第15話 保坂さんは保健室にもよく来るらしい

 昼休憩になり、購買で買ったサンドイッチで腹を満たした後、俺は保健室へと

足を運んだ。


 徳永さんから保坂さんが保健室に入って行ったのを見たと聞いた。でもそれは朝に見たという話なので、お昼の今はもう既に別の場所に移動している可能性もある。


 保健室は一階の廊下、南側にある。

 保健室のドアはすりガラスになっていて、中の明かりが点いているのか否かで開いているのかどうか判断する。

 とは言っても、滅多なことでは明かりが消えていることはない。


 保健室に到着。

 ドアのすりガラスから中の明かりが見えた。


「失礼します」


 保健室のドアを開けて中に入ると、椅子に座って優雅にコーヒーを飲んでいる保健師の国近くにちか先生と目が合った。

 先生は俺を見るなり手に持った白いカップを、口元に近づけようとしたところで止めて、机の上に置いた。そして立ち上がり、腰まで伸びた茶髪を靡かせ、ヒールの踵をツカツカと鳴らしながらこちらに歩いて来る。


「どした? 夏風邪? それとも熱中症?」


 国近先生はモデルのような綺麗な顔立ちからは想像もできないほどの男っぽい口調。

 噂によると元ヤンだったとか。


「いや全然健康です。保坂さん居ませんか?」

「保坂ならそこ」


 そう言って国近先生は青色のカーテンを指差した。

 中にはベッドがある。ベッドを囲うに青色のカーテンが仕切ってある。


「寝てます?」

「さぁ、寝てんじゃない」

「もしかして体調悪いですか?」

「体調悪そうな顔色してるけど、ただ眠いだけね。仮眠しにちょくちょく来てるし」

「それなら良かったです。じゃあ起こさないよう方がいいですよね」


 寝てるならそっとしておいた方がいいな。そんな大事な用事でもないし、また次の休憩時間か、放課後の部活動で会えるだろう。


 そう思っていると、国近先生の口から保健師らしからぬ発言が飛ぶ。


「叩き起こせば」

「え?」

「あいつ私のシュークリーム勝手に食いやがって。叩き起こしても文句は言えないでしょ。なんなら私が叩き起こそうか?」

「いや、叩き起こすのはちょっと……」


 シュークリームを食べられたことへの恨みが相当深いみたいだ。


「また来ます」


 俺の返事次第で保坂さんが叩き起こされるかどうかが決まりそうだったので、ここは一時撤退……と行きたかったのだけど、国近先生はどうやら叩き起こしたいみたいだ。

 ちょっと待ってて、と言い残して、青色のカーテンの中に入って行った。


「保坂、起きろ、お前に会いに来てる奴がいるぞ」

「痛い、暴力反対」


 カーテンの奥で声が聞こえる。

 中で何が行われているのかわからないけど、保坂さんは叩き起こされたようだ。


 そして、国近先生がカーテンを開けると、ベッドの縁に座った保坂さんが姿を現した。寝起きの彼女はまだ眠気が取れていないのか、目が細く、大きな欠伸を披露する。


 保坂さんは頬を摩りながら俺の方に顔を向ける。その顔は何かを訴えているようだった。


「先生にほっぺたつねられた。起こした方が暴力的すぎてドン引きしてる」


 それに国近先生が吠える。


「勝手にシュークリームを食べた奴に言われたくないね」

「そこにあったから」

「そこに山があるから、みたいに言わないでくれる?」

「翔はどう思う?」

「どう思うと言われましても……」


 急に委ねられても困るんだけど、勝手にシュークリームを食べた保坂さんが悪いような……でも、保坂さんだから、そこにあったら食べちゃうよね。


「そう言えばどうしたの? まだお昼だよ」

「もうお昼ですよ。その、昨日のことで、あの後ちゃんとお父様に説明してくれたのかと思いまして」

「バッチシ!」


 自信満々に胸を張る保坂さんには悪いけど、嫌な予感しかしない。


「ちなみになんて説明したんですか」

「もちろん彼氏だってこと」

「やっぱり……」


 俺は頭を抱えた。


「あんたら付き合ってんの?」


 国近先生はかなり驚いた顔をしていた。


「付き合ってないです。保坂さんが勝手に言ってるだけで」

「翔ってそういうところある」

「そういうところって」


 それ徳永さんにも言われた気がするんだけど。


「結局どっちなわけ? 付き合ってるの? 付き合ってないの?」

「付き合ってないです」

「付き合ってる」

「よくわからん!」


 それは俺もよくわかってないです。

 どうしてこうも頑なに付き合ってると言い張るのだろうか。

 そんなことをしても何もないのに。

 もしかして保坂さんって俺のこと好きとか。いやいやいや、そんなことあるはずもないか。だって彼女の目はいつも通りやる気がなさそうで、とても俺に対して好意を持っているようには見えない。


「どうして翔は付き合ってないって言う?」

「それはこっちの台詞ですよ。何で保坂さんは付き合ってるって言うんですか」


 その俺の問いに対して保坂さんは、相変わらずのやる気のない目で、でも真っ直ぐ見つめて答える。


「病にかかってみたい。恋の病。そうしたら、もしかしたら何かが変わるかもしれない」

「恋の病……」


 保坂さんは恋というものが何かわかってないのかもしれない。

 今まで恋をしたことがない。そう言っているように聞こえる。だから恋をしてみたいと。


 ただ、その恋の相手が俺では色々と不釣り合いな気がする。

 保坂さんみたいに成績も良くないし、芸術的な才能もないし、顔だって良い方ではない。髪型が上手いことをいけば、まぁまぁに落ち着くけど、上手いこといかない方が多い。


「じゃああんたらはまだ付き合ってないってことね」

「私は付き合ってるつもり」

「つもりじゃダメなの。告白して、おっけいしてもらって初めて付き合えるんだから」

「なるほど」


 どこか納得した様子の保坂さん。

 なぜか俺の顔を見つめてくる。ジッと、いつまでも。何かを待っているかのように、永遠と。


「ど、どうしました。顔に何か付いてます?」

「ううん。何も付いてない」

「そうですか……」

「………」

「………」


 何となく察しはついていたけど、それを言うにはどこか引っかかりを覚えて、俺は気づいていない振りをしてしまった。


 そしてしばらく見つめ合っていると、国近先生が割って入る。


「そろそろチャイム鳴るよ」

「あ、そうですね……保坂さんは教室行かないんですか?」

「私は寝る。不貞寝」


 そう言って保坂さんは青色のカーテンを閉め切ってしまった。


「不貞寝って……保坂さん、部活は出るんですよね」

「出る」


 あ、ちゃんと返事はしてくれた。


「じゃあ放課後にまた会いましょう」

「うん」


 それから俺は保健室を後にした。帰り際、国近先生に呼び止められた。


「たまにでもいいから来な。あいつの話し相手になってあげて」

「わかりました」


 保健室って具合が悪くないと入れないイメージがあったけど、これからは保坂さんの話し相手としてちょくちょく顔を出してみよう。

 どうせ休憩時間は暇しているわけだし、保坂さんから効率的な絵の練習方法を教えてもらえる機会でもあるし。


 そうして俺は教室に戻った。

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