契約完了

「……っ、はい……全て、事実です……」


 嘗ての出来事が蘇るようで、手が震えた。答える声も情けなく震え、涙が出そうになる。何とか堪えてロアルディオに返却すると、ロアルディオは「すまない」と一言断って調書を受け取った。


「これは、重要な証拠となる。ストゥルダール王国の聖女に対する振る舞いは決してあってはならないことだ。セレスティア嬢たちが受けた傷を無駄にしないためにも、調書は厳重に保管させてもらう」


 ロアルディオの真摯な顔つきに、胸の奥がチクリと痛んだ。

 彼が契約書に最後の一文を書き足したのは、あの王国でエディとジョゼフを人質に取られたことを知ったからだ。

 セレスティアの浮かない表情を、どう捉えたのか。ロアルディオは調書を鍵付きの箱にしまい、更に引き出しの奥へと押し込めた。そして代わりに雇用契約書のほうをそっと押し出し、羽ペンをセレスティアに差し出した。


「この契約内容で構わなければ、サインをお願いしたい。其方のお二人も」

「はい」


 まずセレスティアが名を記し、次いでジョゼフが。最後にエディが名前を書いた。

 署名欄にはセレスティア・フェスティーシャ。ジョゼフィーヌ。エドウィージュと三人の名前が並んでいる。魔獣は獣人族と違い、姓や氏を持たない。そして本来なら決まった個体名も持たないのだが、二人は人里で暮らすにつけてセレスティアが名を与えたのだ。


「ジョゼフィーヌと、エドウィージュというのか。良い名だな」

「えへへ。あたしも気に入ってます」


 屈託なく笑う無邪気なエディにやわらかく微笑を返し、ロアルディオは立ち上がり机を迂回すると、セレスティアの正面に立った。


「これからは、此処を家だと思って過ごしてほしい。もちろん、城下町も自由に見て回って構わない。私の手が空いているときは伴をしよう。これから、よろしく頼む」


 差し出された大きな右手と、ロアルディオの顔を見比べる。

 優しい蜂蜜色の眼差しがセレスティアを真っ直ぐに見つめている。セレスティアがそっと右手を握り返すと、ロアルディオの瞳がより甘く細められた。


「ああ、そうだ。母上が、セレスティア嬢に話したいことがあると言っていた。このあと母上の元を訪ねて頂けるだろうか」

「レイラーニ様の、ですか? 畏まりました。お伺い致します」

「エディとジョゼフは、当家のメイドから城内を案内してもらうといい」

「承知しました」

「行ってきまーす」


 部屋の外で控えていたメイドに二人が着いていくのを見送りつつ、セレスティアが自分は誰について行けばいいのだろうと思っていると、ロアルディオがエスコートの姿勢を取った。


「ロアルディオ様がお連れくださるのですか?」

「ああ。今日は特に急ぐ仕事もないからな。良ければご一緒しよう」

「ありがとうございます。お願い致します」


 花が咲くような笑顔で礼を言うセレスティアを眩しそうに見つめ、ロアルディオは案内を開始した。道中に見える景色や部屋を紹介し、その最中で、この城では大きな客室に花の名前がついていることを説明した。

 セレスティアたちに与えられた部屋はセクアナの部屋。他にもディアドラの部屋やエーディンの部屋などがあり、それぞれに部屋の名を持つ花が飾られていたり、花をモチーフにした絵画や調度品等が使われていたりする。


「客人がいないときや季節が合わないときなどには造花を飾っているのだが、それも人気でな」

「造花……作り物のお花ですの?」

「ああ。もし良ければだが、今度造花職人の店にも案内しよう」

「ええ、ぜひ。わたくしも拝見してみたいです」


 ドレスは裁縫師が全て作っていると思っていたが、花だけを作る職人がいるとは。しかもそれを、ドレスに使うのではなく本物の花のように飾っているなんて。

 まだまだ世の中には知らないことがたくさんあるのだと実感する。


「母上。お連れ致しました」


 やがて城の別棟、庭園を挟んだ先にある赤い煉瓦の屋敷に着くと、ロアルディオはノッカーで扉を叩いて中に声をかけた。どうぞとの声を受け、扉を押し開ける。


「来てくださって嬉しいわ。さあ、此方へいらして」


 屋敷の中にはトルソーや作りかけのドレス、アクセサリーが所狭しと並んでいて、見たところ王妃の私室というわけではなさそうだった。

 なにより、レイラーニの隣でじっと直立不動のままでいる職人風の男性のほうが、この空間に良く似合っている。屋敷の内装は、孤児院で仕事をしていたときに何度か見た仕立屋の職人部屋に似ていた。


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