浅かりし謀略の聖女
「先ほどから聞いていれば、話題は根拠のない妄言と下品な言いがかりばかりだな。これではどちらがケダモノだか知れたものではない」
そう言って、横目でミラベルとアルバートを睨む。
するとミラベルは、忌々しげな睨み顔を崩してロアルディオを見つめていた。その顔は、男に媚びるときに彼女が良くしていた顔だった。
「嫌ですわぁ、どうして畜生の姿なんてしておりましたのぉ? そのお顔でいれば、その女に代わってあたくしがお側にいて差し上げますのにぃ」
「ミラ!?」
突然のミラベルの変わり身に一番驚いたのは、アルバートだった。くねくねと身を捩りながらロアルディオに歩み寄ろうとする腕を掴み、必死に引き留めようとする。
だがその手を思い切り振り払い、ミラベルは数秒前までべったりとくっついていたアルバートを、まるで汚物を見るかのような目で見た。
「アルバート様、ご存知ありませんの? あの国はもうお終いですのよ。民も貴族もない、ただの屍の山ですわ。先ほど吹き飛んだ兵を見たでしょう? 民どころか王も既にあれと同じものに成り果てておりますわ」
「そんな……そんなはずは……そんなのは嘘だ……!」
愕然としてその場に膝をついたアルバートを放置して、ロアルディオに近付こうとする。が、十数メートルほどの位置まで来たところで、バチッと音を立てて白い光が奔り、見えない壁に阻まれた。
「ッ! どういうつもり!?」
すぐに元凶を悟ったミラベルが、セレスティアを睨んで叫ぶ。
セレスティアは憐れみを宿した眼差しをミラベルに向け、ロアルディオに寄り添いながら言った。
「……わたくしの結界は、意思なき感情の残滓……魔骸を弾く結界です」
屍兵たちと異なり、彼女は自我も肉体も保っているように見える。
魔骸に汚染されたものは徐々に心を壊し、心が壊れきれば体も壊れる。だが彼女は曲がりなりにも聖女として生まれた存在。魔骸が侵蝕しきるには、それなりの時間を要するようだった。とはいえ、それも時間の問題である。
彼女は自覚していないようだが、心が一つの暗い感情に支配されるのも魔骸汚染の症状の一つ。多くの人間は初期症状を自覚するかどうかの頃に精神崩壊してしまうがゆえに、あまり知られていないだけなのだ。
ミラベルは思い込みによる怨嗟に染まりきり、最早聖女としてどころか人としての整合性も取れなくなっている。隣にいたのが彼女の全てを肯定していいなりになっているアルバートだったせいで、自己の歪みに気づけなかっただけであった。
「う、嘘……そんなの嘘よ! あたくしは聖女なのよ!? 選ばれた存在なのッ! どうしてなの!? あなたとあたくしのなにが違うって言うのよ!!」
目に涙を浮かべ、ミラベルが慟哭する。そしてロアルディオを見上げると、必死に訴えかけた。
「ねえ! いまからでもあたくしを選んで! そんな女じゃなくて、あたくしを! 夜のお相手だってたっぷりしてあげるわ! 其処の貧相な女なんかより、あたくしのほうがいい女でしょう!? 男の喜ばせ方だってずっと知ってるんだから! ただの一人にも相手にされないような、惨めで憐れな女なんかよりずっと!」
とうとうミラベルは、衆人環視の前で自らの有り様を暴露してしまった。
既に周知の事実とはいえ、やはり自業自得で聖女の力をなくしていたと自白した。
そのことによって、これまで彼女がセレスティアに向けていた暴言の数々が自身を表していることも判明してしまった。体を売ることしか能がない。そう言いながら、ミラベルが体を売りながら男たちのあいだを渡り歩いていたのだ。
ミラベルにとって、聖女としての清らかさを守ることは異性に相手にされないのと同義であるようで、一方的にセレスティアを惨めな売れ残りだと罵倒し続ける。
ミラベルが口汚くセレスティアや獣人族を罵る度に、彼女の体に黒いヒビが入っていく。古くなった陶器の肌のように、枯れ果てた大地のように、ヒビは少しずつ体を侵蝕していく。
「……あの女、さっきからなにを言っているんだ……?」
「聖女の呪い……とか言っていたよな……」
「聞いたこともないが、人間の世界には人を呪う聖女がいるのか……?」
「呪いが聖なる行いとして認められる気はしないんだがなあ……」
最悪の事態として屍の群れと戦うことを想定していたロアルディオの護衛騎士は、予想外過ぎる展開に困惑していた。聖女を自称しながら、まるで夜の仕事をしている女のようなことを叫ぶミラベルの言い分が、少しも理解出来なかった。聖女が個人的理由で他者を呪うという矛盾した発言も同様に。仮に誰かを呪っている者がこの場にいるとしたら、聞くに堪えない暴言を吐いている彼女のほうではないか。
そしてなにより、あのような醜態を晒しておいて本当にロアルディオに選ばれると思っているのだろうか、と。
「この獣姦女! 早く結界を解きなさい! あたくしがこの国の王女になるのよ!」
極めつけに、セレスティアをまたも獣姦女と罵った。
此処にいる者はセレスティアを除いて全員が獣人か上位魔獣である。それなのに、獣人と結ばれることを穢らわしいことであるかのように、罵声として浴びせかける。この期に及んでその意味を理解出来ていない愚かさに、誰もがあきれ返った。
「ミラベル様。わたくしはこの国が……ロアルディオ様がわたくしを信じてくださる限り、傍でお支えすると心に誓ったのです。もう耐えて守られるだけのわたくしではありません」
凪のような声で、けれどはっきりと宣言すると、目を閉じて祈った。
浄化の光が再び放たれ、結界に縋り付いて叫んでいたミラベルの体を焼き始めた。
「いやああッ! やめて! やめなさいよ!!」
「ぎゃああぁああッ!!!」
手足を、髪を振り乱して暴れるミラベルの背後で、アルバートが断末魔をあげた。ハッとしてロアルディオと兵たちが奥を見れば、彼も浄化の光に身を焼かれている。
果たして彼の国で、どれほどの魔骸が蔓延していたのか。辺境の村や町のみならず王子の身も汚染されていた事実が、国の終焉を物語っていた。
屍兵たちのように、少しずつじわじわと体が崩れていく。汚染が進む前であれば、もしかしたら取り憑いた魔骸だけを排除出来たかも知れないのだが。彼女らは自らの思い込みに執着した結果、魔骸に深い侵蝕を許したのだ。
坩堝の発生は、陰惨とした感情の傍らに起きる。民が穏やかでいれば無縁のものであり、不信や不安があれば頻繁に発生する。貧困や格差が深く根付いた国には必ずと言っていいほど存在し、数多の死と病を振りまいてきた。
嘗てセレスティアは、それらを遠ざけることだけを命じられていた。決して完全な浄化はせずに、あくまでも『聖女が街を守っている』ということを知らしめるだけに留めよとの王命であった。
いまとなってはその真意も不明だが、政治的な意図があっただろうことは察するにあまりある。
しかし全ては、魔骸に喰われてしまった。王の意図も謀略も、なにもかもが。
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