第37話 期末テストと咳き込む保坂さん

 とうとうこの日がやって来てしまった。


 いつになく教室内がピリついている。


 皆、まだ朝のホームルームのチャイムが鳴っていないのに、真剣に教科書と睨めっこしている。

 

 普段、授業中寝ている生徒も今日は違う。

 付け焼き刃の暗記をひたすら頑張っている。


 そして俺も。


 付け焼き刃ではないけど、しっかり覚えているか確認中だ。


 なにせ今日は、期末テスト!


 それも、一時限目に現代文、二限目に現代社会、三限目に生物基礎。

 どれも暗記科目だ。


 できれば、保健か家庭科かを間に入れておいてほしかった。

 テスト範囲は狭いし、家庭科に至っては選択問題って先生が言ってたし。肩の力を抜いて挑める数少ない科目なのに。


 家庭科は明日、保健は明後日。

 今日を乗り越えたら少しは気が楽になるかな。


 そうこうしているうちに担任が教壇に上がり、チャイムが鳴った。


「日直、号令お願い」


 その合図で今日の日直担当の渡辺が立ち上がり「起立、礼」と号令をかけた。


 やがて朝のホームルームは終わり、チャイムが鳴った。

 この小休憩では、教室にいる生徒のほとんどが最後の確認に入った。

 皆んな真剣な顔だ。


 俺も机に広げた現代文の教科書に目を落とし、テスト範囲の部分を念入りに読み返す。


 気が付くと、現代文の先生がテスト用紙の束を待って教壇に立っていた。

 そしてチャイムが鳴る。


「机の上は消しゴム、シャーペンまたは鉛筆のみにしてください」


 いよいよ一時限目、現代文のテスト開始だ。


 教室内が静まり返る中、先生が一枚一枚テスト用紙を裏面にして配っていく。


「合図があるまで顔を上げて待つようにお願いします」


 俺は黒板の上の時計をひたすら眺め続けた。


「それでは、始めてください」


 先生の合図とともに、一斉にペンを握る音が聞こえ、静かな戦いが始まった。


 最初の問題は、意外にも簡単な漢字の読みだった。少しホッとしながらも、気を抜かずに回答を進めていく。


 漢字は得意だ。日本人だもの。


 次は文章の解釈問題や、記述式の問題。

 ひとつひとつ丁寧に解いていく。読み間違いや書き間違いがないか確認しながら。


 やがて残り時間が少なくなり、最後の問題に差し掛かる。


 なんとか答案は全て埋めたけど、少し不安が残る。

 時計を見てまだ数分の猶予があったので、再確認だ。


「はい終了です。ペンを置いてください」


 先生の声が響くと、教室中から小さなため息があちこちで聞こえてきた。


 やっと一つ目が終わった。

 普段の授業よりどっと疲れる。

 長時間、猫背気味にテスト用紙と見つめ合っていたからか、首や肩が凝ってる感じがする。


 あと二つもあるのか……。


 次の現代社会に向けてこの小休憩で追い込みしないとな。


 少し疲れを感じながらも、チャイムが鳴るまで教科書と睨めっこだ。


 それから何とか現代社会も乗り越えた。

 一応、答案用紙は全て埋めたけど、自信はあまりない。後でいくつか間違いに気づいたところがあったし、違うだろうなぁって思いながら埋めたところもある。


「ふぅ〜……」


 次の生物基礎でようやく最後だ。

 これが終われば帰れる。


 そう思えば少しやる気が出てきた。

 

「よし」


 気を引き締め直して、生物基礎の教科書と対峙する。


 そして三限目、この日最後のテストがチャイムと共に終わった。

 

