第38話 お見舞い

 保坂さんの家に行く途中、俺はコンビニに立ち寄った。

 

 誰かのお見舞いに行くなんて、考えてみたら一度も経験がない。

 そのため何を買って行ったらいいのか悩む。


 とりあえず無難な物としてスポーツドリンク三本とレモン味ののど飴を一つカゴに入れた。


 他には……甘い物とか、簡単に食べられるような物とかかな。

 でも、あまり買い過ぎても邪魔になるだけだし、何より財布事情がね。


 前に台車を購入したのが少し響いてる。4000円くらいしたからね。結局、使い道はなくなってしまったけど。


 とりあえずまぁ、これだけでいいか。


「ありがとうございました〜」


 会計を済ませ、店長らしき男性店員さんの声を背にコンビニを出た後、再び保坂さんの家を目指す。


 保坂さんの家に行くのはこれで三回目だ。

 一回目は保坂さんをおんぶして、二回目は台車に保坂さんを乗せて、そして三回目──。


 今思えば、普通に隣を歩いて帰ったことってないな。

 そもそも家が近いし、学校を出て少し歩いただけでさようならだ。よほどの用事がなければ家まで行かない。


 夜遅くなったりしたら、責任もって家まで送り届けるけど、そんな状況になることはまずない。


 なんてことを考えながら歩いていると、気づけばもう保坂さんの家が見えていた。

 

「大丈夫かな……」


 病院に行ってないみたいだし、悪化してないといいけど。夏風邪って思った以上に長引くからな。


 そんな不安を抱えながら、俺はインターホンを押した。


 ピンポーン、と家の中で音がしてしばらく経った後、鍵の開く音がした。


 そしてゆっくりと扉が開き、その隙間からひょっこりと保坂さんが顔を出した。

 

 思ったより具合の悪そうな顔つきではなかった。いつもと変わらない、喜怒哀楽の読みにくい表情のまま。


 ただ、頬が少し赤く、熱っぽい顔色をしていた。

 そんな保坂さんは俺の顔をジッと見つめてくる。


「お帰り」

「ただいま」

 

 ……ん?


 あまりにも自然すぎて、無意識に「ただいま」と返してしまった。

 後々、じわじわと違和感が押し寄せてきた。


 出迎えの言葉として「お帰り」と言うのは正解なのか?

 お帰りって、まるで同棲してるみたいじゃないか。


 保坂さんと同棲生活……あまり想像できないな。

 けど、家に帰って「お帰り」と出迎えてくれるのはなかなか悪くない。


 保坂さんの顔を見ると、特に気にした様子もなくいつも通りのポーカーフェイス。

 何か意図して「お帰り」と言ったわけではないだろう。たぶん、何も考えてないと思う。


 となると、動揺してるのは俺だけか。

 

「体調大丈夫ですか?」


 動揺を払拭するつもりでそう訊ねた。


「大丈夫」


 返ってきたのはその一言だけ。

 でも、その短い言葉だけで、保坂さんの声がいつもと違うのがよくわかった。


 鼻が詰まっているのかちょっと鼻声で、咳をし過ぎたのか声が枯れていた。


「声が完全にやられてますね」

「うん」


 そう返事した後、保坂さんは、ケホッ、ケホッ、と眉間に皺を寄せ、苦しそうに咳き込む。

 そんな彼女の姿を見ていると、こちらまで苦しくなってくる。


「あの、良かったらこれどうぞ」

「いいの?」

「はい。そのために買ってきたんですから」


 俺はコンビニで買ったスポーツドリンクとのど飴の入ったコンビニ袋を渡した。


「ありがとう」


 言って袋を受け取った保坂さん。その直後、スルッと手を滑らせた。


「あ!」


 短い声と共に俺は咄嗟に袋を掴んでいた。自分でも驚くほどの反射神経で。

 

