堕ちてゆく
一方その頃。
国王に呼び出されたあと、ミラベルが全く姿を見せていないことを訝しみ、王子は廊下で一人のメイドを呼び止めた。
「なにか御用でしょうか」
「ミラベルを見なかったか。隠し立てすると……」
「いえ。存じ上げません。お言葉ですが王子、私どもが仕事をするようなところは、ミラベル様は決して近づかれませんので」
失礼します。と頭を下げ、メイドはスタスタと歩き去って行った。
これまででは考えられない態度だった。呼び止めた瞬間怯えた顔をしなかったのもそうだが、王子の言葉を遮って言いたいことを言い、許可を出す前に立ち去るなど、あり得ないことだ。
その後も別のメイドを呼び止めて同じことを訊ねたが、誰も同じ答えだった。全く知らない。見ていない。汚れるところに来るはずがないと、同じ言葉を聞き続けた。そして誰もが同じように王子の言葉を遮って一方的に話して去って行く。
まるで、全員が同じ舞台の台本を読んでいるかのようだった。
いくら何でもおかしいと思い、アルバートは城中を歩き回った。しかしミラベルが行きそうなところはもちろん、滅多に近づかない中庭などにも見当たらない。あとはそれこそ、絶対彼女が行かないような、使用人や兵士がいる場所くらいしかない。
「まさかな……」
まずアルバートの脳裏に過ぎったのは、兵士たちと浮気をするミラベルの姿だ。
だがすぐにそんなはずはないと頭を振り、一抹の不安を抱えながら兵団詰め所へと足早に向かった。
その途中で、アルバートは鼻をつく腐臭を嗅ぎ取った。
これ以上近づいてはならないと、本能が警鐘を鳴らす。
「……こんなにひどい臭いがするなら、さすがにいないだろう」
あまりの腐臭に中を確かめる気にもなれず、遠巻きに建物を眺めるだけ眺めると、アルバートはそそくさと踵を返した。
これだけ探しても出会えないのなら、もしかしたら入れ違いになっているだけかも知れない。そう思ったアルバートは、一度自室に戻ることにした。
果たして国王の用事が何だったのかは不明だが、いい加減終わっているだろう。
「ミラ、いるかい?」
部屋の扉を開けると、ベッドが僅かに盛り上がっていた。緩やかな曲線を描いて、白い絹の薄掛けがベッドの端から垂れている。
「ああ、良かった。ミラ、戻っていたんだな」
アルバートが薄掛けを取り払いながら優しく声をかけると、ミラベルは下着同然の姿で啜り泣いていた。ギョッとして隣に腰掛ければミラベルはいつものように肢体をまとわりつかせ、半ばまで見えている胸を押しつけながら涙目で見上げてくる。
「アル様ぁ……あたくしの癒しの力が、失われ始めておりますのぉ……」
「何だって!? いったい、どうしてそんなことに」
ミラベルはアルバートの腕に谷間を寄せながら、吐息混じりの声で囁く。蠱惑的で扇情的なミラベルの姿に、アルバートの鼻息が荒くなる。それに気をよくしながらも表には出さず、あくまで傷ついた聖女の仮面をかぶったままで、ミラベルは続けた。
「あの女の仕業ですわぁ」
あの女。
その言葉で思いつくのは、ただ一人。追放した偽聖女セレスティアだ。
「あたくしを妬んで、怨んで、あたくしも偽聖女の烙印を捺されればいいとしつこく呪っているに違いありませんわぁ。だってあの日追放されたとき、あの女はずぅっと妬ましげにあたくしを睨んでおりましたものぉ」
「なんて女だ……! 獣と交わるような女は性根まで腐りきっているのだな」
「アル様の仰るとおりですわぁ。あの女は森の魔獣さえも懐柔して、きっと獣人共の国でぬくぬく暮らしておりますわぁ。あたくしをこんな目に遭わせておいて、ひどい女だと思いませんことぉ?」
そう言って、ミラベルはアルバートの下腹部に手を伸ばした。
淡い光がアルバートの体を包み、体内の奥深くから熱が湧き上がる。それを見て、やはり先ほどの出来事はなにかの間違いだったのだと安堵した。とはいえ国王の前で失敗した事実は消えない。早く何とかしなければ、待っているのは忌々しい女と同じ追放の末路だ。
ミラベルの持つ力は、対象に活力を与える力である。どれほど疲労しきっていても三日三晩休まず鉱山で働けるほどの活力を得る。ゆえにミラベルは、外にいたときは好みの男を、城ではアルバートをその気にさせるために力を使っていた。
使い捨ての兵士を癒やすために力を使うなど、とんでもないことだ。もしかしたらその想いが失敗を招いたのかも知れないと今更気付くが、最早兵士はどうでも良い。王子さえ堕としてしまえば、あとは年老いた国王だけ。
先のない老人の始末など、きっと何とでもなる。
「あたくしのために、あの忌々しい畜生女を始末してくださいますわよねぇ……?」
「ああ、ああ、もちろんだ、ミラベル。何でもする。愛しい君のためならどんなことだってしてやろう。だから……なぁ、いいだろう?」
「うふふふっ、もちろんですわぁ、アル様ぁ」
首に腕を絡め、抱き合いながらベッドに沈む。
どちらからともなく口づけをして、二人は夜が更けるまで情を交わした。
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