第一章 怨念四百年

一の一

 ある日の放課後のこと。


 あぐりは机の中の教科書やノートをカバンに詰め込んで、紫と小町とさあ帰ろう、となったところであった。


「あ、あのう……」


 椅子から立ちあがりかけたあぐりの前に影がさし、消え入りそうな声で話しかける者があった。


 クラスメート兼あぐりのストーカーであるところの、杉谷新太すぎたに しんたくんだ。


「は、はいなんでしょう?」


 浮かした腰をふたたび椅子にもどして、あぐりは答えた。


「あ、あの」


「は、はあ」


「その、あの」


「はあ、はあ」


「あの、思いきって言います」


「なんでしょう?」


「このあと、そこの神社の脇にある公園に来てください」


「は、はあ」


「ぜひ、どうしても、お話ししたいことがあるんです」


「はあ、わかりました」


「あ、ありがとうございます」


 などと、イマドキの高校生の、しかもクラスメートとは思えぬ丁寧で訥訥とした会話がかわされたのであった。


 そうして去っていく杉谷をあぐりは見送った。


 そして、血の気が引く思いであった。


「こ、これは困った、どうしよう……」


「これは完全に愛の告白ね」一部始終を見届けていた小町が話しかけてきた。


「へへへ、あたしらもついて行こうぜ」紫は面白半分である。


「どどど、どうしよう、どうやって断ろう」


「別に断る必要もないんじゃないの?」気楽に言う小町に、


「だだだ、だって、私、杉谷くんのこと好きでもないし」


「ストーカーだったし、一度は殴り合ったしな」紫が笑いを噛みころしながら言う。


「あれは、カシンに杉谷くんが操られていたから」


「付き合ってみるのも悪くないんじゃないの、付き合っているうちにだんだん好きになるかもよ」


「こ、小町ちゃん、ひとごとだと思って、勝手なこと言わないで」


「ま、断る、付き合うは、その場のノリで決めればいいんじゃないの、さ、いきましょ」


「早くしろよ、こんなエンターテインメントも久しぶりだしよ」


 小町と紫はもう、完全に楽しんでいるのだった。




 指定された公園は、国道から少し奥まった場所にあって、木立にかこまれてもいて、ちょっと人目につきにくいところだった。


 何か、決闘の立会人のごとく、杉谷の背後には友達の多喜と大原が控えているし(しかも多喜はなんだろう、長い袋に入れた細長い物を背負っている)、あぐりの後ろにも紫と小町が控えているし、愛の告白どころか、今にも一触即発のピリピリしたムードが、公園の広場をとりまいているのであった。


 ごくり。


 杉谷の生つばを飲む音が、三メートルばかりも離れたあぐりの耳にも届いたようだった。


「あの、なにから話せばいいのか」おずおずとした調子で杉谷が口をひらいた。


 ――きた、ついにきたっ。


 あぐりの鼓動はどんどんと、早鐘をつくように速まっていった。


 ――いったいどうやって断ればいいのだろう。傷つけないように断る言葉はないのだろうか。ああ、誰か教えてっ。


「お、思いきっていいます」


 ごくり。


 今度はあぐりが生つばを飲みこんだ。


「と、とりあえず、これを見てください」


 と杉谷が言った瞬間。


 彼の背後に、長い黒髪の女の姿がぼんやりと浮かび上がった!


「う~ら~め~し~や~」


「ギャーーーーーーーーーッ!」


 あぐりの悲鳴が公園にこだました。


 卒倒しかけたあぐりを、紫が後ろからささえた。


「見えるッ、あたしにも見えるぞッ!」


 霊感の強いあぐりだけならまだしも、紫にも小町にもその女の幽霊の姿がはっきりとみえるのだった。


「なななななな、なんなの、ののののっ!」


 口から泡を吹き出しながら、あぐりが言った。


「忘れたとは、言わせないよ~、ふ~じ~ば~や~し~の小娘~」


「しししし、知りません、あなたなんて知りません~」


「すみません、すみません」杉谷が頭をペコペコさげた。「この幽霊に取りつかれて、藤林さんにあわせろとしつこく言うものだからぁ」


 さらにはっきりとその姿をあらわした幽霊は、左目に眼帯して、臙脂色の着物の上に軽鎧を着こんで、まるでいくさのさいちゅうに命を落とした女武者といった姿だった。


 もちろん向こうの風景がすけて見える。

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