「ごめんなさい。思ったより重たかった」

「いえ、俺の方こそ重さのこと考えてなかったです。スポドリ3本も入ってますから、そりゃ重いですよね。すみません」


 俺はそんなに重たさを感じない。けど、保坂さんの腕や手の華奢さから考えるとこれはかなり重いはずだ。

 申し訳ないことをしてしまった。


「あれでしたら持って入りましょうか?」

「うん、お願い」


 玄関で靴を脱いだ後、保坂さんにリビングへと案内された。


 L字型の大きなソファがあり、それに負けず劣らずの大きなテレビがある。

 うちのリビングにあったら圧迫感が凄いことになりそうだけど、この広々としたリビングには丁度良い大きさになってる。


「一本飲む」

「あ、了解です」


 保坂さんが手の平を差し出してきたので、その上にスポーツドリンクをそっと置いた。


「ありがとう」

「いえいえ」


 なんだか、今日の保坂さんは大人しいな。

 いつも可愛いけど、こう大人しい保坂さんもまた可愛いな。


 よほど喉が渇いていたのか、半分ほど飲み干した保坂さん。

 キャップを閉めた後、ペットボトルを机の上に置いた。


「ここで待ってて」


 それだけ言うと保坂さんは静かな足取りでリビングを出て行った。

 その背に俺は「わかりました」と返事をしたけど、その時にはもう彼女は居なかった。

 たぶん聞こえてない。


 俺に渡したい物があると言っていたから、それを取りに行ったんだろう。

 

 それにしても……。


 一人になったところで、腕を組んで考える。

 アレはツッコむべきだったのか。

 でも、アレが普通ならツッコむのは失礼だよな。


 アレと言うのは、保坂さんの格好のことだ。


 黒猫をモチーフにしているのだろうか。

 猫耳のフードが付いた着ぐるみのパジャマ。


 お尻からは黒い尻尾が垂れ下がっていて、お腹には白い文字で大きく『猫』と刺繍されている。

 刺繍に関しては、わかっとるがな! とツッコミを入れたくなった。


 それにしても、猫耳付きのフードを被った保坂さん……やばいほど可愛いかったぞ!


 保坂さんに猫耳とか反則だと思う。それに加えてリビングを出ていく時の彼女の後ろ姿──黒い尻尾がゆらゆらと揺れる姿はやばかった。


 可愛いの最上級の言葉がわからないから、可愛いとしか言えないけど、とにかく、ひたすら可愛かった。


 熱がある保坂さんには申し訳ないけど、いつもより大人しいのも相まってめちゃくちゃ可愛かった。


 さっきから可愛いしか言ってないけど、それ以外に言いようがない。


 そんなことを考えているうちに、保坂さんが戻って来た。

 手にはフィギュアを持っていた。


「それってもしかして」

「うん。翔のフィギュア」

「え、すごっ! ちょっと見てもいいですか?」

「いいよ」


 保坂さんからフィギュアを慎重に受け取り、よく観察してみる。


 肌の色や少しだらしない体型など細かなところが完璧に再現されている。

 ポーズがなぜかダブルバイセップスなところと格好がパンイチなのは少し気になるけど、それ以外はほぼ完璧。


 ほぼ、と言ったのは、顔がちょっと美化されていたからだ。

 俺はこんなにイケメンじゃない。


 でも、物凄く出来が良い。

 これを一から生み出すなんて、改めて保坂さんの凄さを実感した。

 手が器用とかそんなレベルじゃない。

 もはや職人。


「あげる。約束してた紙じゃないけど」

「いやいや、十分過ぎますって。むしろ貰うのが恐れ多いです」

「要らない? 翔のために作ったのに?」

「欲しいです! 下さい!」


 決して要らないわけじゃない。むしろ欲しい。ただ、これを無料で貰うことに罪悪感がある。


「あの、何か俺が保坂さんに出来ることってないですか? 流石にこれをタダで貰うのは心苦しくて、何かしたいです」


 と言っても、俺が保坂さんに出来ることって無いに等しいと思うけど。

 それでも、何かしたい。何か返したい。貰ってばかりだから。


「何でもいい?」

「そうですね、俺に出来ることならですけど」

「どこまで出来る?」

「どこまで、ですか……」


 言い出しといて何だけど、俺ってどこまで出来るの?

 自分でもわからない。


 例えば、今俺の手にある自分を模したフィギュア。これを保坂さんバージョンで作って、と言われたらかなり難しい。


 そもそも知識も技術もないから、例え作ったとしても得体の知れない何かが出来そう。

 いや、その前に完成するかさえ怪しい。


 でも、出来る出来ないかは考えないで、とりあえずやるだけやってはみると思う。それが保坂さんの望むことなら。


「もし出来そうにないことでも、頑張るつもりではいます」

「そう。じゃあ──」


 保坂さんは俺の目を真っ直ぐ見つめる。

 吸い込まれそうな黒い瞳に、俺は目を逸らさなかった。


 そして、保坂さんは言う。


「付き合って」

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