似た者同士
皆がお茶の支度をしている頃。
エディは裏庭の木陰でリュケイオを見つけていた。
下草を踏み分けた足音にリュケイオは一度チラリと視線をあげるが、すぐに俯いてしまった。だが、更に何処かへ逃げようとはしない。
ならばと隣に立ってみても、無言で俯いているばかりだ。
「おまえ……あのお嬢様のそばにいなくていいのかよ」
「そのお嬢様に頼まれてきたのですよ」
「ふぅん。お優しいこって」
「でしょう? ティア様はすっごくお優しいのです」
皮肉げなリュケイオの言葉にも、全く気にする様子もなく、エディはうれしそうに胸を張った。そして膝を抱えるリュケイオの隣に腰を下ろし、同じ格好で座る。
「放っといてくれよ。どうせ家族に大事に育てられた奴には俺の気持ちなんて……」
「家族って、群れのことですか?」
「は……? 他になにがあるんだよ」
思わぬ質問に、リュケイオは目を丸くしてエディを見る。
生まれ育つはずだった群れ以外に、家族と呼べるものが存在するわけがないのに。そう書かれた顔でエディを見つめている。
「それならあたしは、家族に捨てられた子ですよ」
「え……」
何故かリュケイオが傷ついた顔になったのを見て、エディは確信した。
彼は自分が傷つきたくない以上に、周りを傷つけたくなくて突き放した態度を取る子だ、と。そういうところは、嘗てのジョゼフに似ていると思った。
「あたしも群れで正しく力の使い方を学べなかったのです。それを教えてくれたのはジョゼ……えっと、あたしと一緒に来た背の高いメイドさん、覚えてるですか?」
「え、ああ……チラッとだけど、見た……」
「あのひとが教えてくれました。レイヴンナイトも、強い種族ですから」
皆のほうを見たときに、一瞬だけ目に入った背の高いメイド。リュケイオの目にも明らかな、武を生業とする者の立ち姿だった。腰に下げたご立派な直剣が違和感なくメイド服に馴染んでいたのも、彼女の風格ゆえだろうと思わせた。
彼女ならばエクルイユと正面からぶつかり合っても、きっと無事なのだろうとも。
それほどの信頼関係を築けていることが羨ましくて眩しくて、リュケイオはぐっと膝を抱え込んだ。
「リュケイオは、アステリアがもう怒っても傷ついてもないってわかってるですね」
隣で小さな頭がこくりと頷いたのを見て、エディは続ける。
「ところでニンフェがどういう種族かは、ちゃんと知ってますか?」
「あんまり……俺、他の奴らと関わるつもりなかったから。誘われたら遊んだけど、手繋ぐ遊びとかは絶対やらなかった」
ふむ、とエディは顎に指先を添えて考え込んだ。
リュケイオは他の種と関わるとき、とても慎重で臆病になることはこれまで聞いた話で理解出来た。ならば何故、腕を掴むに至ったのだろう。
「じゃあ、何故です?」
考えてもわからないことは聞くに限るとエディが隠さず問えば、リュケイオは暫し俯いてから観念したように話し始めた。
「細い棒が縦に並んだ場所、あっただろ。上を歩いて遊ぶやつ」
「はい。端っこのほうにあるあれですね」
連なる平均台のような遊具を思い浮かべて答えると、リュケイオはぎゅっと眉根を寄せて息を吐いた。確か人間の子供でも遊べそうな、低い平均台の他に、高い位置を渡るものもあった。あれはエクルイユのような高所で生活する子のためのものだ。
「あれで遊んでたら、アステリアが足を滑らせたんだ」
「えっ。もしかして高いほうです?」
リュケイオは頷く。
殆どの獣人は、遊具程度の高さから落ちた程度ではどうということはない。だが、ニンフェがどうかはわからない。リュケイオは他の子が何の種族か、彼らがどういう特徴を持っているかなどを把握していなかった。
だから、咄嗟にアステリアの腕を掴んだ。
「咄嗟に……」
「まさか、あんな簡単に折れるなんて思ってなかったんだ……!」
「いえ、いえ、とんでもないです。リュケイオは凄いです」
「なにがだよ!!」
涙を目尻ににじませて叫ぶリュケイオの肩を、エディが掴む。
「いま、痛いですか?」
「……全然」
「これが、異種族に触れる強さです。リュケイオはあと少しでした。そのあと少しのところまで、咄嗟に出来たなんて凄いのですよ」
エディは、更に傷つくかも知れないと思いながらもニンフェの特徴を話した。
彼女らはとても脆い種族で、簡単に折れ砕ける代わりに治るのも早いこと。精霊に近い種族であるため、きれいな水があれば少しの怪我は一日で治ること。
「エクルイユが本気で力を入れたら腕なんて枯れ葉みたいに潰れちゃいます。でも、リュケイオはちゃんと掴んで引き上げたのですよね。だったらもう、あと少しで力の使い方は完璧になります。大丈夫です」
「簡単に……俺、あのとき、本当に…………」
危うく握り潰すところだった恐怖と、そうならなかった事実。
リュケイオは渦巻く複雑な感情を抉るような溜息に乗せて吐き出して、自分の頭をぐしゃぐしゃとかき混ぜた。
