偽聖女の誹り

 静かに、けれど確実に国を異変が蝕んでいく中。

 とうとうミラベルが国王の前に引きずり出された。

 頭を下げているその下で不服そうな表情をしながらも、表向きは従順に振る舞う。アルバートは色香で籠絡出来ても、年寄りの国王相手にそれをするのは気分が悪い。ならばこの場はおとなしくしているのが一番だと、ミラベルも理解していた。


「聖女ミラベル。これより聖女としての仕事を言い渡す。否やはあるまいな」

「ええ、勿論ですわ、国王陛下」


 睨みを利かせる国王に対し、笑顔で答えるミラベル。

 その表情には自信が満ちており、自分に出来ないことはないと物語っていた。実際ミラベルは、癒しの聖女の力を持っていた。それを人のために使ったことは、ただの一度もなかったけれど。

 王命に真っ向から背くほど愚かではないミラベルは、貴族令嬢のようにしとやかに頷いて見せた。


「癒しの聖女ならば、遠征で傷ついた兵士たちの傷もたやすく治癒出来るであろう。いますぐに西門の兵団詰め所へ赴き、彼らの治療を行うのだ」

「仰せのままに」


 色の濃い紅を乗せた唇を笑みの形に歪めると、華やかなドレスを翻して謁見の間をあとにした。そしてそのままの足取りで城の外れにある兵団詰め所へ向かうのだが、建物が見えてきた辺りで名状しがたき悪臭がすることに気づいて、足を止めた。


「なにかしら。ゴミでもたまっているっていうの? 汚らわしいこと。そういえば、負傷した兵を纏めて置いているって言っていたわね。ならゴミ溜めも同然だわ」


 眉を寄せ、暫し思案する。

 このまま城に帰ってしまおうかとも思ったが、顔すら見せなかったことがバレれば面倒なことになる。汗臭い男共が山ほど詰め込まれた薄汚い建物など、近づきたくもないのだが、そうも言っていられない。城を追い出されれば全てが水の泡だ。


「面倒だわ。使えなくなった兵なんて捨ててしまえばいいのに。本来の使い道で使うことが出来ないものを置いておく理由などないでしょうに」


 溜息と共に吐き捨て、建物に近づく。

 やはり、人生で一度も嗅いだことのない嫌な臭いが中から漂っている。

 もしや此処には怪我人ではなく死体でも収められているのではと思いながら、扉を開け――――直後、その場に蹲り、激しく嘔吐した。

 目を見開き、浅く荒く息をする。

 質量のある異臭が肺を塗り潰す。刺激臭が目を貫き、涙が止まらない。其処へ己の吐瀉物の臭いが混ざり、あまりの事態に体がガクガクと震えだした。


 こんなところ、一分一秒といられない。いたくない。


 よろめきながら立ち上がり振り向いた其処には、国王が兵を侍らせて立っていた。険しい顔でミラベルを睨み、無言のままに圧力をかけている。

 怖々と、詰め所内に視線を戻す。が、寝台と呼ぶのも悍ましい簡素な板の上に体を投げ出している様を見るだけで、強烈な吐き気が込み上げてくる。

 彼らは、かろうじて死んでいないだけだった。

 虚ろな目を宙に投げだし、意味をなさないうめき声を上げる肉の塊。傷口は腐敗し膿の温床となっており、腐臭を通り越して死臭を放ってさえいる。よくよく見れば、傷口の奥に蠢く白い虫の姿があった。それらに食い荒らされる痛みさえ、最早彼らは感じていないようだった。


「こ……こんな、の……あたくし……」


 癒しの力を使うには、対象に触れなければならない。この、悍ましい物体に。そう思うだけで心が拒絶する。


「どうした。よもや、出来ないと申すか。……確か、本来の用途で使えぬものは廃棄すべきだと、自分で宣っていたな」

「い、え……それは……」


 ガタガタと震えながら、比較的原形をとどめている兵士に手を伸ばす。縦に大きく切り裂かれた脚部に触れて、癒しの力を発動した――――はずだった。


「う、嘘……!」


 だが兵士の傷は、僅かも癒えていなかった。

 大きな裂傷の周囲にある細かい切り傷さえ、全く塞がっていないのだ。

 それを見咎めた国王が、威嚇するように低く唸る。


「偽聖女ミラベル。貴様の処分は追って伝えることとする」

「そんな……! なにかの間違いですわ! 陛下、これはなにかの……」

「無礼者!!」


 手を伸ばし縋ろうとしたミラベルを、近衛兵が叩き落とす。

 ミラベルは思わず乾いた音を立てて弾かれた手を見、それから国王を見た。国王は何の感情も映していない乾いた瞳でミラベルを一瞥すると、何も言わずに立ち去ってしまった。


「嘘……嘘よ……こんなの……あたくしは……」


 ぶつぶつと呟きながら、ふらりと詰め所から外に出る。

 当て所なく歩いていると、いつの間にか城の北側に出ていた。この先は蛮獣たちが住む森に続いている。


「……そうだわ。あたくしが間違うはずないもの。きっとそう……そうよ……」


 狂気をはらんだ眼差しで北の果てを睨むと、ミラベルは意思の宿った足取りで城の中へ戻っていった。

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