雲の上の夢

 翌日。セレスティアはノックの音で目を覚ました。

 雲のようにふかふかのベッドは初めてで、布団に潜り込んだ瞬間はもったいなくて眠れないと思っていたのに、気付いたら眠りに落ちていた。いったいいつ寝たのか、どれくらい寝たのか、全く記憶にない。時間が飛んだような気さえする。


 ぼんやりする頭を振り、扉のほうを見ると、見慣れた後ろ姿があった。


「……ええ。支度が終わったらまた……はい」


 どうやら既にジョゼフが応対に出てくれていたらしく、両開き扉の片側だけを薄く開いて、寝起きのセレスティアが外から見えないようにしてくれている。

 話し終えて戻って来たジョゼフの手には着替え一式があった。


「ジョゼフ……そのドレスは?」

「王妃様がお若い頃に着ていらしたものだってさ。着替えたら食堂に案内するから、部屋で待っててほしいって」

「わかったわ。ありがとう、ジョゼフ」


 セレスティアの隣ではエディが未だに安らかな寝息を立てている。起こさないようそっとベッドから抜け出すと、エディが身を縮めて「ティアさま」と寝言を呟いた。


「こうして見ると、エディはまだまだ子供だね」

「そうね……もっとたくさん甘えたり遊んだりしたい年頃でしょうに、つらい環境に付き合わせてしまったわ」


 ジョゼフに着替えを手伝ってもらいながら、セレスティアは、エディのあどけない寝顔を見つめて溜息を零す。

 エディは、人の年齢に照らし合わせると十歳に満たないほどで、育ての恩人であるジョゼフと大好きなセレスティアのためだからと言ってあの城に着いてきたのだが、本来ならば孤児院で保護されているべき年頃だ。

 早熟種族であるエクルイユ種は殆どが十二歳ほどで働きに出るとはいえ、それでも早すぎる。


「でもね、お嬢様。申し訳ないからって頼るのをやめたら、エディは傷つくよ」

「……わかっているわ」


 それはセレスティアにも理解出来ることだ。

 エディは、セレスティアやジョゼフの役に立てることがうれしくて、褒めてもらうことがうれしくて、どんな環境でも決して泣き言を言うことはなかった。

 道中の罵詈雑言を思えば、単に気持ちを抑えてきただけかも知れないが。それでも『メイドを辞めて孤児院に帰りたい』と言ったことは一度もなかった。


「ジョゼフ。あなたのこともわたくしは大切に思っているのよ」

「知ってる」


 フッと笑って、事も無げに肯定するジョゼフの飾らない性格にも、セレスティアはいつも救われてきた。

 ジョゼフもエディも、タイプこそ違えど素直で真っ直ぐな性格をしている。二人がいたからこそあの環境でも耐えてこられたのだと、セレスティアは改めて思った。


「はい、準備完了。王妃様の体格に合わせて作られたドレスみたいだけど、其処まで違和感ないね。お若い頃の王妃様とお嬢様の体格が近いのかな」

「それなら、わたくしにも希望はあるかしら……」

「んっ……ふふ」


 セレスティアの視線は、控えめな胸元に落とされている。

 レイラーニは豊かな胸を持ち、やわらかな曲線を描いた、女性らしく優美な体型をしていた。現在身につけているものではなく、若い頃のものをセレスティアに渡してきた理由の一部に、体格の差が含まれているだろうことは明白である。

 幼児体型のエディと、スレンダーなセレスティアに並び、豊満且つ筋肉質で長身なジョゼフ。小柄で細身なセレスティアにとって、ジョゼフの恵まれたスタイルはある種の憧れだった。


「そうだね。まだわからないよ、きっと」


 パッと表情を華やがせたセレスティアの頬にキスをして、セットをした髪を優しく撫でる。

 ジョゼフはセレスティアの体が成長しない理由に気付いていたが、口にも表情にも決して出すことはなかった。

 まともな食事も与えられず過剰なストレスに晒されていたせいで体が成長を拒んでいたなんて。今更知ったところでどうにもならないのだから。それに、本当に原因があの忌々しい城での環境にあるのなら、希望があるというのも嘘ではないのだ。

 この城で心穏やかに過ごすことが出来れば、或いは。


「んん……ティア様……?」


 セレスティアの支度が全て調ったところで、エディが眠たそうな声を漏らしながら目を覚ました。上体を起こし、目を擦りながらもぞもぞとベッドから這い出てくる。


「わたくしは此処よ、エディ」

「ほら寝ぼすけ。そろそろ着替えな」

「はぁい」


 半ば夢の国に浸りながらも、エディの体は習慣をなぞり始める。

 裾と袖口のフリルが愛らしい生成のネグリジェを脱ぎ、上からメイド服を被って、ボタンを閉め、エプロンを着ける。袖口にカフスを装着して栗色の髪を結い、メイドキャップを被れば準備は完了。

 着替え終える頃には目も覚めていて、両手で頬をパチンと叩くと、にっと笑った。


「おはようございます、ティア様、ジョゼ」

「おはよう。今日も可愛いわ」

「おはよう」


 満面の笑みで抱きついてきたエディをセレスティアが受け止め、頬にキスをするとくすぐったそうな声がエディから漏れた。

 二人は種族が違うのはもちろん髪や瞳の色も違えば顔も似ていないのに、こうしていると仲の良い姉妹に見える。


「エディ。初めてのベッドはどうだった?」

「すっごいふわふわでした! 今日はジョゼがベッドで寝ていいですよ」

「いや、あたしは……」


 遠慮しかけたジョゼフに、セレスティアが「それなら今日は三人で寝ましょう」と提案する。

 この部屋のベッドはとても大きく、三人が並んで寝てもまだ余るほど広い。期待の目で見つめる二人に圧され、ジョゼフは「わかった、わかったよ」と両手を挙げて、降参のポーズをとった。


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