四の五

 あぐりは、パンチやキックを次次とくりだすが、まるで泉水には当たらない。


 けっして闇雲に技を出しているわけでもなく、正確に顔や胴体を狙っているのに、泉水は簡単にかわすし、手や足でいなすのであった。


「どうした」泉水が冷たく言った。「知り合い相手では本気になれんか?」


「くっ」歯噛みして、あぐりは攻撃をしつづける。


 確かに、泉水の言う通りだった。あぐりには、あこがれの男性と本気で闘えるほどの意思の強さは、ない。


「しかし、俺は本気でやらせてもらう」


 言い終わるや、泉水の足があぐりの足を払った。


 受け身もとらずに、あぐりは地面に転がった。


 泉水が手を頭上にかざすと、手のひらに放電が起きる。


 そのまばゆいばかりの右手を、地面にころがるあぐりにむけて、振り下ろした。


 あぐりは悲鳴をあげた。


 腹部に衝撃を感じた瞬間に、全身に雷にうたれたような痺れるような激痛が走った。


 痛みをこらえつつ、あぐりは立ちあがり、さっと飛びのいて距離をとった。


 だが、着地して前方に泉水をみとめた時には、すでに第二撃の雷光が放たれていた。


 晴天から落ちてくる霹靂に打たれ、悲鳴をあげたあぐりは、膝から崩れ落ちた。


 近づく足音。


 それに向けて、ひざまずいた格好のあぐりがアルマ弾を撃つ。


 泉水は、造作ない調子で手を振って、アルマで形成した弾丸を、虚空へとはじきき飛ばした。


「どうした、こんなものか。勉強といい、アルマ操作といい、お前には落胆させられる」


 泉水の冷淡な言葉が、雷撃よりも痛烈に、あぐりの胸をつらぬいた。


 あぐりは体と心の痛みに押しつぶされるように、そこに倒れ伏した。



 変身した紫は、道場の真ん中で待ち受ける百地に向かって飛びかかる。


 変身してスピードも切れも重さも増したパンチが百地をつらぬく。


 が、百地は手で紫の腕を払いのける。


 転瞬百地は、払いのけた腕の肘をつかみ、もう一方の手で紫の二の腕をつかむと、そのまま背中から倒れ、巴投げに投げた。


 空中でくるりと宙返りして、紫は畳の上に着地した。


 すかさず、寝転んだ姿勢の百地に、パンチを放つ。


 ごろりと転がって、百地はかわし、かわしつつ立ち上がった。


 紫は攻撃しあぐねた。


 何をしても、どこを狙っても、投げ飛ばされそうな気がしていた。


 が、そんな弱気の虫をふりはらうように、気合い一声、紫は飛び蹴りを放った。


 百地はその膝をつかむと、独楽のように回転して、紫を投げ飛ばす。


 投げられた紫は、道場の縁側を飛び越し、庭へと着地した。


 紫を追って、百地も地面に飛び降りる。


 そこへ紫は、アルマ弾を両手から連発した。


 襲い来る何発もの青い弾丸を、百地はただ片手を振って弾き飛ばす。


「ちくしょうっ!こうなりゃ大技だ!」


 紫が構える。


「くらいやがれ、竜巻ファイヤー!」


 紫が腕を振ると同時に、百地はよけようとも防御しようともせず、なんと、紫に向けて走り寄ってきた。


 前方に竜巻を放った瞬間に、百地はくるりと紫の背後に回った。


 百九十センチはあろうかという巨体には似合わぬ、捕食動物のような俊敏さであった。


 はっと思った時には紫は引き倒され、後ろから羽交い絞めにされていた。


 中途半端に放った竜巻は、冬のつむじ風のように何枚かの落ち葉をはらはらと舞いあがらせただけで、またたくまに消滅していく。


「技を出す時の隙が大きいな、楯岡!」


 百地の両脚が紫の脚の動きを封じ、左腕が左脇にからみ、右腕が首にからみつく。


 片羽絞かたはじめの形であった。


 紫はもがいた。


 だが、もがけばもがくほど、百地の締め付けが荒縄のように喰い込んでくるのであった。


「か、かはっ……」


 叫ぼうにも声は出ず、ただ苦しげに、かすれた息が漏れ出るばかりであった。


 あいた右腕を振り回すが、力が入らず、百地の腕を叩いても、百地は平然と締め付けを強くするばかりだった。


 ――そんなはずはない。この私がこの程度の絞め技で落とされるはずがない。


 紫はここにいたっても自尊心を保ちつづけていた。いや驕慢をすてられないでいた。


 やがて、紫の視界が霞んできた。


 青い空が白くにじんでいく。


 そして、二、三十秒も経った頃、落ちた。


 紫は、意識が薄れていくのを、ただ受け入れるだけであった。


 紫の意識がなくなったのを確かめた百地は、緊縛を解いて立ちあがった。


 変身がとけて、紫はもとの道着姿へと戻っていった。


 ふと百地が気がつくと、紫の祖父が騒ぎを聞きつけたのであろう、家の縁側に立ってこちらを見ている。


 百地は、老人に向けて静かに、しかし深深と頭をさげた。


「いささかおとなげなくも本気を出してしまいました。されど、約定により、このブレスレットはいただいてまいります」


 そうして、紫の左腕からブレスレットははずすと、もう一度丁寧におじぎをして、その場を立ち去るのだった。


 老人は彼を目で追うこともせず、孫の横たわる姿を見つめて溜め息をついた。


 孫の慢心がくじかれたことへの、憐れみの溜め息のようであった。

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