二の二

「うう……」


 恐怖と不安と寂しさにうめきながら、あぐりは、旧校舎三階の廊下を歩く。


 薄暗く、ひとけのまるでない、シンと静まり返って、なんだかカビくさくもある建物の、例えようもない不気味さである。


 あぐりは教室を一室一室、戸の窓からのぞいて、人がいないことを確かめつつ、急ぎ足に歩を進めてゆく。


 紫の言うように、あやしい物音の主が、本当に凶化した人ならば、あぐりは倒さなくてはいけない。


 しかし、それが、幽霊のしわざであったなら……。


 そう思うと、あぐりは背筋に悪寒が走り、身の毛もよだつ思いがした。


 なにせ、ほんの先日、善珠ぜんじゅという本物の幽霊に出会ったばかりであった。


 あぐりは、端から端まで、十もの教室を調べて、そうして突き当たりの最後の教室の前まで来た時であった。


「あう……、だ……、そ……う……」


 なかから、言葉ともうめき声ともつかない人の声が聞こえてくるのであった。


 それといっしょに、


 ごり、ごり、ごしごしごし、とんとん。


 名状しがたい物音も戸の隙間からもれだしてくる。


「ひっ」


 と叫声を放ちかけた自分の口を、両手でふさいだ。


 そうして、半分自らの使命のため、半分怖いもの見たさのために、引き戸にそっと近づく。


 戸についている窓は、黒いカーテンで内側からふさがれていて、中の様子はまるでわからない。


 様子をうかがうとすれば、ほんのわずかに、一ミリ開いているかいないかの、戸の隙間のみ。


 あぐりは、恐る恐る、その隙間に目を近づける。


 瞬間。


「おい」


 何者かに肩をつかまれ、後ろにひっぱられる。


「キャーーーーーーーッ」


 と声を出さずに喉だけでさけんだのは、あぐりのある種の才能であろうか。


 見れば紫である。


「あうあ、ああ、あばわわわわ」


 涙を流し、口を開けて喘ぎ、声にならない声をあげて、あぐりは紫をののしった。


「大丈夫か、お前」あっけらかんとした顔でいう紫に、


「大丈夫じゃないーっ」あぐりは怒りをあらわにした。


 わずかに相手に聞こえるかどうかという声でのやりとりであった。


「声、音、戸、すきま、見る、見る」あぐりはもう自分でも何を言っているのやら。


「もう、わけわかんねえな」


 そうあきれながら、紫は戸の隙間に顔を近づけた。


 あぐりもならんで目を寄せる。


 顔を立てにならべて、ふたりは隙間に目を押しつけた。


「ハア、ハア、ハア」


 興奮と緊張と好奇心がないまぜになり、我知らず、ふたりの喉からは、喘ぐような息が漏れでていた。


 のぞいた中は、とうぜん、がらんとした教室で。


 その一番向こう。


 窓の下に、こちらに背をむけ、机に向かって椅子に座り、何かをしている男子生徒の背中が見えた。


 小さめの体、もしゃもしゃした天然パーマの長い髪。


「はて、どこかで見たような気もしなくはない、後ろ姿」


 と紫がつぶやいた時であった。


 その生徒が、くるりと振り返った。


 ぎょろりとした目の光が、長いウェーブのかかった髪の間からもれでる。


「ひっ」


 あぐりが短い叫びをあげたのを合図にしたように、生徒が立ちあがり、立ちあがりざまに走り出した。


 一直線に、ふたりのいる戸のほうへと走り寄って来る。


 逃げねばならない。


 あぐりの思いとはうらはらに、腰が抜け、足が震えて動けない。


 紫は、さっと階段のカドの陰へと駆け去っていく。


「ひどっ!?」あぐりがののしった瞬間、


 ガラリ。


 戸が、けたたましく開かれた。


 引きつった顔で、あぐりはその生徒を見た。


「あ、あ、あの……、多喜くん?」


 そう、あぐりたちのクラスメートで、杉谷すぎたに大原おおはらといつもいっしょにいるオタクトリオのひとり、多喜祐也たき ゆうやであった。


「な~に~を~、し~て~い~る~」


 ぎょろりとした目をさらに剥いて、多喜はあぐりをみつめるのだった。


 あぐりの顔に穴が開きそうなほどの、多喜の視線である。


 あぐりは腰を抜かして、床にへたりこんだまま、


「あの、わたし、その、あの、べつに、あれ、その」


 もはや、言語機能はマヒして使い物にならないのであった。


 と、


「お前こそ、なにしてんだよ」


 紫が廊下のカドから、正義の味方然とした態度で姿を現すのだった。

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