「本当に、あいつらを壊さずに触れられるようになるのか?」
「なります。あたしがお仕えしているお嬢様を見たでしょう?」
「ああ。あの、アステリアくらい脆そうなお嬢様だろ」
「あたし、そのお嬢様に抱きついて眠ってるのですよ」
「だっ!? ね、眠っ……」
信じられないものを見る目で見られ、エディはけらけら笑った。
意識がある状態で力の加減をするならまだしも、抱いて眠るなんて考えられない。リュケイオの顔にはわかりやすくそう書かれていた。
「少しずつ覚えるといいです。今日買ったクッキーが丁度ニンフェの手と同じくらい脆いので、そっと摘まんで食べてみたらいいと思います」
「クッキーなら、まあ……いいか」
仮に潰したところで自分が食べる分が無残になるだけだしと、リュケイオも頷く。
「戻りましょう。きっと皆、おやつを前に待ちくたびれてる頃です」
「さすがに先に食ってるだろ」
先に立ち上がったエディが手を差し伸べ、その手をリュケイオが取る。ぐっと上に引き上げたときの、手のひらの優しさと腕の力強さ。それを噛みしめるように自分の手を見つめ、そしてエディのあとに続いて歩き出した。
「あっ、リュケイオ来た!」
「ふたりともおかえりー!」
「もう、お茶冷めちゃうよー?」
食堂に入るや口々に出迎えられ、リュケイオは面食らって立ち止まった。
入口付近にいたふたりが「早く早く」「こっち」と言いながらリュケイオの手首をそれぞれ掴み、空いた席に導いていく。
やはり彼らの手首を掴む手は優しく、けれど引っ張っていく力は強い。
思い切り握りしめなくても手を引くことは出来るのだと、教えてくれている。
「さあ、それじゃあ頂きましょう。今日もお恵みに感謝を」
「いただきまーす!」
声を揃え、お茶やクッキーに手を伸ばす。
リュケイオも目の前に置かれたクッキーをそうっと手に取り、口に運んだ。最初の一枚は僅かにヒビが入っていた。二枚目は無事なまま口に入れられた。三枚目からは怯えることなく手を伸ばすことが出来た。
丈夫に作られているマグカップも、出来る限り優しく扱った。体が覚えるように。取り返しのつかないものに触れたとき、間違えてしまわないように。
「ねえ、リュケイオ……」
ビクッと肩を強ばらせたリュケイオの肩に、やわらかく繊細な手が触れた。微風か花弁が触れたかのような感触だった。
見ればアステリアが、心配そうな顔でリュケイオを見ていた。
「あの……ね、またわたしと遊んでくれる……?」
「……うん」
パッと表情を華やがせたのを見て、リュケイオは慌てて「でも」と続ける。
「高いところは、まだ怖いから」
「うん。……次は、落ちないところで遊ぼ」
アステリアはうれしそうにはにかみ、リュケイオの隣に座った。さっきまで其処にいたはずの子は、別の仲良しの隣に行っており、にんまりした顔でリュケイオたちを見守っている。
「でもね、わたし、落ちてもへいきなのよ。ニンフェの体は水になるから、落ちたらちょっとつぶれたように見えて怖いかも知れないけど、すぐに戻れるの」
「そう、だったんだ……よけいなことしてごめん」
「ううん。そんなつもりじゃ……うれしかったの。助けてくれてありがとう」
「……別に」
つまり、ずっと関わろうとしなかったせいで失敗したのだ。ちゃんと知っていたら防げたことだったのだと、今更気付いて後悔する。
だがリュケイオは、アステリアの許しをようやく心から受け入れることが出来た。皆のことも学んで理解すれば、触れて遊ぶことも出来るようになるかも知れない。
「もっと、教えてくれる? アステリアだけじゃなくて、他の奴らのことも」
「それなら皆に聞いたほうがいいわ。お話ししましょう。わたしだけじゃなくって、皆とも」
リュケイオが顔を上げれば、皆の視線が集まっていた。
「いつでも聞いて!」
「知らなかったらいいも悪いもないじゃんね?」
「いっそ半獣の日でも作って見せ合うってのはどう?」
「いいねーそれ! 部屋ではたまに獣化してるけど、外ではあんまりしなかったから新鮮かも」
「服が人型用だから、外では半獣化しにくいもんね」
「種族ごとに用意してもらうわけにいかないから仕方ないよ」
わっと賑やかになった食堂を、養母長がにこにこと見つめている。
セレスティアも安堵した様子で子供たちを眺め、それからエディを見た。
「ありがとう、エディ」
「いーえ。リュケイオが素直ないい子だっただけです」
「あなたと同じね」
そう言って頭を撫でるセレスティアに抱きつき、満面の笑みですり寄る。
本当に体を折り砕かずにお嬢様を抱きしめている様子を見たリュケイオは、いつか自分もあんなふうに誰かと触れ合えたらと思った。そのとき何故かアステリアの顔が過ぎり、思い切り首を振って無かったことにした。
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