知って覚えて歩み寄る

塞いだ扉を開くもの

 孤児院を視察してからというもの、セレスティアは幾度となく院に足を運んだ。

 最初こそ人間であるセレスティアに対して猜疑心を抱いていた一部の子供たちも、徐々に心を開いて打ち解けるようになっていった。全ての魔獣が理性のない化け物でないのと同様に、人間にも獣人や魔獣を獣と見下したりしない者がいる。そのことを教わった知識だけでなく、実感として理解することが出来つつあった。


「セレスティア様は、人間の国でも孤児院でお仕事してたの? お洗濯とか、すごく上手ね」

「ありがとう。そうなの。わたくしのメイドたちと一緒に、ご奉仕していたわ」

「ねえねえ、人間って何にも化けらんないってほんと? セレスティア様も?」

「そうね。わたくしも、他の人間も、皆のような変身は出来ないわね」

「えー、それって不便じゃない?」

「不便なこともあるけれど、その代わり人間は道具をたくさん作ったわ。獣人族も、人の形で過ごすときは道具を使うでしょう?」

「そうだった!」


 孤児院を訪れる度に子供たちから質問攻めにあい、いつの間にか人と獣人の違いや似ている箇所を話すのが日課となっていた。かと思えば、文字が読めるようになった子が獣人族のための絵本を読み聞かせてくれることもあり、セレスティア自身も学ぶことが多く充実した日々を過ごしていた。

 獣人族の使う文字は殆どが表意文字で、単語の前後や記号の装飾で意図を変える、独特の表現方法を用いている。音素文字のみを並べて言葉を作る人間の文化とは全く異なるため、未だに幼児向け絵本を読むだけでも難儀してしまうのだが、子供たちはあきれたり馬鹿にしたりすることなく、寧ろ楽しげに教えてくれる。

 天気の良い日は庭で遊ぶこともあるのだが、そのときは彼らに交ざることなく少し離れて見守るか、養母の話を聞いて過ごしている。というのも、いくら子供といえど獣人と人間では力が違いすぎるためだ。エクルイユ種でなくとも、爪や牙が鋭い種や腕力が強い種が殆どである。エディのようにしっかり加減を覚えるまでは戯れでさえ許さないのは、お互いのためなのだ。


「ダナエ様、なにかお困りごとはありませんか?」

「ええ、お陰様で不自由なく過ごせておりますわ」


 庭に面した食堂の一席でお茶を頂きながら、セレスティアは養母長のダナエと共にはしゃぎ回る子供たちを見守っていた。

 設置された遊具はどれも獣人向けに作られた頑丈なものだが、それでも長年子供の相手をし続けた名誉の傷痕が至るところに刻まれている。煉瓦に深く空いた牙の穴、硬い木と縄で作ったボロボロの爪とぎ、思い切り投げても破裂しない素材のボールや登って遊べる丈夫な太いロープなど。

 全身で遊んでいる子供たちを微笑ましく眺めていたが、ふと一人の少年が隅っこで膝を抱えていることに気付いた。


「あら……? あの子は……」


 セレスティアの呟きと視線に気付いたダナエが、ああ、と声を漏らす。


「あの子は、エクルイユの子ですわ」

「まあ、エクルイユの……」


 ふと、セレスティアの脳裏に、いまより幼い頃のエディの姿が過ぎった。石の器を割ってしまい、自分はあまりにもたやすくものを壊すのだと痛感した日のこと。以来人に近付くことさえ恐れ、怯え、片隅でじっと小さくなっていた。


「数日前、他の子の腕を掴んだとき、意図せず骨にヒビを入れてしまったのです」

「えっ」


 あちらを、との言葉と共に、ダナエは腕に包帯を巻いた少女を示した。彼女は既に両手を使って遊んでおり、骨折の痛みは感じていないように見える。


「エクルイユの子はリュケイオ、あちらのニンフェの子はアステリアと申します」

「ニンフェの子で、ヒビが入っただけだったのですか……?」

「ええ」


 意外そうに訊ねれば、ダナエはしかと頷いた。

 ニンフェ種は屈強な種が多い獣人族には珍しく、小鳥のように軽い体を持つ繊細な種だ。水に溶ける性質を持ち、古くは泉に隠れて旅人に悪戯をする者もいたという。そんな子の腕をエクルイユの少年が掴んで握り砕かなかったのは、奇跡が起きたのでなければ少年の力加減がほぼ完成しつつあることの証左である。


「アステリアは彼に対し、怒っても嫌ってもいません。謝罪を受け、許しています。ですが彼は、あれからすっかり怖がってしまって……アステリア以外の子にさえ全く近寄らなくなってしまいました」


 セレスティアは暫く思案してから顔を上げ、ダナエに「リュケイオに、紹介したい人がいます」と伝えた。


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