第39話 一ヶ月間の恋人契約

 一瞬、何を言われたのかわからなかった。


 付き合って、と、保坂さんは言ったんだ。


 それは、行きたいところがあるから一緒に来て、というニュアンスではない。

 交際するという意味の付き合ってだ。


 保坂さんのことだから、本当に俺のことが好きで、本気で付き合いたいと思って言ってないことはわかってる。


 恋の病にかかりたい。そう前に言ってた。

 たぶんそれが理由だろう。


「一ヶ月」


 俺が返答に困っていると思ったのか、助け舟を出すかのように保坂さんがそう言ってきた。


「一ヶ月だけ、私と付き合って」

「一ヶ月……それ過ぎたらどうなるんですか? お別れという形になるんですか……?」

「うん。お互いに何も変わらなかったらそうなる」


 それは裏を返せば何かが変われば、一ヶ月を過ぎても関係は維持されるということ。

 その何かというのは、保坂さんが恋の病にかかれるかどうか。


 でも、お互いに、と言うのが引っかかる。

 俺も恋の病にかからないといけないということだろうか。

 それならば既にかかっているんだけど。


「恋をしてみたいんですよね?」

「うん。してみたい。あと、確かめたい。返事は今日じゃなくてもいい。でも、早めに欲しい」

「付き合います」


 俺がそう言うと、保坂さんはほんの少しだけ目を見開いた。


 返事は最初から決まっていた。

 そもそも断る理由がない。むしろこれはより仲を深める絶好の機会。


「じゃあ今日から私は翔の彼女として、翔は私の彼氏として、よろしく」

「はい。こちらこそよろしくお願いします」

「なぜ敬語? ずっと気になってた」

「いやーそれは……」


 あまり刺激しちゃいけないと思って敬語で対応してたなんて流石に言えない。


 今はそんなこと考えてないけど、敬語で話しているうちにいつの間にかそれが普通になってた。


「癖ですかね」


 口から出たのは苦し紛れの言い訳。


「そう。なら直して。今日から私と翔は恋人同士だから、敬語なんて必要ない」

「それもそうですよね、ああいや、だよね。じゃあ改めてよろしく……あ、そう言えば、今更なんだけど、なんて呼べばいいかな?」

木乃実このみって呼んで」


 いきなり下の名前だと!?

 でも、保坂さんがそう呼んでって言ってるんだから仕方ないよな。

 それに今日から俺たちは恋人同士(仮)なわけだ。


「じゃあ、木乃実、改めてよろしくね」

「うん。よろしく」


 こうして俺たちは一ヶ月という期限付きのカップルとなった。

 あんまり心から喜べないのは、試験的な要素が強いからだろう。


 まぁ、これからだ。

 まずは一歩と言ったところかな。だいぶ変化球な一歩だけど……。


「そろそろ帰るよ。テスト勉強しないといけないし」

「うん。また」


 黒猫の着ぐるみパジャマ姿で手を振る木乃実は反則級に可愛くて、帰るのが寂しく感じたけど、何とか気持ちを押し殺して俺は玄関の扉を開けた。


 まだ空が明るいことに少し違和感を覚える。

 いつもは放課後ギリギリまで残って絵の練習をしていたから、帰る頃には空は赤く染まっていた。


「一ヶ月か……」


 油断していたらあっという間に過ぎてしまうだろう。

 何としても補習は避けなければ。


「よしっ、家帰ったらさっそく勉強だな!」


 なんか気合いが湧いてきた。


 そう意気込みながら俺は帰路についた。

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