第28話 いつ会ったのか
美術用品に向かうと、大きな画用紙をガン見する保坂さんを見つけた。
彼女の姿を確認した瞬間、俺はホッと胸を撫で下ろした。
ここにいるだろうとは思っていたけど、確証がなかったので少し不安だった。
「保坂さん。急に居なくならないでください。心配しますから」
保坂さんはこちらに顔を向けると、よくわかってないみたいに首を傾げた。
「言った。美術用品に行くって言った。でも翔から反応が返ってこなかったから」
「え……」
俺は思わず固まった。
それって、俺、保坂さんを無視したってことだよな……。
な、なんてことを!
とんでもないことをやらかしてるじゃないか!
「すみません! 全く気づかなくて……で、でも無視したわけではないですから!」
音速を超えそうな勢いで、俺は必死に頭を下げて謝った。ここがお店じゃなければ土下座して、床に額を擦り合わせていたところだ。
「気にしてない。それに、無視されたって思ってない。翔はそんなことしないって知ってる」
「なんと心優しいお言葉」
ああ、保坂さんが天使に見える。白い翼が生えてきてもおかしくない。
崇めるように保坂さんを見つめていると、彼女から一言。
「面白い」
と、言われた。
「お、面白いですか」
「うん、面白い」
そう言う割には顔は相変わらず無表情で、面白がっているようには見えない。むしろ何を考えているのか全くわからない。
「昔から翔は面白い」
「や、やっぱり俺、昔、保坂さんと会ってるんですか……」
昔から、と言う言葉に動揺しつつも何とか訊ねると、保坂さんはあっさりと首を縦に振った。
「翔にとってあのことは覚えるに値しない、取るに足らない出来事だった」
「あ、あのこと、ですか……?」
前も下駄箱で同じことを言っていた。
あのことって一体……俺は何をしでかしたんだ。やばい、全く思い出せない。思い出さないといけないのに……。
「覚えてないならいい」
あ、本当に思い出さないとマズイやつだ。でも、思い出せそうな気配が全くしない。
保坂さんみたいな個性的な人、忘れるはずないと思うんだけどな。
というかいつのことを言ってるんだろうか。幼稚園まで遡るんだったら流石に覚えてないぞ……。
「あの……いつ会ったかだけ教えてもらえると助かるのですが……」
「教えたら思い出せる?」
それは遠回しに、思い出せないんだったら教える意味ないよね、と圧をかけられているように感じた。
でも同時に、保坂さんの瞳がちょっぴり寂しそうに見えた。いつもと変わらない無表情なのに、どうしてか寂しそうに見える。
保坂さんはどうしても俺に思い出して欲しいみたいだ。それはだって……そんなのは考えるまでもなくて。
それだけ、大切な思い出だからだ。
保坂さんが言っていた。
翔にとってあのことは覚えるに値しない、取るに足らない出来事だった。と。
こうして思い出せないのだから、保坂さんの言う通りだ。弁明の余地もない。
いつ会ったのか教えてもらっても正直思い出せる自信はないけど、思い出すために出来ることは必ずあるはずだ。
何としても思い出す!
