三の四

 体育館わきの道を練習場のほうから、うつむきかげんで歩いてくる大原を、小町たちが出迎えた。


 さきほどまでの喧騒はどこへやら。


 観客たちは試合が終わるとともに姿を消してしまったし、相撲部の部員たちも、後かたづけを大原に押し付けて、とっくに帰ってしまったようだ。


「お疲れ様」


 小町がにこやかに言った。


「二戦目は残念だったけど、一戦目は大健闘だったわね。すごかったわ。私、観ていてつい力が入っちゃった」


「…………」大原は、何か引きつった笑みを浮かべて、小町を見つめていた。


「最後の大逆転は、基礎練習をしっかりとやっている成果だわ。地道ながんばりが、ここぞというタイミングで実ったのよ」


「…………」大原は、何か言いたそうな、言い出せないような、なんとも曖昧な顔である。


「どうしたの?」


「あの、僕」


「うん」


「音羽さんの、約束のおかげで、がんばることができました。ありがとう」


「約束……?はて?」


 とまどう小町の目の端に、そっぽを向く紫の姿がうつった。


 そして、その瞬間、小町はすべてをさっした。


「ちょっと、あんた、大原くんに、なに言ったのよ」


「なにって、まあ、なんだ、ああいえば大原ががんばるかな、ってさあ」紫はばつが悪そうに言った。


「だから、なに言ったのよ」


「試合で勝てたら、小町がひとつ願い事をきいてやるってさ」


「ちょ、なに勝手な約束してんのよ!」


「まあ、しちまったもんはしかたねえじゃん。せっかくがんばったんだから、大原の願い事をきいてやれよ」


「冗談じゃないわ。あんたが勝手にした約束でしょ、私は関知してないわよ」


「え、そんな、ひどい……」大原は泣き出しそうな顔である。


「まあ、そういうこった。試合に勝てたんだから、結果オーライじゃねえの、な、大原」紫がなぐさめとも、言いわけともつかぬことを言う。


「ひどい、僕、がんばったのに、ひどい……」


 うなだれた大原の声が、しだいに異様な雰囲気につつまれてきた。


 絶望が、憎悪へと変化していくような、声音であった。


 そして、


 ゴゴゴゴゴゴゴゴ……。


 なんと、大原の全身から、黒いオーラがにじみ出てくる。


「え、これって!?」あぐりが、後ずさりをした。


「凶化してる!?」小町も、たじろいだ。


「おいおい、小町がお願いをきいてやらねえから、こうなるんだよ!」


「あんたのせいでしょ!はやくあやまりなさいよ!」


「ああ~、わりいわりい、ちょっとした悪ふざけだったんだ、気を静めろよ、な」


 紫のあやまる気のまるでない、大原を挑発するようなその言い様に、黒のオーラがさらにメラメラと立ちのぼっていき、目が黒く変色する。


「お~の~れ~、音羽小町~」大原の声が、鈍く振るえるようなエフェクトがかかって不気味さが増していく。


「ちょと、なんで私!?」驚く小町に、


「だから願い事きいてやれよ」紫がうながす。


「くっ、仕方がないわね。お願いごと、言ってみなさい。きけるものならきいてあげるから」


「お……」


「お?」


「おっぱい、さわらせろ~」


「きけるか!」


「きいてやれよ、な?ちょっとその無駄にでかいのを触らせてやるだけで、面倒ごとを回避できるんだからよ」紫はもはや他人事のようである。


「バカか!アホか!乙女の純情をなんだと思ってるのよ!」


「ケチくせえな、無駄にでかいのに」


「そこまで言うなら、あんたがさわらせてあげなさいよ。もとはと言えば、あんたの悪ふざけが原因でしょうが!」


「ちぇっ。しゃあねえなあ。大原、ちょっとだけだぞ、軽くタッチするだけな」


 そう言って前に進み出ると、


「ほれ」


 紫は胸を突き出すように、体をそらした。


 半分凶化した大原が、黒く澱んだ目で、その胸をじっと見つめる。


 ・


 ・


 ・


 ・


 ・


「ふんっ」


「鼻で笑いやがったな、大原!?」


「紫ちゃんの小さな胸では、大原くんも納得できないのだわ」


「あぐり、解説せんでいい!」


 ゴゴゴゴゴゴゴゴ。


 大原からはなたれる黒いオーラが、ますます黒く、激しさを増加させていく。


「くうううう」小町がうなる。「恐るべし、十代男子の性への執着。し、しかたない、ちょっとだけ触らせてあげるから、落ち着きなさい、ね?」


 大原の前に進み出た小町に、大原は、


「ううううう」


 まるで出むかえるように、地響きのようなうなり声を発した。


 そして、その右手のひらが、小町の胸に伸びる。


 ハア。


 ハア。


 ハア。


 手のひらと胸の距離がじょじょに縮まっていく。


 大原と小町の喘ぐような声が、静かな道に響く。


 ハア。


 ハア。


 ハア。


 手のひらと胸の距離はもう、相手の体温が感じられるほど。


 ハア。


 ハア。


 ハア。


 そして、手のひらが、胸の先端にとどく。


 かに見えた瞬間。


「やっぱり嫌あっ!」


 小町が大原の顔面を平手打ちした!

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