三の二

 そうして日曜日の朝。


 小町は、藤林ふじばやしあぐりと楯岡紫たておか ゆかりを誘い、試合当日に学校へ来ると、ちょうど大原が練習場への道を歩いていくところだった。


 相撲部の土俵がしつらえてある練習場は、学校の敷地の片隅にあって、体育館わきのちょっと寂れたような道を通って行くのだ。


「大原くん」


 小町が声をかける。


 大原は、なにか後ろから襲われでもしたように、びくっと体を震わせつつ振り向いた。


「どう、体調は万全?」


「う、うん、まあ」


「がんばってね、今日は応援にいくから」


「う、うん」


 なんとも頼りない返事である。


「こら、勝つ自信はなくっても、こういうときは、大きな声で返事をするものよ。そうすると自身もおのずと湧いてくるものなんだから」


 小町が喝をいれた。


「は、はあ」


「大声」


「じゃあ、僕、もういくね」


 大原はそう言って逃げるように立ち去っていく。


 それを、なぜか紫が追っていく。


「なあ、大原」


「ぎくっ」突然、恐怖の対象たる紫に声をかけられて、大原は驚愕している。


「ぎくってなんだよ、ふつう声に出すかね、まああいいや。ひとつ、いいこと教えてやるよ。今日の試合に勝てたら、小町が、ひとつだけ願い事をきいてやってもいいってさ。もちろん、限度はあるぜ。常識の範囲内ってヤツだ」


「え、急にそんなこと言われても」


「まあ、試合が終わるまでに何して欲しいか、考えとけよ」


 そう言うと、紫は、大原の肩をぺしりと叩くのだった。


 大原は、半信半疑といった顔をして、その場を急ぎ足に立ち去って行った。


「ちょっと、なに話してたのよ」小町は、なにか悪い予感がした。


「なに、ちょっと勝つためのおまじないをな」


「おまじない?」


「私が試合の助っ人にでると、すべての運動部は必ず勝つ。勝利の女神のおまじないさ」


「勝利の女神ね。疫病神じゃなければいいけど」


「なんだと!?」


「わ、すごい人だかり。早くいって場所取りしないと、いい場所なくなっちゃうよ」


 あぐりの声に、小町と紫が振り向いた。


 日曜日だというのに、相撲部練習場には観客の生徒達が、人垣を作っていた。


 さほどの広さはない練習場は、十人も見物人がいれば熱気が充満しそうなのに、いまは三十人ちかくもすし詰め状態で、試合の始まりを今か今かと待ちわびている。


 三人はその中を、紫が先頭切って観客を押しのけて前へ前へと進んでいった。


「こういう時、紫ちゃんのずぶとさが役にたつわね」小町は迷惑そうにこちらをにらむ生徒たちに微笑みかけながら、平然と歩いていく。


「すみません、うちのつれが、なんかすみません」あぐりは申し訳なさそうに、いちいち謝る。


 しばらくして、まわしをつけた春野ヶ丘と東高の生徒が部室から出て来、土俵を挟んでにらみ合った。


「おお~」


 練習場がゆれるほどのどよめきが湧きおこった。


「がんばって~」


「がんばれよ~」


「がんばってね~」


 小町、紫、あぐりが口口に応援する。


 男子の観客だけでなく、普段は絶対見られない女生徒までもが応援に来ていて、黄色い声援を送っているものだから、春野ヶ丘八人の相撲部員たちは、異様なまでの――かいた汗が湯気となって立ちのぼるほどの――高揚感に支配されているようであった。


 春野ヶ丘の顧問の先生が主審をつとめるのであろう、白い服に身を包んで、土俵に登った。


 二十年ほど前まで、大相撲の土俵に立っていたという先生は、現役よりは痩せていたが、それでも同年代の五十代の平均男性よりも、縦も横もずいぶん大きい。


「それでは、春原東高校対、春野ヶ丘高校の対抗試合をはじめる。一同、礼!」


「「「よろしくお願いします!」」」


 土俵の両側にならぶ両校の部員たちがそろってお辞儀をした。


「先方、前へ!」


 試合は五対五の団体戦勝ち抜き方式で、大原は先方での出場であった。


 おずおずとした足どりで、大原が土俵にあがる。


 相手は年下の一年生ではあったが、体格は大原と同等といったところであった。


「大原くん、ガンバっ!」


 小町の声援を受け、大原は横目でちらっと声のしたほうを見るのだった。

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