悪意の筵
セレスティアは、真に清く正しく美しい聖女だった。
やわらかな月光のようなサラサラのプラチナブロンドに、澄み渡る青空にも静謐な湖にも似た、淡い水色の瞳。瞼を縁取る長い睫毛と、滑らかな白肌。すらりと伸びた手足に、咲き初めの蕾のように艶やかな薄紅の唇。
決して夜会映えする華やかさはないが清廉さを感じさせる美貌の持ち主であった。
聖女の力は清い娘の心身に宿るもの。ゆえに聖女は修道院などで生涯を過ごす者が多く、本来ならばセレスティアもそうするはずだったのだが。
『ほう。魔獣と心を通わせる聖女とな。……それは使えそうだ。すぐにつれて参れ』
魔獣と心を通わせる能力に目をつけた当代の国王が、自分の道具として使うために王子の婚約者という立場に縛り付け、利用しようとした。この国は、魔獣の棲む森を挟んだ隣に獣人の国がある。
結界を徐々に広げて魔獣を隣国に押しつけ、獣は獣同士で潰し合うように仕向けるつもりだった。
政治的な意図を理解出来ない王子には一応聖女であることを伝えはしたが、やはりその意味を正しく理解することは出来なかった。何度も何度も夜這いをしかけては、その度にお付きのメイドたちに大騒ぎをされ、寝室から追い出されてきた。
最初こそ手に入らないオモチャを無理矢理手に入れようとする子供のようにムキになっていた王子だが、それもじきに飽きてきた。
『ふん。何故俺があんな貧相でつまらん女の寝所などに通わなければならないんだ。本来なら向こうから頼んで寝てもらうのが筋じゃないのか』
つまり、セレスティアを酸っぱい葡萄と言って興味をなくし、他の『聖女』を城に招いたのだ。その聖女こそが、彼の華美がましい女性、ミラベルだった。
彼女はセレスティアを目の敵にし、城で顔を合わせる度に嫌味を言った。
『あら、セレスティア様。まだいらっしゃったんですの? いつまでアルバート様につきまとっているおつもりなのかしら。偽聖女の分際で図々しい』
あるときは廊下ですれ違っただけで悪し様に罵り。
『ふふっ。その安っぽいドレス、靴を拭うのに丁度良いですわね。あなたもたまには良い仕事をするではありませんか。今後は聖女ではなく、玄関マットを名乗られてはいかが?』
あるときは理由もなく突然殴りつけ、床に倒れ伏したところを踏みつけて嘲笑い。
『ごめん遊ばせ。随分辛気臭いお顔をしていらしたものですから、紅茶でも如何かと思いましたのよ。あなたには勿体ないほどの高品質の茶葉を使ったものですわ。光栄でしょう?』
あるときは茶会に呼びつけ、飲むつもりもない熱湯で入れた紅茶を胸に引っかけ。
『あなたに相応しいドレスを用意しましたの。明日の夜会はそちらをお召しになって頂戴な。もし夜会にいらっしゃらなかったら……うふふふっ。あなたのメイドがどうなるか、楽しみですわね?』
そしてあるときはズタズタに切り裂いたドレスを投げつけ、夜会に呼んで晒し者にしようとした。
見窄らしいを通り越して、野盗にでも遭ったかのようなボロボロのドレスで夜会に現れたセレスティアを見た招待客の貴族が、思わずあれは何事かと訊ねる。すると、ミラベルは待ってましたとばかりにアルバートへしな垂れかかり、大袈裟に喚いた。
『アル様ぁ、ご覧になりましてぇ? あの女、あたくしがドレスを切り刻んで虐めたことにして、アル様の同情を誘おうとしてるんですのぉ』
『何だと!? それは本当か、ミラ』
『本当ですわぁん。昨晩ボロボロのドレスで夜会に出たらきっとアル様は振り向いてくれるはずって言いながらドレスを刻んでいたのを、あたくし見ましたのぉ』
いま会場の給仕をしているメイドの中には、昨晩のやり取りを見聞きしていた者もいる。貴族たちは、一部のメイドの顔色が死体のように青白いことに気付き、真実は全く異なるだろうことを察した。
ミラベルは、事あるごとにセレスティアをいびり、罵声を浴びせ、ときに暴力まで振ったのだが、自身の吐いた罵詈雑言をセレスティアに言われたものとして、自身の行いをセレスティアにされたものとして、逐一アルバートに報告していた。
そして、ある日のこと。
セレスティアが、国境付近で魔獣と話しているのを『聖女でありながら裸で魔獣と野外で組んずほぐれつ遊んでいた』とアルバートに報告したことで、セレスティアは明確に淫売の烙印を捺されたのだった。
魔獣との対話は国境警備兵に同行して魔獣を下がらせ、無益な戦闘を避けるためのものであり、聖女としての正式な仕事だったのだが。放蕩王子はそんなことなど知る由もなく。
アルバートの目の届かない国境付近で兵を侍らせ、獣と戯れていたと思い込んだ。
『お前が俺を拒んでいたのは、人間に抱かれる気がなかったからなんだな』
『汚らわしい売女め! 獣姦趣味の淫売の分際で聖女とは笑わせてくれる』
『明後日の婚約パーティは必ず出席しろ! これは命令だからな! ああ、そうだ。俺のエスコートが受けられるなどと思い上がるなよ? 貴様は惨めったらしく一人でくるんだ』
『皆の前で貴様の化けの皮を剥がし、この国から追い出してやる』
呼び出された王子の寝室でセレスティアが絨毯すら敷いていない冷たい床に正座をさせられ、顔に寝酒のワインをかけられ、罵声を浴びせかけられている様子を、彼のベッドで笑いながら見ている『聖女』ミラベル。
『残念でしたわねぇ。国王陛下に媚びを売って上手く城に潜り込んだつもりだったのでしょうに。アルバート様が賢いお方だったせいで、ぜぇんぶ台無しですわねぇん。うふふふふっ』
セレスティアが、大衆の前で婚約破棄を言い渡されたとき、あまり大袈裟に驚いていなかったのは、こうして前もって宣言されていたからだった。
尤も、突然言われたとしても嘆き悲しむことなどなかっただろうけれど。
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