蝕まれゆくもの

忍び寄る異変

 聖女セレスティアを追放したストゥルダール王国は、直後暫くのうちは平穏無事にあり続けた。国の中心から聖女が消えても即座に結界が砕け散るわけではないため、民も王族もセレスティアの行いを「やはり不要なものだった」「王子の言うとおり、あれは偽聖女だったに違いない」と侮っていたのだが。

 追放からひと月が経とうかという頃。国の外れに魔獣が発生した。

 獣人王国がある北方面ではなく、真逆の南からだった。ストゥルダール王国の民はこれまで、魔獣は獣人王国の者がけしかけてくる蛮獣であると教えられてきたため、予想していない方角からの襲撃に混乱した。

 卑しい蛮獣が、頭を使うようになったのか。国を回り込んでまで襲撃するなんて。そういった声がある一方で、外からの知識を得て魔獣と獣人が別種の生き物であると知っている者もいる。魔獣は自然界の何処にでも存在し、ゆえに世界各地にて聖女が重宝されているのだと。


「ご報告致します! 南端の村、並びに交易都市は壊滅状態! 救援も間に合わず、生存者は僅か五名、いずれも重傷とのことです」


 謁見の間にて膝をつきながら傷ついた兵士が国王に報告するその内容は、あまりに凄惨極まるものであった。だが国王は眉一つ動かさずに報告を聞き終えると、小さく溜息を零し、ひらひらと手を振って顔を逸らす。


「そうか。下がれ」


 あまりに投げやりな声でたったそれだけを投げ返され、兵士は一瞬面食らったが、すぐに頭を下げて王の前を去った。


 魔獣発生の報せを受けて兵たちが向かった先は、地獄の様相だった。

 いびつな獣の姿をした黒い影が街を、村を蹂躙し、畑を荒らし、建物を踏み潰し、泣き叫び逃げ惑う人々を捕らえては、まるで枝葉をちぎるかのように遊んでいた。

 国の結界は最早機能しておらず、唯一対話できるとされていた聖女もいない。

 あの日、最悪の侮辱を投げつけて追い出した聖女は、もしや本物だったのでは――悪夢のような光景を前に今更悔やむが、どうすることも出来なかった。

 魔獣はひとしきり暴れると、煙のように霧散した。

 あとに残されたのは、破壊の限りを尽くされた、嘗ては賑やかな交易都市であったがれきの山のみ。

 兵士も多くが負傷してしまったため、ろくな調査も出来ないまま、凄惨な姿の街に背を向けてただ引き返すことしか出来なかった。


「あんな魔獣は見たことがない。お前はあるか?」

「いや……例の追放された聖女に同行したことがあるけど、あんなのは一度も」

「錯乱して矢を射った奴がいたけど、すり抜けていったように見えたな。少なくとも効いてるようには見えなかった」

「実体を持たない魔獣ってことか? そんなものどうやって対処しろってんだ」

「剣が効く相手じゃないよな。またあんなのが出たらどうすれば……」


 城下町の門前で見張りをしている兵士たちは、いつ目の前にあの魔獣が現れるかと気が気でない様子でぼやいている。街の住民も噂で国外れの村と町が壊滅したことを耳にしており、早めに店をたたんで次の街へ向かう商人も現れ始めた。


「そういえば、現場で倒れた奴はまだ療養中か?」

「西門脇の詰め所が負傷者専用になってるから、たぶん其処にいるだろ」


 そうか、と呟いて再び前を見る。

 城も城下町も、一見すると平和だが、人々の表情には拭えない不安が映っている。


 そんな中、代わり映えしないものが一つ。


「ねぇアル様ぁ、先ほど城下でお買い物していたら、店主にただ飯食らいの役立たずなんて罵られましたのぉ。あたくし傷つきましたわぁん」

「何だと? 卑しい平民の分際で、俺の愛しいミラにそんな暴言を吐くとは許せん。どの店だ? 俺が潰してやろう」


 しなだれかかりながら訴えるミラベルの肩を抱き、アルバートがいきり立つ。

 実際は、先に別の貴族女性に売っていたアクセサリーを自分に寄越せと言ったのを丁重にお断りしただけで、店主はミラベルに暴言の一つすらも吐いていないのだが。ミラベルにとっては、自分の思い通りにいかないだけで万死に値する罪なのだ。

 遠い街が潰れようと、村が一つ消えようと、彼らにとっては思案の外。どころか、耳に入っているかどうかも怪しい有様である。


 ミラベルと王子は、昼も夜もなく遊び耽り、豪奢なドレスやアクセサリーを纏い、好き放題贅沢三昧。以前は見すぼらしい格好をしていたセレスティアを見下していた城の従業員たちだったが、いまや真逆の華美がましいミラベルを疎ましく思うようになっていた。抑もセレスティアが見るに堪えない格好をしていたのもミラベルによる嫌がらせでしかなかったのだ。

 このまま贅沢三昧が続けば国庫が食い潰され、国が傾く。そうなれば仕事を失い、自分たちの生活が危うくなる。ある程度地位や財力のある人間ならば、余所へ逃げて新たな職に就くことも出来ようが、一介のメイドではそれも難しい。国内にある別の貴族に雇われるのとはわけが違う。

 抑もいまの状況では、国内の貴族たちも余計な従者を雇う余裕などないだろう。


「故郷へ帰ることも考えるべきかしらね……」


 洗濯をしながら、一人のメイドがぽつりと零した。

 その背後に、黒いモヤのようなものが音もなく近づく。

 そして、知人にそうするかのように黒い手が肩を軽く叩き、メイドが振り返った。洗い残しでもあっただろうかと思いながら。


「ヒッ!? な……何……っ!」


 見開かれた目に、黒い影が映る。

 華奢な人の形をした、朧気な影が。

 あまりに唐突な異変の登場に反応出来ずにいると、それは細長い蛇のような異形に姿を変え、驚愕に固まっているメイドの口へと滑り込んだ。目を見開いたまま両手で喉を押さえ、涙を流しながらジタバタと足を暴れさせるが、どうにもならない。地に転がった体が、ビクビクとのたうつ。零れ落ちそうなほど大きく瞠られた目から涙が溢れて、地面を濡らす。

 やがて、必死にもがくのも空しく、影はメイドの体内に全て収まった。


「……ぁ……が……ァッ…………グボッ…………」


 メイドは二度三度と大きく痙攣すると、息絶えたかのようにその場で横たわった。だが幾ばくもなく何事もなかったかのように起き上がると、鼻歌を歌いながら洗濯を再開した。


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