白繭の姫

 部屋の中心には楕円形の浴槽があり、水面には薄桃色の花が浮かんでいる。室内を満たす甘い花の香りと、澄んだ水の匂いがセレスティアを包む。天井を支える円柱は浴槽の四方にも立っており、見上げれば部屋の天井とは別に小さな屋根がある。

 つまりはこの浴槽自体が、小さなガゼボの中に作られているのだ。

 支柱から垂れ下がる白いレースのカーテンは一切のシミもなく、カーテンを纏めるリボンも白い真珠が連なった繊細なネックレスに似た鎖が螺旋状に絡みついた優美なデザインだ。


「此処は……あの……もしかして、高貴なお方が使用されるところでは……」


 セレスティアが恐る恐るメイドに訊ねると、メイドは「ええ」と事も無げに笑顔で肯定した。どうりで、部屋の前でエディとジョゼフには別の浴室をどうぞと言われたわけだと、今更気付く。


「えぇ、あ、あの……」


 おろおろしているセレスティアを後目に、取り纏め役であろう恰幅の良いメイドは若いメイドたちにテキパキと指示を出しながら自分でも支度を進めていく。全く以て口を挟む余地がない。


「準備が整いましたわ。さあさあ、湯浴みを致しましょうね」

「そ、そんな、わ、わたくしは……」

「ええ、ええ、伺っておりますよ、聖女様。さあさあ、服をお脱ぎになって。此処に殿方はおりませんし、入浴中に訪れたりもしませんからね。清い御身に穢れを移してしまうご心配も無用でございますよ」


 脱げと言いつつ脱がしにかかるメイドの圧に負け、セレスティアはあっという間に一糸纏わぬ姿となった。そのとき、セレスティアの胸に大きな火傷の痕があることに気付いたが、メイドたちは顔色一つ変えずに脱いだ衣服を纏めて洗濯用の籠へ収め、セレスティアを浴場へと導いた。

 前の城では、季節を問わず井戸での水浴びのみ許されていたため、浴室を使うこと自体が不慣れで落ち着かないというのに。突然貴人専用の湯浴み室を使おうというのだから、落ち着かないどころではない。湯に浸かってもいないのに、のぼせたような気がしてきた。


「さあ、私たちに全てお任せになってくださいな」


 それからは、二人の若いメイドに寄ってたかって体中を磨き上げられ、香りの良い石鹸に包まれ、花の香りがする温かな湯に全身をすっかり浸してと、まるで一日貴人体験のような扱いを受けた。


「先ほど着ていらしたお洋服は洗濯係に預けておきますから、今日は私どもがご用意したものをお召しになってくださいな」

「すみません……なにからなにまでお世話になってしまって……」

「お気になさらないでくださいな。ロアルディオ様のお客様ですもの」


 貴人専用の湯浴み室を使用する許可まで出せるなんて、もしやロアルディオは騎士団長の地位にいるか、或いは、国王陛下の専属騎士なのかも知れない。それくらいの地位ならば特別に良い部屋を与えられていたり、こういった設備を使えるのも納得である。

 思わぬところで凄い人とお知り合いになってしまったと恐縮する思いだが、しかし新しい土地で仕事や住むところなどを探すなら、一度は国の偉い人にお目通りを願う必要があるわけで。

 セレスティアは八重に咲く美しい大輪の花たちを眺めながら、今後の身の振り方に思いを馳せた。


「まあまあ、見違えるようですわ、聖女様」

「ええ、本当に。王妃さまのお若い頃のドレスがこんなにもお似合いになるなんて」

「デザインは少々レトロですけれど、それが却ってお洒落で素敵ですわね」


 湯浴みを終えたセレスティアを取り囲み、中年メイドと若いメイドは、にこにこと微笑みながらセレスティアを褒めちぎった。その中に聞き捨てならない言葉があった気がしたが確かめるのも恐ろしくて、セレスティアは生まれたての雛鳥の如く震えることしか出来なかった。

 なにが何だかわからない間に着付けられたのは、光の加減で白にも生成にも見えるロング丈のドレスだった。歩くときに爪先が僅かに覗くほど長いスカートは、白糸の滝が如き繊細なドレープが美しく、ウェストを引き締めるコルセットは金糸の刺繍が華美になりすぎない程度にドレスに華を添えている。袖は、手の甲までを覆う清楚なデザインで、袖口にもコルセットと同じ金糸で刺繍が施されているが、決して派手な印象を与えない。

 洗練されたデザインというものは着る人間を選ぶものだが、セレスティアの清潔感溢れる美貌はドレスに見事引き立てられて、より輝いていた。


「ロアルディオ様のところへご案内致しますわ。此方へどうぞ」

「は、はい……」


 折角だからと言われて長い髪も結われ、持ち物にあるはずもない、見たこともない髪飾もつけられ、しかも靴は、メイド曰く王妃さまから頂戴したものを履かされて。つまりいま身につけているもの全てが「王妃さまにお話したらぜひあなたにと譲ってくださった」ものということで。

 転んで汚しでもしたら大変と、セレスティアはまるで関節が錆び付いた機構人形の如き動きで、永遠に思える長い長い廊下をメイドに手を引かれて歩いていった。


 やがて大きな両開き扉の前に着くと、中年メイドが二回ノックをした。


「ロアルディオ様。聖女様をお連れ致しました」

「入ってくれ」


 応答を待ってから、ついてきていた若いメイドが、両開きの扉の左右を其々恭しく引き開ける。その部屋は窓を大きく取った日当たりの良いティールームで、此処まで伴をしていた従者たちとセレスティアのメイドが揃って支度をしていた。

 しかし、見事な調度品や見たことがないような華やかなお菓子などよりも、遙かにセレスティアの目を引くものがあった。


「ロアルディオ様……?」


 目を瞠ったまま固まって動かない、ロアルディオの姿だ。

 彼はまるで硬直魔法でも受けたかのように此方を振り向いた格好で固まっており、セレスティアが声をかけても何の反応も見せない。

 もしや王妃さまのドレスを着ているせいだろうか。勝手に着たと思われてしまっただろうか。いまからでもお返しして謝ったほうが良いだろうかと、不安が脳内を巡りだした頃、従者の一人に脇腹をつつかれたロアルディオがハッと我に返った。


「白繭の姫……」


 耳慣れない言葉を呟き、ロアルディオがセレスティアに手を差し伸べる。

 誘われるまま手を取れば、丁寧なエスコートで椅子に導かれた。少なくとも怒っているというわけではなさそうで、安堵の息が漏れる。

 だが、先ほどの言葉の意味は何なのだろうとロアルディオ見上げれば、彼は口元を手で隠すように押さえながら顔を背け、いそいそと向かいの椅子に腰掛けた。


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