第二章 愛の人形

二の一

 ここは、私立春野ヶ丘はるのがおか高校の、敷地の片隅にある、旧校舎である。


 築年数何十年なのか、もうわからぬほどのかつての学び舎は、ひとけというものがまるでなく、地下深くの洞窟を思わせるようなじっとりと湿気のたまった廊下を、藤林ふじばやしあぐり、楯岡紫たておか ゆかり音羽小町おとわ こまちの三人は歩いていた。


「でね、こないだユミクロに行ってきたんだけど」話すあぐりに、


「うん、それで」と小町が相槌をうつ。


「おい」紫が制するように呼びかける。


「Tシャツとか持って、レジに行ったのはいいんだけど、いつのまにかセルフレジにかわってたのよ。私、あのセルフっていうのが苦手で、画面に表示される案内を見ながら操作してるんだけど、何か間違ってるんじゃないかとか、変な操作して店員さんに怒られるんじゃないかとか、モタモタして次のお客さんに迷惑かけちゃいけないとか、あせるしビクビクするの」


「そんな、意識しすぎなんじゃないの」


「おい」


「それで、どうにかこうにか、支払いをすませて、袋詰めする台でエコバッグにシャツとか詰めて、冷や汗かきかき店を出たんだけど、ふと気づいたら、買い物カゴを台のうえにおきっぱなしだったのよ。でも、あわてて戻ってかたづけるほどのことだろうか、でも、店員さんに迷惑だし、なんて思いながらもお店を出て来ちゃって、ああ、失敗したななんて、いまだに後悔するの」


「あぐりちゃんは、ちょっと考えすぎよ。店員さんだってそんなのいちいち気にしてないわよ」


「おい」


「そうかしら、あの小娘、カゴのかたづけするくらいのしつけもされてないのよ、なんて思われてないかしら。今度行くとき恥ずかしくって」


「考えすぎだって。思われてたって、客の顔なんかすぐに忘れちゃうもんよ」


「そうかなぁ」


「おい!」紫の激しい一喝が廊下にこだました。


「え、なに?」あまりに激しい声に、あぐりは目をみはった。


「え、なに?じゃねえよ、せっかくの雰囲気ぶち壊しだろうがよ」


「雰囲気って?」


「旧校舎で、なにかアヤシイ物音や声がするっていう噂があるから、わざわざ真相を確かめにきたんじゃねえか。せっかくひとけのない旧校舎まで来たんだから、こういう時は、もうちょっとびくびくしないと、もったいないだろうが」


「そんなこと言ったって、本当に怖いんだもん。気をまぎらわせるのに雑談くらいさせてよ」あぐりがふくれる。


「だいたい、あんたがくだらない学校の怪談を信じちゃってるだけでしょ。私たちまでなんでつきあわされなくちゃいけないのよ」小町はバカバカしそうな顔だ。


「私が幽霊みたさでここまで来たとか思ってるんじゃないだろうな」


「じっさいそうでしょうが」


「バカタレ。その声や物音の正体が、カシンのアルマの影響で凶化した人間かもしれないだろう。だったら、あたしたちが退治せにゃならんだろうが」


「だったら、あんたひとりでやんなさいよ。放課後にいちいちつきあわされる私たちの身にもなりなさいって」


「あたしは別に強制はしてないからな。来なくてもいいのについてきたのはお前たちだからな」


「なにその言いようは?」


「ちょっと、ちょっとふたりとも」険悪なムードになってきた紫と小町をあぐりがとめた。


「もういいここまでだ。ちょうど一階は端から端まで見回ったからな。二階、三階、四階は、それぞれひとりずつ、別れて探索しようぜ」


「ええーっ、さすがにひとりは怖いって」あぐりは冷や汗ものだ。


「けっきょく、強制してんじゃないの、横暴女!」小町はツバを吐きそうな言いかただ。


「うるせえ、お前たちが雰囲気ぶちこわしたのが悪いんだ。いいな。あたしが二階、あぐりが三階、小町が四階だ」


「勝手に決めんじゃないわよ」


「ふん、能天気女たちへの愛の鞭だ」


「愛の鞭なんてこの世に存在しないわ。愛と鞭が両立するわけないじゃないの。鞭なんてものは、ハラスメントする人間の言いわけ、ただの憎しみといやがらせでしかないわ」


「ベラベラうるせえな、乳デカ女」


「うるさいわね、洗濯板女。ひとの胸をうらやんでんじゃないわよ」


「はあ?べつにうらやましがってないし」


「ストップ、ストーップ」あぐりが毎度のごとくツノつきあわせるふたりをとめに入る。「ふたりとももうやめて。紫ちゃん、オッパイが小さいのも個性なのよ」


「フォローか、それ!?」


「もういいわ、別れるんなら別れましょう。この傲慢無神経女といると、平静でいられなくなるわ」小町はさっさと階段をのぼっていった。


「あ、ちょっと小町ちゃん」あぐりがあとを追う。


「へっ、バカモノどもめ」紫が吐き捨てるようにつぶやいた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る