第29話 昔

 保坂木乃実ほさかこのみ十歳。小学四年生。

 彼女はこの時から既に周りの人とは違っていた。


「保坂ちゃん、ダメでしょ、こんなことしたら」


 そう呆れ気味に怒る女の先生は、木乃実のクラス──四年三組の担任だ。


「プールに居ないと思ったらこんな変な物作って。皆の机と椅子なのよ。それに倒れて来たら危ないじゃない。わかった? もうしちゃダメよ」

「うん」


 自分がどうして怒られているのか、木乃実にはわからなかった。それでも担任から、わかった? と問われたので、とりあえずわかったフリをして頷いた。


 彼女にとって、教室の机と椅子をピラミッドのように重ねたのは、ただやってみたかったからで、そこに罪悪感や悪気などは一切なく、ただ純粋な好奇心だけがあった。


 しかしそんなことは、周りからすれば異質に映る。


「またかよ」

「うわ、めんどくさ」

「これ俺たちが戻すのかよ」


「保坂さんって変わってるよね……」

「何がしたいのかわかんないよね」


 プールの更衣室で着替えを済ませてやって来たクラスメイトたちは、教室内の光景を見て皆一様に嫌な顔をした。


 声を上げてあからさまに嫌悪感を露わにする男の子たちとヒソヒソと陰口を叩く女の子たち。


 それは木乃実の目にも映っていたし、声も聞こえていたが、それだけだった。

 クラスメイトの反応をキャンバスに描き、それをボーッと眺めているような感覚だった。


 放課後、下駄箱で上履きから靴に履き替えている時、クラスメイトの男の子数人がやって来た。


 その数人の中で、一人、帽子を被った男の子が木乃実の肩にわざとぶつかった。

 かなり強くぶつかられたことでバランスを崩した木乃実は顔から転倒。

 幸い、咄嗟に腕で顔を守ったので怪我はなかった。


「あ、わりぃ。つかそこ邪魔。お前のせいでめんどくさいことさせられたんだからさっさとどけよ」


 彼は、うつ伏せで倒れたままの木乃実の背中を容赦なく蹴った。


「っ……」


 下校時間だったこともあり、周りには他の生徒もいたけれど、誰もが見て見ぬふりをした。


 彼が四年生の中でかなりのガキ大将的なポジションにいたことも一つの要因だろう。

 でも一番の要因は、誰も、木乃実と関わりたくなかったのだ。


 木乃実はゆっくりと立ち上がり、そして、帽子を被った彼をジッと見つめ、純粋な疑問をぶつける。


「楽しかった?」


 その質問には一切の悪意はなかったが、男の子からすればとんでもない嫌味を言われたように感じた。


「っ! 死ねよ、気持ち悪い」


 嫌悪感を露わに、そう捨て台詞を吐いた彼は、その去り際、よほど腹が立ったのだろう。木乃実の右肩をグーで殴った。


 痛みは当然あったが、それよりも、どうして殴られたのかという疑問の方が大きかった。


 木乃実は殴られた右肩にそっと手を置き、遠くなって行く彼らを見つめながら、静かに首を傾げた。


 友達と呼べる友達はいた。

 最初の頃は話しかけてくるクラスメイトもいた。だけど、木乃実の奇行が目立ち始めたことで、徐々に離れていき、いつしか、孤立してしまった。


 小学四年生にして彼女は早くも孤立。クラスメイトだけではなく、先生からも。


 自分が周りと違うことは気づいていたけど、どうすることもできなかった。

 それは抑えきれない興味によって引き起こされる衝動が原因である。

 やってみたい、やったらどうなるんだろうという気持ちが、周りから見たら奇行と言える行動を起こさせてしまうのである。


 本人は孤立していることに対してはあまり興味はなかったが、木乃実の両親は違った。


「転校した方が良いと思うの。木乃実を受け入れてくれそうなクラスがある学校に」


 木乃実の母は消え入りそうな声と苦しげな表情で夫にそう訴えるように言った。


「そうだな……俺も見てられないよ。毎日毎日怪我をして帰って来る」


 木乃実の父も母同様に苦しそうな顔をしていた。


「やっぱり、あの子の個性を縛るのは良くなかった。すまない……俺の我儘のせいだ。普通の女の子として学校生活をして欲しかっただけなんだ。すまない……」

「あなたのせいだけじゃないわ。私もあなたの考えに賛成したもの。私のせいでもあるの。だから謝らないで。謝らないといけないのは、あの子と迷惑をかけてしまった子たちによ」

「ああ……」


 しばらくの沈黙が続いた後、父は意を決したように言った。


「……転校しよう。一応特別クラスのある学校は調べてある。明日にでも手続きをしてくる」

「……そうね。必要な物があったら言って、すぐ用意するわ。それと……転校のことは、あの子には私から言っておくわ」

「ああ、助かるよ」


 七月十九日、夏休みを控えた時期、木乃実の転校が決まった。

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