 静寂に包まれた中で、長時間テスト用紙と向き合っていたからか、いつもより長く感じた。

 それに疲れた。もう頭がヘトヘト。

 午前中に帰れるのが唯一の救いだな。


「うわ、そこ間違えてるわ」「お前どうだった?」「あ、終わった……」「よっしゃ! 合ってた!」「夏休みに補習とか嫌なんだけど!」


 色々な声が教室内で飛び交っている。

 自信をなくした者、逆に自信がついた者、項垂れる者、悟った者……反応は人それぞれ。


 俺はと言うと、微妙なところ。

 後で間違いに気づいた箇所がいくつかある。


 でも、俺が目指しているのは満点とかではない。赤点にさえならなければそれで良いのだ。

 貴重な夏休みを補習で潰したくない。ただでさえ宿題があるんだから。


 そのためにも、家に帰って残りの教科の勉強だ。

 流石にテスト期間中に絵の練習はできない。

 だからこそ、ここで衰えてしまった絵の感覚を夏休みで取り戻したい。あわよくば、更なる上達を。


「二年と三年はまだテスト中だから静かに帰るように。日直、号令」


 そうしてホームルームが終わった。

 

 テスト期間中は全ての部活がお休み。なのでこのまま帰宅となる。


 下駄箱で外靴に履き替えていると、ズボンのポケットに入れていたスマホが振動した。


 ブッブッブ、ブー、ブー、ブー、ブッブッブ……ブッブッブッ、ブー、ブー、ブー……。


 鳴り止まない振動。

 明らかに誰からか電話がかかってきている。


 こんな時間に誰だ?


 考えられるとしたら家族の誰か。でも親は仕事中だし、そうなると兄ちゃんしかいないけど。

 まぁ、見れば早いか。


 スマホを取り出して画面を見てみる。

 そこに表示された名前に思わず「え?」と声が漏れた。


「どうして保坂さんから……」


 スマホ画面に表示されている保坂木乃実という名前。


 あの日に連絡先を交換した以来、特にやり取りはしていなかった。


 土日以外は毎日学校で会えるし、わざわざメッセージのやり取りをする必要がなかったというのがある。

 それに、女の子とのメッセージでのやり取りの仕方が全くわからなかった。


 恥ずかしながら、向こうから何かしら連絡が来ないか期待していた。だって、なんて送って良いかわからなかったし、キモいやつとか思われたくなかった。


 だから、こうして保坂さんから連絡してくれたことが嬉しかった。


 とりあえずここだと邪魔になる。

 早く出たい気持ちを抑えながら、一旦外に出て人通りの邪魔にならない隅っこの方に移動した。

 その間もスマホは絶えず振動を続けている。


 早く出ないと、そう思いながら応答ボタンをタップ。スマホを耳に当てた瞬間、もしもしと言おうとした俺の声を遮るように、ケホッ、ケホッ、と弱々しい咳が聞こえてきた。


「だ、大丈夫ですか?」


 ただ咳き込んだだけには聞こえなかった。それに、ここ何日か保坂さんは学校を休んでいる。


 高橋先生に聞いてみたところ、体調不良とかではなく、作りたいものがあるからと休んでいるだけだった。

 だからあんまり気にしてなかったんだけど、休んでいる間に体調を崩したのだろうか。

 だとしたら心配だ。


『大丈夫。少し頭がボーッとするだけ』

「それ大丈夫じゃないですよ」


 電話越しだからか、声のトーンがいつもより弱々しい気がする。


「熱は測りました?」

『測った。37.7だった』

「普通に風邪引いてるじゃないですか。病院には行きました?」

『行ってない。大したことないから』

「いやいや、大したことなくないですよ。ちゃんと薬とか飲まないと悪化しますよ? 親はいます?」


 この時間帯だし多分居ないだろう。そう思って訊ねてみたら、案の定だった。


「そんなことより、家に来て。渡したい物がある」

「そんなことなんですか……」


 でも、様子を見に行くには丁度いい口実になるな。

 それに渡したい物が何かも気になるし。


 途中でコンビニに寄って何か買って行くか。

 

「わかりました。今から向かいますね」

「うん」

「それではまた後で」


 そう言って俺は通話を終了した。

 

 栄養ドリンクが良いかな。それともスポーツドリンク? 

 こう言う時って何を買って行った方が良いのかわからないな。


 そんなことを考えながら学校を背に歩き出す。

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