傷口にすり込まれた癖
「――――というわけで、わたくしが王子との夜のお勤めを果たせなかったがためにジョゼフとエディまで巻き込んでしまい…………ロアルディオ様?」
簡単に経緯を話していたところで、ロアルディオから相槌すら返ってこなくなったことに気付いたセレスティアが顔を上げて正面を見る。と、部屋を訪ねたとき同様に固まってしまっていた。
お礼の流れとはいえお茶の時間にする話ではなかったと慌てて「ごめんなさい」と言いかけたときだった。
「それは……大変だったな」
胸の奥から絞り出すような、何処か掠れた低い声で、そう労われた。
「聖女のお役目が何たるかも理解せず、己の欲望だけを押しつけるなど……あってはならないことだ。あなたは間違っていない」
「ロアルディオ様……」
眉根を寄せて静かに怒りを口にするロアルディオの姿に、セレスティアはこれまで耐えてきた自分が救われた心地がした。
ずっと自分が悪いのだと思っていた。婚約者として王家に迎えられたにも拘らず、彼の要望に応えられなかったのは事実で。彼よりも聖女としての役割を優先したのも事実で。だから、虐げられたのも捨てられたのも当然の報いだと、そう思っていた。思おうとした。
しかしロアルディオは、セレスティアが聖女であろうとした心を尊重してくれた。
ずっと、ずっと、受け入れたものと思っていたが、そうではなかった。本当はただ耐えていただけだと知った。いまこのとき、セレスティアは初めて己の心が傷ついていたことを自覚したのだ。
「っ……ぁ、ご……ごめんなさい……」
痛みを自覚した途端に涙が溢れ、セレスティアは慌てて顔を伏せた。
人前で――――しかも恩人の前で涙を見せるなどみっともない真似をするつもりはなかったのに。一度ヒビの入った心は、それまで押し留めていただけの痛みに悲鳴を上げ、涙という形で体を突き破っては外へと出て行こうとする。
ロアルディオは静かに席を立つとセレスティアの正面に膝をつき、涙に濡れた頬に手を添えた。
「きっと、ようやく心が檻から解放され始めたのだろう。此処には、私しかいない。あなたを咎める者は誰もいないのだ。存分に泣いて、痛みを洗い流すといい」
「……ふ、ぁ……あぁ…………ロア、ッ……ディオ、さまぁ……っ」
許しを得た途端、抑えていた感情が溢れ出て、セレスティアはロアルディオの胸に縋り付いてひたすらに泣き続けた。心のままに涙を流しても声をあげることはせず、静かにしゃくり上げている。
ロアルディオはセレスティアの細い肩を抱きしめ、優しく背中を撫でた。
それから、泣いて泣いて、泣き続けて。
息が上がり、頬と目元がすっかり赤く火照った頃。
ようやく泣き止んだセレスティアは、ロアルディオのハンカチで顔を隠しながら、自己嫌悪に陥っていた。
「……ごめんなさい……初めてお会いした殿方に身の上話をお聞かせしたばかりか、子供のように泣いてしまうなんて……」
「気にしなくて良いと言っただろう。それよりも、目を冷やして休んだほうがいい。立てるか?」
「はい……」
ロアルディオに手を取られ、そのまま部屋の中を数歩移動してやわらかなソファに座らされた。ふわふわのクッションに体が浅く沈むのを感じ、手のひらを軽く座面に触れさせて押してみた。
「ふふ。気に入ったか?」
「あっ、ご……ごめんなさ……」
「セレスティア嬢」
殆ど条件反射で謝罪の言葉を紡ぎかけたセレスティアの唇に、ふとロアルディオの人差し指が優しく添えられた。目を丸くして押し黙ったセレスティアに微笑を向け、ロアルディオはやんわり切り出す。
「私が咎めていないときにまで、そのように謝らないでほしい」
「え……と、ごめ……あっ、え、あの……」
言われて気付いたが、セレスティアはなにか言われる度に謝る癖がついてしまっていた。
ロアルディオは自分を責めていない。咎めていない。怒鳴りつけもしなければ殴ることもない。頭ではわかっている。他に、相応しい言葉があるということも。なにもしていないのにただ謝罪をするのは、「私はいまあなたに責められました」と相手に加害者の立場を押しつけるようなもの。
ストゥルダールで言われた被害者面という言葉を、自ら演じているも同然なのだ。
「わかりました。以後気をつけます。ロアルディオ様とは、心穏やかにお話がしたいですから」
「ああ。私もだ」
痛々しい涙の痕が残る顔で微笑むセレスティアの頬を、大きな手が包む。その心地よさに思わず目を伏せてすり寄ると、ロアルディオの息を飲む気配がした。
「ロアルディオ様、如何なさいまして?」
「い、いや、痕が残ってしまったと思ってな。すぐに冷やした布を用意させよう」
ロアルディオがベルを鳴らすとすぐに従者が駆けつけてきて、扉がノックされた。ロアルディオが閉じた扉越しに指示を出すと、幾許もなく冷たい水を張った陶器製の器と清潔な布が届けられ、絞った布が手渡された。
ひんやりとした感触に、ほっと息を吐く。異性の前でこれほど心穏やかにいられる日が来ようなどと、以前は夢にも思わなかった。布で目を覆っているセレスティアが怯えないよう、正面に膝をついたまま手を握っていてくれるのもありがたい。
暫くじっと冷やして、布が温まってきた頃に一度外し、目を開ける。と、思いの外至近距離で見つめているロアルディオがいた。
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