保坂さんのためにも。何より、俺が物凄く気になっている。
「思い出せるか自信はないですけど、思い出したいので教えてくれませんか。保坂さんがずっと覚えてくれている俺との出来事を、俺だけ知らないなんて嫌なんです。だからお願いします」
保坂さんの目を真っ直ぐ見て言い切った。
こうして女の子の、好きな人の目を見て話すと言うのは胸が高鳴りすぎて…………保坂さんも俺のことをジッ見つめ返してくるから緊張で手が震えた。
告白しているわけじゃないのにこの緊張。もし告白するってなったらきっと足がすくむ。そして、声が詰まって、好きですの「す」すら言えなくて、告白は大失敗。
でも、慣れる気がしないんだよなぁ。
「小4の時。私は翔に会ってる」
「小4……」
思ったよりそんなに前じゃなかったけど、小4の記憶もなかなか怪しい。
俺は顎に手を当て、少しの間記憶を辿ってみた。だけどやっぱり小4となると曖昧な部分が多く、パッとは思い出せなかった。
それを察したのだろう。保坂さんは言う。
「台車は?」
「あ、そうでした」
保坂さんとの出会いを思い出すのに必死で台車のことすっかり忘れてた。
「台車買ってきますので、少しだけそこで待ってて下さい」
「私も行く」
「いいんですか? 何か探してたみたいですけど」
「もういい」
「そ、そうですか……」
台車を持ってレジに行くと、兄ちゃんが立っていた。
兄ちゃんは俺の後ろに立つ保坂さんを見て色々と察したみたいで。
「お前にも春が来て嬉しいよ」
なんだか一部勘違いしていた。
「兄ちゃん違う。保坂さんは友達だから」
本人の前で否定するのは避けてるみたいでちょっと抵抗があったので、保坂さんには聞こえないように小声で訂正した。
兄ちゃんは賢いからすぐに状況を理解してくれた。
「そっか。まだだったか」
「まだじゃ──」
「はい、合計で4382円になります」
「あ、これで」
スマホの電子決済画面を見せる。兄ちゃんは画面のバーコードをピッと読み取った。
「レシートは要りますか?」
「あ、貰います」
兄ちゃんに敬語を使われると……店員と言う立場上仕方ないのはわかるけど、物凄い違和感がある。
店を出たタイミングで、保坂さんが話しかけてくる。
「さっきの人、翔のお兄さん?」
「え、どうしてわかったんですか?」
「骨格が似てたから。それに翔と同じ苗字だった。
似てるとは言われるけど……驚いたな。今まで骨格で判断されたことなんてなかったから。
兄ちゃんの名前は、制服の胸ポケットにかかった名札を見たんだろう。
確かに兄ちゃんは落ち着いてて大人の余裕を感じさせる。でもそれは単に面倒臭がりで、常に省エネで行動しようとしてるから。それが結果的に大人っぽくなってしまってるわけだ。
「名推理ですね。骨格で似てるって言われたの初めてです。そんなに似てます?」
「うん。でも、私は翔の方が好き」
「っ……ま、またそう言うことを言うんですから……」
本気で好きって言ってないってわかっていても、やっぱりドキッとしてしまうし、嬉しくなってしまう。
俺、けっこう単純だよな。
それはきっと、保坂さんだからだろう。
そんなことを考えながら台車を転がして帰っていると、ふと、保坂さんが台車の方をジッと見つめていることに気づいた。
「保坂さん?」
「乗ってみたい」
そう言って台車を指差す保坂さん。
「乗ってもいいですけど、けっこう目立ちますよ」
「ん?」
保坂さんはよく分からないと言わんばかりに首を傾げた。
そっか、保坂さんは目立つとかそう言うのは気にしないんだった。気にしてたら変人とか言われることしないもんな。
「分かりました。でも落ちないようにして下さいね。俺もなるべく揺らさないようにしますから」
「うん」
小さく頷いた後、保坂さんは台車の上にちょこんと体操座りした。その際、手でスカートを太ももの辺りで抑えた。
一応、保坂さんにも下着を見られることは意識するみたいだ。なんか不思議と安心してしまった。
「行きますよ。ちょっとガタガタすると思いますけど」
「おー」
腕を伸ばす保坂さん。
こういうたまに見せるお茶目なところがなんとも可愛い。
舗装されていても多少の砂利はあるので、台車が少しガタガタしてしまう。
保坂さんは楽しいのか楽しくないのか、相変わらず表情がないからよくわからない。もし飽きたら何か言ってくるだろう。
そしてこれは言うまでもないかもしれないけど、案の定かなり目立った。
それもそのはずだよ。
台車に女子高生を乗せて運ぶ光景はなかなかにインパクトだ。もし俺がその場面に遭遇したなら、芸術点の高い二度見を披露したことだろう。
すれ違う人に奇異な目で見られながらも、俺は保坂さんを乗せた台車をなるべく揺らさないように、彼女を家まで送り届けるのだった。
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