっかりと名乗って誤解を解こうとしたとき、扉を叩く音がした。

 まったくなんてタイミングで来るのだと心の中で残念がりながら応答すると、扉の向こうから「ロア」と呼ぶ艶やかな女性の声がした。


「母上!? し、少々失礼致します!」


 セレスティアに断りつつ慌てて立ち上がり、扉を押し開ける。

 声に違わず、赤いドレスを纏ったロアルディオの母が穏やかな微笑を湛えて其処にいた。深い蜂蜜色の髪と若草色の瞳、女性らしいしなやかな体とハリのある白い肌。なにより凛と咲く一輪の花の如き高潔な立ち姿は、ただ其処にあるだけで高貴な者の存在感を放っていた。


「えっ、ロアルディオ様のお母様……?」


 それに驚いたのはセレスティアも同様で、立ち上がって扉に向き直る。すると赤いドレスの女性は扉を越えて真っ直ぐセレスティアの元まで歩み寄って来て、ふわりと微笑んだ。


「ご機嫌よう。息子や供の者たちから、あなたの話は聞いておりますわ」

「初めまして、セレスティアと申します」


 セレスティアが丁寧にお辞儀をすると、女性は「良く似合っていること」と、肩に触れた。


「あ……このドレスは……」

「それはわたくしが若い頃に着ていたものですわ。お話を伺って、着替えのドレスも持たされずにあの森へ追い出されたと伺ったものですから、丁度良いと思いあなたに差し上げましたのよ」

「……えっ」


 重ねて驚き、言葉を失ったセレスティアを、少し離れたところからロアルディオが気まずそうに見つめている。すっかり訂正のタイミングを逃しただけで、隠していたわけでも騙したわけでもないのだが。どうにも気まずい。

 ロアルディオの内心などお構いなしに、女性はおっとりと「何でも取っておくものですわねえ」としみじみしている。

 セレスティアはというと、女性の言葉とロアルディオの言葉を思い返して組み立て直して、そうしてやっと全ての事象が頭の中で結びついた。が、まだ混乱が解けない様子で、何度もロアルディオと女性を見比べている。


「ロアルディオ様のお母様で、このドレスは、王妃様が以前着ていらしたもので……えぇと……それではロアルディオ様は、お城の騎士様ではなく…………??」

「あら」


 其処で女性の中でもセレスティアがロアルディオの立場を知らずに来ていたことに気付き、扉の傍で所在なげにしている息子を振り返った。


「あなた、お嬢さんをお茶に誘っておきながら、自己紹介もしていなかったの」

「申し訳ない……」


 すっかり項垂れたロアルディオに「仕様のない子ね」と言ってからセレスティアに向き直り、恐れ多さに震えている手をそっと取り、やわらかな声で語りかける。


「セレスティア様。わたくしは当代国王の妻、レイラーニと申します。僅かながら、あなたの供の方から事情は伺っておりますの。どうぞ此処を新しい家と思って頂戴」

「……れ、レイラーニさま……わ、わたくしには、身に余る光栄で……」


 恐縮と、恐怖。手のひらから伝わる微かな震えは、以前にいた城での生活が未だにセレスティアの心を脅かしているせいだろうと、レイラーニは察していた。


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