第17話 才能ありき

 保坂さんから無言でスケッチブックを渡された。

 恐らく描き終えたということなのだろう。

 俺はそれをパンイチのまま受け取り、パンイチのまま確認する。


 相変わらず白黒写真と見間違えるほどの出来栄え。鉛筆一本で表現できる範囲を超えている。どうやったら瞳のハイライトとか描けるのだろうか。俺には到底理解のできない領域の絵だ。

 

 前はゴリゴリマッチョだった。保坂さん曰く将来の俺を想像して描いたらしい。

 でも今回は、ありのままの、本来の俺がスケッチブックには描かれていた。


 ところどころ跳ねた癖毛、普通にしていても細い目、まぁまぁ高い鼻。鏡で見るよりもイケメンじゃない俺の顔。

 改めて見るとだらしないと思う自分のお腹。ぽっちゃりとまではいかないけど、少し下っぱらが出ている。こんな姿を保坂さんにずっと観察されていたと思うと恥ずかしさが込み上げてくる。

 こんなことなら筋トレしておけばよかったかな。今からでも間に合うだろうか。

 

 そんなことを考えていると、保坂さんから「どう?」と訊ねられた。


「相変わらず次元が違いますね。写真って言われても信じてしまいますよ」

「えっへん」


 保坂さんは腰に手を当て、ない胸を張って威張るけれど、目が全くやる気が籠ってないのでギャップが激しい。でも、そこが少しお茶目で可愛いと思ってしまった。こんなこともするんだなと意外だった。


「どうやったらこんな写真みたいに描けるんですか」

「見たまま描けばいい」

「見たまま描けたら苦労しませんよ。やっぱりここまで来ると才能なんですかね」


 鉛筆一本で白黒写真みたいに描けるほど上手くなりたいわけではないけど、絵ってある程度は才能ありき。

 こう間近で次元の違う絵を見ると、才能がないとダメなのかなとマイナス思考になってしまう。才能だけが全てじゃないことはもちろんわかってる。でも、いくら努力しても才能という差を埋めることはできない。

 特に、保坂さんみたいな天才タイプの人に追いつくなんて到底無理な話だ。


「翔は勘違いしてる」

「勘違いですか?」

「初めから才能を持ってる人はいる。でも、才能がないからダメなんてことはない。才能がないとダメだと思ってるのは、翔が心のどこかで諦めてる証拠」


 初めて保坂さんに正論をぶつけられた気がした。俺は何も言い返すことができなかった。


「翔は絵を描くことに対して抵抗感がある。自分で壁を高くして、失敗を恐れてる。下手な絵を描きたくない。下手な絵を描いた自分を見たくない。失敗して心を折りたくない。傷つきたくない。保守的な考え方でいつも絵を描いてるからいつまでも成長しない。初めから上手く描こうとして、上手く描けなかった時のメンタルケアに自信がない。全部翔の心の問題。翔は──」

「ほ、保坂さん、ちょっとそれくらいで勘弁してください。全部図星すぎて心が痛いです……」


 いつも一言二言なのに、こんなにも喋った保坂さんを見るのは初めてだった。それに全部が的を射すぎててこれ以上はパンイチの俺では受け止めきれない。


 もしかして怒ってるのだろうか。

 いやでも、いつもと変わらない、どこかやる気のない目のまま。

 そもそも保坂さんは喜怒哀楽をほとんど見せない。今何を考えて、どんな感情を抱いているのか見た目だけで判断することは困難を極める。

 でも何となく、雰囲気が少し怒ってるような気がした。

 俺が好きな絵師さんも言ってた。才能って一言で片づけられるのが嫌いだって。確かに軽率な発言だったかもしれない。


「翔は絵を描くことに恐怖心がある。だから、私がそれを解きほぐしたあげる」


 そう言って保坂さんは俺の胸板にそっと手を添えた。その手はひんやりとしていた。


「思ったんですけど、保坂さんはどうして俺によくしてくれるんですか」

「う~ん……」


 難しい質問だったのか、保坂さんは顎に手を当てると首を傾げてしまった。


「何となく?」

「何でそこちょっと曖昧なんですか」


 そんな気はしていた。

 こうして俺と一緒にいるのも何となくで、そこに深い意味も特別な感情もないのだろう。

 わかっていたことだけど、少しだけ違う答えを期待していた自分もいた。

 

「というかもうこんな時間」


 そろそろ他の部活動も終わる頃。

 吹奏楽部は既に終わっているのか、廊下から聞えていた演奏音がいつの間にか静かになっていた。


「もうそんな時間。翔と一緒にいると時間が経つのが早い」

「それは大袈裟ですよ。デッサンに集中してたからだと思いますよ」


 俺は制服に着替えた後、机の上の鉛筆や筆箱を片付け、鞄の中にしまう。もちろんスケッチブックも。


「帰りましょうか」

「うん」

「そう言えば保坂さん鞄はどうしたんですか?」


 よく見ると保坂さんは手ぶらだ。

 今の今まで気づかなかった。というか、思い返せば保坂さんが鞄を持っているところを見たことがないような気がする。


「忘れた」

「それは今日だけですか?」

「ううん」


 ゆっくりと首を振る保坂さん。


「もしかしていつも持って来てないんですか?」

「持って来ようとしてる。けど、どうしても忘れる」


 何だかわざと忘れているような気がするのは気のせいだろうか。単に持って来るのがめんどくさいだけのような感じがする。


「ちゃんと持って来てください」

「めんどくさい」

「本音が出ましたね。忘れているのではなく、めんどくさいから持って来てないだけですよね」

「うん」

「あ、あっさり認めるんですね」


 もっと忘れたことを押し通してくるのかと思ってたけど、意外にも素直だった。


「でも、翔が持って来いって言うなら持って来る」

「そ、そうですか」


 どうして俺の言うことを聞いてくれるのかわからないけど、とりあえず持って来るということなのでこれ以上俺から言えることはない。


 それから俺は保坂さんと一緒に帰った。

 丁度運動部が終わり、帰宅するところと被ったので、けっこうな人たちに物珍しそうに見られながらの帰宅となった。

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