第18話 上履きのない朝

 夏の朝日は眩しく暑く、登校しただけで背中や額にじんわりと汗をかいた。


 下駄箱に行くと、保坂さんを発見。何やら自分の下駄箱をジッと見つめて微動だにしていない様子。

 何をしているんだろう。

 そう思って保坂さんのもとへ歩み寄る。


「保坂さんおはようございます」

「あ、翔、おはよう」


 保坂さんは相変わらずやる気のない目をして挨拶を返してきた。


「何してるんですか?」


 俺がそう訪ねると、保坂さんは再び自分の下駄箱に顔を戻した。


「上履きがどこかへ行ってしまった」

「次は上履きですか……」


 昨日、一緒に帰ったので保坂さんが上履きを下駄箱に入れているところを見ている。

 なので、彼女がどこかへ忘れたとか無くしたということはあり得ない。


「また妖精にイタズラされてしまった」

「これ先生に相談した方がいいですよ」


 保坂さんは頑なに妖精の仕業にしようとするけど、本人はわかっているはずだ。これが誰かの手によって隠されていること、そして、れっきとしたイジメだということも。


 前に保坂さんのスニーカーが女子トイレの便器の中に捨てられていた。

 昨日は何事もなかったんだけど、今度は上履きが狙われた。

 

「放置は良くないです。高橋先生にでも相談しましょう。保坂さんが我慢する必要なんてないですから」

「別に我慢はしてない。上履きがなくても歩くのに支障はない」

「そういう問題じゃないですよ。放っておいたらそのうちエスカレートしていきます。俺ちょっと高橋先生に言って来ます」


 保坂さんが言わないなら俺が言うしかない。

 相談してすぐに解決はしないだろうけど、気にかけてくれる人を増やすのは悪いことじゃないはずだ。

 それに、こんな陰湿なイジメを放っておくわけにはいかない。


 保坂さんが一体何をしたって言うんだ。

 確かに奇怪な言動はよくするし、たまに変なことも言う。でも、だからと言ってスニーカーを便器の中に捨てたり、上履きを隠したりしていい理由にはならない。


「待って」


 職員室に向かおうとした時、保坂さんに呼び止められた。

 振り向くと、保坂さんがジッとこちらを見ていた。


「言いに行かなくてもいい。特に困ってるわけではないし、頻繁にあるわけでもないから」

「保坂さん……」


 保坂さんの瞳からは喜怒哀楽のどれもわからない。ただ無気力にこちらを見つめるばかり。

 もっと顔に出して欲しい。悲しいとか悔しいとか、ムカつくとか……じゃないと今の保坂さんが何を感じているのか全くわからない。


 今言ったことは本心なのか。本当に困ってないのか。強がっているようにも見えるし、全く気にしてないようにも見える。


「でも先生には言っておいた方がいいと思います」

「行かせない」


 そう言って保坂さんは俺の目の前に立ちはだかると、両手を広げて道を塞いだ。

 そして、反則的なまでの上目遣いで、たぶん本人は全くその意図がないのだろうけど、見つめてきた。


「翔は暴力に訴えるようなことはしない?」

「し、しませんよ!」


 俺を何だと思っているんだ。

 そんなことしなくても、保坂さんは広げた腕を維持するのが大変なのか、腕がプルプルと震えていて、そのうち限界が来そうだった。

 

「何でそこまでして先生に言うの反対なんですか。もしかして事を荒立てたくないんですか?」

「ん〜? うん」


 一度首を傾げてから、保坂さんは曖昧な感じで頷く。

 何か別の理由がありそうな感じだった。


「ほんとに言わなくていいんですか? こんなの我慢する必要なんてないですし、辛いのは保坂さんですよ」

「辛いとは思ってないよ? 我慢もしてない。だから先生に言う必要はない」

「先生に言うと困ることでもあるんですか?」


 こんなにも頑なに拒むということは絶対に何かあるはずだ。上靴やスニーカーを隠されるよりも困る何かが。

 そう思って訪ねたら、保坂さんは頷いてあっさりと認めた。


「今日の翔はグイグイ来る。もしかして私に惚れてる?」


 全く感情の困ってない声と顔で言われても、ただただ反応に困ってしまった。

 なんて返せばいいのかわからなかったので、とりあえず話を戻すことに。


「教えてもらえませんか。保坂さんが先生に相談することを拒む理由を」

「うん。いいよ」


 これまたあっさりと頷くと、保坂さんは教えてくれる。


「転校するかもしれない。それとも通信制になるかも。どちらにしてもこの学校からは居なくなると思う」

「て、転校ですか」


 予想もしていなかった発言に、頭の中で、どうして、何で、という疑問の言葉が湧き上がった。


「うん。お母さんやお父さんに話が伝わったら、たぶんまた転校することになると思う」

「そんな……」


 また、って言ったってことは、何度か転校したことがあるってこと。それは同時に、こういう陰湿なイジメを過去にも受けていたということになる。

 保坂さんにも原因はあるだろう。ただ本人はあまり自覚してないと思う。それが誰かの癇に障って、こういうことに発展した。


 転校してもまた同じことの繰り返しだろう。解決しないと、どうしようもない。

 なら、俺が保坂さん助ければいい。


「保坂さん」

「なに?」

「とりあえず保健室でスリッパを借りましょう。確か怪我した時に履くスリッパがあったはずですから」

「うん……」


 なぜか保坂さんは少しガッカリしたように頷いた。


「……告白されるのかと思った……残念……」

「保坂さん? 何か言いました?」

「何も」


 保健室に向かう中、後ろで保坂さんがボソリと何か言ったみたいだけど、ハッキリとは聞こえなかった。


 たぶん聞き間違いだろう。

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